茶会での調停
午後の陽が斜めに傾き始めたころ、皇室の茶室では、すでに妃候補の娘たちが揃っていた。庭園の草花が春の香りを放つ中、華やかな装いの令嬢たちは、互いに笑みを交わしながらも、どこか探り合うような視線を交わしている。
その場の空気が、張りつめた絹のように薄く、そして鋭くなり始めたころ。
襖が静かに開いた。
「……失礼します」
そう言って遅れて入ってきたのは、淡い青の装いに身を包み、一切の装飾を避けたような髪型の蓮舞だった。目立つ衣ではないが、背筋の伸びたその立ち姿と美しい顔立ちは、むしろ静かな威厳を感じさせるのに十分過ぎた。
周囲の目が、彼女に集まる。
その中には好奇と警戒、そして僅かな羨望が混じっていた。
内心、蓮舞は溜息をついていた。茶の作法も心得てはいるが、華やかな着飾りや、腹の探り合いを交えた女たちの会話に付き合う気は、今のところ微塵もなかった。
茶を口に運ぶふりをしながら、静かに視線を伏せる。
しかし、その時だった。
「このような場に、商人の娘がいるとは……少々場違いではなくて?」
その言葉に、周囲が静まりかえる。美月の表情が強張り、手元の茶碗がわずかに揺れた。
綺羅の声には、明らかな軽蔑が込められていた。美月の頬がわずかに紅潮する。
蓮舞は心中で小さくため息をついた。誰が誰を貶すか、誰が誰を持ち上げるか――そんなことに時間を使うのは愚かだと思いながら、静かに茶碗を置いた。
「綺羅様」
その声は、意外なほど落ち着いていた。言葉に力を込めるわけでもなく、ただ淡々と、だが確かに空気を変える力があった。
「お父上の将軍は、身分の低い兵士たちにも心を配られると伺っております。きっと、人の価値は生まれではなく、心の在り方にあるとお考えなのでしょうね」
綺羅の表情が微かに和らぐ。父への敬意を示されたことで、攻撃的な姿勢が鎮まった。
続いて蓮舞は周美月に向き直った。
「周家が扱う品々は、寒村の民にとって生きる糧。国の隅々に温もりを届けておられます。商いとは、民の命を結ぶ道でもありますもの」
美月は驚いたように目を見開き、次いでうっすらと涙ぐんだ。蔑まれることには慣れていた。けれど、こうして誰かが自分の家業を肯定してくれたのは初めてだったかもしれない。
こわばっていた背筋がほどけるのが自分でもわかる。
蓮舞は、周囲をゆるやかに見回した。
「私たちがここに集うのは、互いを貶めるためではありません。出自で貶め合うより、それぞれの強みを認め合えたら……どれほど未来は穏やかになるでしょうね」
彼女の言葉には、命令的な響きはなかった。しかし、その静かな説得力に、場の空気が次第に和んでいく。
「……蓮舞様の仰る通りですわね」
別の妃候補が頷いた。
綺羅と美月も、ぎこちないながら互いに会釈を交わす。綺羅の睫毛は震え、美月の指は膝上でそっとほどけた。
蓮舞は茶碗を手に取り、香りを確かめるように瞬きを一つ。遅れてきた女が投げた一石で、張り詰めた水面には静かな波紋が広がっていた。
────
茶室の奥、屏風の向こう側。薄絹を隔てたその空間には、雅な衣を纏った皇后・沈貞容が静かに座していた。
彼女はこの茶会の一部始終を、言葉もなく見守っていた。気品ある佇まいはまるで動くことのない花のようで、目元にわずかに浮かぶ笑みの奥に、王族として長年培ってきた見識と観察の眼が光っていた。
(あれほど場に馴染まぬ様子で現れたのに……見事な采配)
沈貞容は、蓮舞の言葉一つで空気が和らいでいくのを、確かに感じ取っていた。
誰かを非難せず、誰かを持ち上げすぎず、それでいて確かな品格と慈しみを持つその姿。
(言葉を選ぶ節度、他者を立てる礼節、そして、感情に流されぬ静けさ――)
妃候補の中にあって、どれだけ多くの者が、自らを飾ることに注力しているかを知るからこそ、沈貞容は蓮舞の内にある「芯」のようなものを見逃さなかった。
(この子ならば……)
茶器の縁にそっと指を添えながら、沈貞容は小さく吐息をついた。
(あの子を、皇太子妃に……)
自然と、そう思っていた。