血に染まる絹
春の陽光が後宮の回廊を照らす午後、蘇蓮舞は皇太子楊玄昌からの突然の招待状を手にしていた。肩の傷はまだ完全には癒えず、わずかな動きでも鈍い痛みが走る。
しかし、皇太子の招待を断ることなど、戸部尚書の娘として許されることではなかった。
「お嬢様、本当によろしいのですか」
侍女の小梅が心配そうに尋ねる。
「仕方ないわ」
蓮舞は薄紅色の絹の着物に袖を通しながら答えた。
「皇太子殿下から直接招待されては、断るのも角が立つし」
後宮の茶室には、既に数人の貴族の令嬢たちが集っていた。皇太子の寵愛を得ようと、それぞれが美しい装いで着飾っている。
蓮舞が部屋に入ると、視線が一斉に彼女に向けられた。
兵部侍郎の娘、柳絮音が近づいてきた。
その足元は不自然にふらつき、蓮舞の肩に激しくぶつかる。
「あ!」
蓮舞は思わず肩を押さえた。傷口に鋭い痛みが走り、包帯の下で血がにじみ始める。
「まあ、失礼いたしました」
柳絮音の謝罪には、明らかな作為が感じられた。
蓮舞は微笑みを浮かべたまま答えた。
「お気になさらず」
しかし、薄紅色の絹に赤い染みが広がっていくのを隠すことはできなかった。
「少し失礼いたします」
蓮舞は周りの女性たちに声をかけ、着替えのために女官の部屋を借りることにした。
小さな部屋で一人、蓮舞は着物を脱ぎ、包帯を解いた。鏡に映る自分の姿は青白く、肩の傷からは再び血がにじんでいる。
「蓮舞」
突然の声に、蓮舞は振り返った。第二皇子楊懐古が、心配そうな表情で立っている。
「......」
蓮舞はさらけ出した肩を隠そうともせず、突然現れた楊懐古を睨む。
楊懐古は一瞬、蓮舞の透き通るような白い肌に目を奪われた。心臓の鼓動が激しくなる。しかし、すぐに友としての心配が勝った。
「.....!...酷い刀傷だな、いつそんな傷を負った?」
彼は部屋に入り、扉を閉めた。
質問に蓮舞は答えない。
「なぜ無理をする」
「皇太子殿下に直接招かれたので、お断りしづらいじゃない」
「君の体の方が大切だ」
懐古は薬箱を蓮舞から奪う。
「動くなよ。手当てをするから」
蓮舞は躊躇したが、懐古の真剣な眼差しに抗えなかった。
「全く....これは、傷跡が残るぞ」
懐古は包帯を巻きながら呟いた。
「もう少し、自分を大切にしてほしいな」
「私は、したいようにするわよ」
蓮舞は小さく答えた。
懐古は手を止め、蓮舞の目を見つめた。
「君という人は」
その時、扉の向こうから足音が聞こえた。二人は急いで身支度を整え、部屋を出た。
廊下には皇太子楊玄昌が立っていた。弟と蓮舞が同じ部屋から出てくる様子を見て、その目に暗い炎が宿る。
「懐古」
玄昌の声は低く抑えられていた。
「何をしていた?」
「蓮舞の傷の手当てを」
懐古は素直に答えた。
「傷?怪我をしたのか?」
玄昌は蓮舞に視線を移した。
「大した事ではございませんので」
蓮舞はそっけなく礼をして答える。
「そうか...」
玄昌の視線は蓮舞の顔を執拗に追った。傷を負いながらも凛とした美しさを保つ彼女に、より一層心を奪われている。その熱を帯びた眼差しに、懐古は息を詰めた。
兄の蓮舞を見つめる目—それは単なる関心ではない。明らかに一人の女性への深い執着を示していた。懐古の胸に、言いようのない危機感が湧き上がる。
(兄上は蓮舞を...)
懐古は無意識のうちに蓮舞の前に半歩出た。友を守らなければという想いが、自然と体を動かしていた。
「では、私は茶会に戻らせていただきます」
蓮舞は皇太子の視線を避けるように、さりげなく体を向けた。玄昌の眼差しの重さに息苦しさを感じている。
早くこの場を離れたい—その想いが表情に現れた。
「蓮舞」
玄昌が声をかけようとした瞬間、懐古が口を開いた。
「兄上、茶会には令嬢が多く来られているとか。私も参加してよろしいでしょうか」
玄昌の目が鋭くなった。弟が自分と蓮舞の間に割って入ろうとしているのを敏感に察知したのだ。
「懐古、そんなに女性に興味があったとは知らなかった」
その言葉には、明らかな棘があった。
「それはもう、当然でしょう」
懐古は兄の視線をまっすぐ受け止めつつ軽口を叩く。
玄昌は二人を交互に見つめた。弟と蓮舞の間に流れる自然な信頼関係—それは自分が決して築くことのできないものだった。
権力も地位も、真の心の繋がりの前では無力だということを、改めて思い知らされる。
嫉妬が胸の奥で渦巻いていた。