ファン
「そろそろお客さんが入り出したか……」
時刻は17時10分
MIUさんとしらべは、自身のお客さんを対応する為、少し前に楽屋を出て行った。
メジャーではトラブルを避けるため殆ど見ないが、インディーズでは、来てくれたファンの人達を直接アーティストが迎え、お礼を伝えたり、何気ない世間話しをしたり等がよく見られる。
「それに比べ俺は……」
下唇を強く噛み、客席が映ったモニターを眺めながらそう呟くと、頭の上に何か重いものがのしかかった。
「わあー!いっぱい人入って来たな!うちちょっとドキドキしてきた!」
椅子に座っている俺の頭に顎を置き、手をバタバタさせながら、あおいが楽しそうな声でそう言った。
「はいはい。わかったからまずは顎をどけてくれ」
俺は、あおいの頭をグイッと掴んで横にどける。
「えー、てつやは何でそんなにれーせーなん?ドキドキしやへんの?」
不思議そうに聞いてくるあおいに、俺は仏のような表情で答える。
「ははは、もう何百回とライブはして来たからな。今更緊張したりすることはありませーん」
「わー!てつやはすごいなあー!」
そう言ってぴょんぴょんと跳ねるあおいを横目に、俺の心臓はバクバクと鼓動を早めていた。
正直、人前で歌うというのは何度やっても慣れるものではない。
もちろん初めてのライブから全く緊張しない人もいるとは思うが、元来小心者の俺はそうではなかった。
しかし、そんなダサい姿をあおいに見せるわけにはいかないのだ。
それが、男のプライドってやつだ。
「そして……日比谷おとね、か」
俺はいったん深呼吸をし、その名前を呟いた。
正直願ってもないチャンスだ。
どういう意図でMIUさんに連絡したのかは知らないが、メジャーアーティスト、それもとんでもない大物に自分の歌を聴いて貰える。
俺にもやっと運が回って来たのか。
そんなことを考えていると、あおいが突然声を上げた。
「あ!そうや!てつやのファンの人ってどこにおるん!?うちもな、てつや好きやから一緒やろ!?やから仲良くなりたいねん!」
ーードクンッ
屈託のない笑顔で突きつけられた現実に、俺の心臓が強く高鳴る。
そうだ、今朝見栄を張ってファンが沢山来るって言ったのは自分自身だ。
どうしよう……なんて言えば。
俺は黙ったまま楽屋のモニターを見た。
そこには、早くも徐々に埋まりつつある客席の様子が映っていた。
すでに六十人はいるだろうか。
その全てが枚方しらべと我孫子ゆずる、そしてMIUさんのお客さんだ。
俺はライブのたびにこんな状況を経験し、主催者に頭を下げて来た。
その度に情けなくて、恥ずかしくて。
俺の音楽をわかってくれる人は、いつか必ず現れてくれる。
まだ出会えていないだけ。
そう自分に言い訳をしてきた。
……でも、本当はわかっている。
ファンの人を増やす為の行動が出来ていないって。
SNSを毎日更新したり、新しい曲を定期的にリリースしたり、応援してくれる人達を飽きさせないよう行動しないといけない。
他のアーティスト達だって、毎日死にものぐるいで頑張っている。
そう、結局は自分自身の"怠慢"だ。
「あおい!俺のファンの人はな、たーっくさんいるぞ!ほら!あそこも!ここも!みーんな俺のファンだ!どうだ!凄いだろ!ははははは……」
俺はモニターの画面を指差しながら、精一杯の笑顔でそう言った。
だがーー
「……どうしたん?なんでそんなに、泣きそうなん?」
真剣な眼差しで見つめる目の前の少女に対して、俺は今までで一番情けなくて、同時に申し訳ない気持ちで一杯になった。
これまでは自分を騙せば良かった。
言い訳をして、取り繕って、その日の自分を慰めてあげられればそれで良かった。
ーーでも今日は
俺は、最後に残ったちっぽけなプライドを捨てることを決めた。
「……あおい、ごめん。本当は俺……ファンなんていないんだ……。ダサいよな。十年もやって来て。なんだよ、プライドだけは一丁前でさ。だからファンも出来ないんだって話だよな」
震える声を押し殺し、なんとか違和感のないように笑おうとする俺の視界を、白く暖かなワンピースがそっと包んだ。
「……大丈夫。おるよ、いっぱいおる。うちには見えてるもん。うちもおる。うちはてつやの歌大好きやで。それって、うちもてつやのファンってことやろ?やから、しっかり気持ち込めて歌ってな。うちが誰よりも近くで聴いてるからな」
あおいが俺を抱きしめてそう言った。
なぜだろう。俺の歌なんてさっき一回しか聴いたことないはずなのに、その言葉には不思議と違和感がなかった。
「あらやだあ!!ワタシも混ざっていいかしらあああ!?」
「うわあああ!!!!」
突如現れ、勢いよく飛びかかって来たMIUさんだったが、間一髪あおいと一緒に体をひねって避けることに成功した。
そのおかげで、MIUさんは顔面から楽屋の床にダイブしたのだった。
「あ、あのー。大丈夫……ですか?」
しばらくじっとしたままのMIUさんに、恐る恐る声をかける。
「てつやちゃん。腕を上げたわね」
MIUさんはそう言って何事もなかったかのように立ち上がり、俺の方を見つめニヤリと笑った。
ちなみに楽屋の床は硬いフローリングだ。この人の顔面はどうなってるんだろうか……などと考えていると、スタスタとこちらへ向かって来て、俺の横で歩みを止めた。
「売り上げを考えないといけない立場としては、こんなこと言っちゃいけないのかもしれないけど。ファンの数だけが全てじゃないわ。少なくとも、ワタシはてつやちゃんに輝くものを感じているから、今日ここに呼んだのよ。がっかりさせないでね」
そう肩を叩き、MIUさんは楽屋を出て行った。
その後ろ姿を見ながら、情けないことなんて言っていられない。そう心に強く決意する。
横を見ると、あおいが優しく微笑みながらこちらを見ていたのだった。