真実
楽屋にMIUさんの声がこだまする。
時計を見ると、時刻は16時を指していた。
本番は、18時からだ。
「確か、今日の出演者は俺としらべと……」
そう言いながらポケットからフライヤーを取り出そうとした時
「ええ、我孫子ゆずるって子なんだけど……」
我孫子ゆずる、情報に疎い俺でも聞いたことがある。
今のインディーズ界隈では、かなり有名な子だ。
ピアノ弾き語りのスタイルでアーティスト活動をしながら、ユーチューバーとしても多数の登録者を抱えているらしい。
それに加え、ビジュアルも有名ファッション誌のモデルをやっているとかで、そっち方面でも注目されている。
メジャーデビューも目前だと言われているが、実のところ、同業者内ではかなり我が儘で扱いにくい性格だという噂もあった。
「本当に困ったわ!ああ、どうしましょう!」
MIUさんにしては珍しく、かなり取り乱していた。
「でも、これだけ急だと代わりのアーティストも呼べないでしょうし……今日は二人でいくしかないんじゃないですか?
我孫子ゆずるのファンからのクレームは、避けられないかも知れませんが……」
俺はそう言いながらも、内心では恐らく大丈夫だろうと思っていた。
何故なら、我孫子ゆずるは過去何度もこういったケースを起こしているからである。
直接遭遇したことはないが、"我孫子の出演キャンセルによるお詫び"とSNSに載せられている所を、過去何度も目にした。
ファンの人達も、またかと言った具合にすっかり慣れきっている上、人によっては、こんなことで怒っていてはファン失格だとまで言う始末だ。
それに……残念だがこういうのは何も我孫子に限った話しではない。
もちろん本当に体調が悪く、どうしても出演出来ないことは人間である以上起こりうるのだが、それにしても前日や当日の朝にはわかりそうなものである。
大した理由もなく、所詮小さなイベントの一つだからと、ギリギリのキャンセルや、連絡もなく来ない、などといったシーンを、俺は過去幾度となく見てきた。
致し方ない。といったテンションで俺がそう言うと、MIUさんは腕を組み、しばらく考え込んだ後、こう口を開いた。
「……うん。ちょうどいいわね。実は皆んなに話しがあるの。店長のけいすけ君にはもう伝えてあるんだけどね。今日のライブ、"日比谷おとね"さんが見に来ることになっているのよ」
「日比谷おとね!!?」
しらべが立ち上がり、驚愕の表情で声を上げた。
無理もない。日比谷おとねと言えば、二十年以上前、ロックバンド"ビーチーズ"のボーカルとしてデビューし、瞬く間に音楽業界のトップに登りつめた。
そして、今や自身で芸能プロダクションの社長もこなす、芸能界でもトップクラスの大物だ。
「一ヶ月前、うちの会社に日比谷おとね本人から連絡があってね。何処からかはわからないけど、ワタシの人脈の広さを聞いたみたいで、費用は全て出すからワタシ自身が素晴らしいと思うアーティストを三人選んでライブをして欲しいと言う依頼があったの。出演者には当日まで内緒と言う形でね」
ーーそんな事があったのか
確かに今回のライブ、少し違和感があった。
他の出演者や詳細を聞こうとしても、まだ詳しくは答えられないの一点張り。
出演者を騙し、お金を巻き上げることが目的のライブも存在するような業界だ。
MIUさんへの信頼がなければ、怪しすぎてライブを受けていなかった可能性すらある。
「しかし、本当にどうしようかしら。三人でのライブという依頼を受けたからには、イベント会社の社長としてそれを落とす訳にはいかないわ。それに、今回のライブは日比谷おとねたっての希望よ。何としても成功させないと」
「そう、ですね……」
普段お世話になっている分、なにか力になれることはないかと、俺があーでもないこーでもないと頭を悩ませていると、突然楽屋に野太い声が響いた。
「あーーー!!」
その声に思わず驚き視線を向けると、MIUさんが俺の方を見ていた。
いや、正確には俺ではなく、俺の隣りだ。
「てつやちゃん!あおいちゃんを今日だけステージに上げて貰えないかしら!?一曲だけでもいいの!お願い!!」
ーーあおいをステージに!?
上げて……大丈夫なのか?
いや、歌わせて大丈夫なのだろうか?
俺は思考が纏まらないまま言った。
「いや、でも、MIUさんあおいの歌って聴いたことありませんよね?それにこいつは……」
続けようとした俺の言葉を、はっきりと確信を持った声が遮る。
「大丈夫。実はさっきてつやちゃんのリハーサルの時、この子あなたの歌を口ずさんでいたの。それを隣で聴いて思ったわ。この子は本物よ。今まで何百人とアーティストを見てきたワタシが言うんだもの。信じなさい」
「で、でも……」
俺は嫌な余感がしながらも、ゆっくりとあおいの方に視線を向ける。
「やったーー!!うた!うた!歌えるー!MIUさん、ありがとう!!」
やはり想像した通りの反応だ。
しかし、これだけは絶対に聞いておかなければならないことがある。
俺は、喜ぶあおいの耳元に口を近づけ、囁いた。
「……おい。歌ってもいいが、女神の力とやらはどこまで使えるんだ?まさか、お前の歌を聴くと魂が抜けるとか、思考が停止するなんてことはないよな?」
若干悪魔かなにかと勘違いしてる気もするが、そんなことを気にしてる場合ではない。
歌は、あおいの本分だ。
もし本番で何か起こってしまってからでは、取り返しがつかない。
「……そんなん使えへんよ。うち、てつやが思ってるような凄い力とか、なんにも使われへんって言うたやん」
あおいが同じく耳元でそう囁くと、それを聞いてホッと胸を撫で下ろす。
「そうか。……よし、ならいいか!せいぜい楽しんで歌ってこい!」
「うん!」
俺はあおいの背中をポンと叩くと、真っ直ぐMIUさんの方を向いた。
「本人も喜んでますし、あおいで良かったら使ってやって下さい」
「てつやちゃん!ありがとう!!チュー!!」
「うおっと!!」
若干のデジャヴを感じつつも、MIUさんの熱い口づけをギリギリでかわす。
「ちっ。じゃあ、あおいちゃん。歌は何を歌う?急だし、曲名を教えてくれたら歌詞とカラオケ音源はワタシが用意するわ。本番でも見て大丈夫だから安心してね」
MIUさんのその言葉を聞いて、俺は一度撫で下ろした胸が再び熱くなるのを感じた。
そうだ、人間界に来たばかりのあおいに歌える歌なんてあるはずがないんだ。
どうする?残念がるだろうが、それとなく理由を作って断るしかないのか……?
そう考えた時だった。
「うち、てつやのPROMISEがいい」
ーー!?
「PROMISE!?あ、あおい!いったいどこで!?」
PROMISEは俺のオリジナル曲だ。
昔、ある人と二人で作った初めてのオリジナル曲で、今日歌う予定だった四曲のうちの一つ。
俺の一番思い入れのある楽曲だ。
「ん?どこでって、さっきてつやが歌ってたやん。うち、いい曲やなーって思って聴いててん。あ、名前は紙に書いてたのん見てんで。歌詞も見んくても大丈夫やで」
あおいはそう笑顔で答えた。
……うそだろ?
確かにリハーサルでフルで歌いはしたが、それをたった一回で覚えたって言うのか?歌詞まで一緒に?これが、歌の女神さまってわけなのか……?
通常、リハーサルで一曲を丸々歌うアーティストはあまり居ない。
フルで歌ってしまうと喉が疲れてしまうし、リハーサルの時間が限られている為だ。
しかし、俺は細かい部分まで突き詰めたい性格の為、いつもライブの時は、時間が許されれば最後まで歌ってチェックしている。
今日も、MIUさんに頼んでフルで時間を貰った。
曲名は、きっと俺が用紙に書いていたのを見ていたのだろう。
ライブハウスごとに決められている規定の用紙に、曲順やMCを挟むタイミング、照明のイメージや細かい要望などを書いてスタッフさんに渡してからが、リハーサル開始となる。
俺は鳥肌が止まらなかった。
「……わかった。
MIUさん、その曲なら俺がカラオケ音源を持っています。歌詞もいらないみたいなので、大丈夫です」
「さすがね。あおいちゃん、てつやちゃん、本当にありがとう!」
「よし!今日のライブ、何としても成功させるわよ!!」
「はいっ!」
「うん!」