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ゴールド

「いちまんはっせんきゅうひゃくえん……いちまんはっせんきゅうひゃくえん……」


「もー、さっきから何ブツブツ言うてるん?そんなことより、もうすぐ歌うんやからもっと気合い入れんとっ」


会場が近づき、終始ご機嫌な少女の隣では、アラサーの男性が青白い顔面をしながら、呪文のように数字を繰り返していた。


自宅から駅までの道中、俺たちはスマートフォンで調べた近くの靴屋に立ち寄った。


女性用の靴なんて買ったこともないが、恐らく自分のものとそう変わらないだろう。

足元の五千円程度のスニーカーを見ながら漠然とそう考えていた俺だったが、そこで彼女が気に入った花柄の派手な靴は、お値段なんと驚きの一万八千九百円。


慌てて別のものを提案するも、彼女の固い決意は揺るがず。

自慢してくる!などと言い笑顔で店を飛び出す彼女とは対照的に、俺は血の涙を流して靴屋の店員に金を支払ったのである。


「はぁ……ご機嫌なのはいいが、はしゃぎ過ぎて転ぶなよ」


給料日までまだ遠い今月の生活を考え、頭が痛くなる。


「大丈夫大丈夫ー!あ、歌うところあれ違うん?」


そう言って彼女が指を指した建物には、今日の会場"ライブハウスGOLD(ゴールド)"の看板があった。



「おはようございまーす!!」


「あ、おはようございます」

「はざーす」

「おはよう」


古いビルの階段を上がり、薄暗い通路を進むと、防音の分厚く大きい扉が見える。

それを両手で開き、中へ入り挨拶をすると、次々にスタッフさん達が挨拶を返した。


ここ、ライブハウスGOLDはビルの二階にあり、収容人数は立ち見で百人ほど。

豪華な会場からは流石に見劣りはするが、同業者からも評判の良い、中型の老舗ライブハウスだ。


「違うよ、うち知ってるで。もうお昼やからこんにちは。やねんで」


そう言って得意げに胸を張る彼女に、否、ない胸を張る彼女に俺は答えた。


「あー、違う違う。この業界じゃ昼でも夜でもおはようございます。なんだよ」


「ふーん、なんでなん?」


……そう言えば考えたことすらなかったな。

俺がうーんと首を捻っていると、背後から唐突に声が聞こえた。


「それはね、自分よりも早く現場に入って準備をしている人達に"お早いお着きご苦労様です"という意味で挨拶をしているから、なんだよ」


「あ、堀江さん!おはようございます!」


後ろからひょっこり現れたこの人は堀江(ほりえ)けいすけさん。

ライブハウスGOLDの店長さんだ。


「おはよう、てつやくん。今日はよろしくね」

「……ところで、その子は?」


ーー!!


どうやら俺は、自分で思っている以上に昨日からいっぱいいっぱいらしい。

彼女のことを他の出演者やライブハウスにも説明しなくちゃいけない。そんな当たり前のことに、今の今まで気づいていなかったのだから。


まずいぞ……恋人なんて言った日には、ライブどころか最悪逮捕されかねない。なら、妹はどうだ?

……いや、堀江さんはともかく、親しい人に伝わった時にバレる危険性がある。


俺は頭をフル回転させる。


……仕方ない。脳内会議を全速力で終えた俺は、選び抜いた、というより消去法で残った一番無難であろう結論を絞り出した。


「こ、この子は親戚の子なんです!

ものすっっっごく田舎の出身で、都会が見てみたいと今うちで預かっていまして!ははは……」


咄嗟に出したが、これしかない答えとも言える。

いけるか?この嘘はいけるのか……?


「……なるほどね。そういうことなら、自由に使って貰って構わないよ。えーっと、名前はなんて言うのかな?」


「うちはアオイデーって言います。よろしくお願いします」


「ん?アオイデ?なんだって?」


安心したのも束の間、俺は慌てて彼女の口を手で塞いだ。


「あ、あおいです!鳳あおいです!こいつちょっと方言が強くて!聞き取りにくかったらすみません!」


「はは、あおいちゃんって言うんだね。おじさんはけいすけって言うんだ。よろしくね」


た、助かったぁ……!


まさか、ライブ前にステージに上がる何倍も緊張させられるとはな。

俺は早くもライブをやり遂げたような気持ちで胸を撫で下ろした。


「じゃあてつやくん。これ、あおいちゃんの分もステージパスね」


そう言って、ライブハウスのロゴが入ったシールを二枚渡して貰った。


ステージパスとは、ライブやイベントの関係者なのか、一般のお客さんなのかを見分ける為のものだ。場所によってシールだったり、首から下げるストラップだったり、様々な形がある。パスにはライブハウスのロゴが必ず入っているので、自分が今まで出演した思い出やコレクションとして、カバンや楽器のケースに貼るミュージシャンも多い。


「ありがとうございます。ほら、あおい」


そう言って彼女にパスを差し出す。


「あおい……?」


聞き慣れない名前に戸惑っているのだろうか?

俺は辺りを見渡すと、周りに聞こえないよう彼女の耳元に口を近づけた。


「アオイデーだと色々と都合が悪いんだ。センスはないかもしれないが、こっちではあおいで通してくれ」


ハーフと言ってもいい顔立ちをしているが、やはり日本人の方が色々と過ごしやすいだろう。

名前は、本名からとっただけだが。


「……あおい……あおい」


「お、おい、どうした?」


しばらくうつむいて、名前を呟いていた彼女だったが


「……あおい!めっちゃ嬉しい!それに、なんか懐かしい気がする。うちの名前な、これからあおいにする!ありがとう!」


そう言って、嬉しそうな笑顔をこちらに向けた。


咄嗟に思いついた名前だったが、そんなに喜んでくれるなんてな。

なんだか俺も嬉しくなる。


ーーそれにしても懐かしい、か


咄嗟に出た名前のはずなのに、不思議と俺もそんな気がした。


「はは、そんなに喜んでくれたら俺も嬉しいよ。じゃあ、パスを貼ったら次は楽屋へ行こうか」


そう言って服の胸元に貼るよう促し、俺は楽屋のある方向へ顔を向けた。


GOLDの楽屋は、客席から見てステージ右横にある扉の奥にあり、楽屋内からステージ上へ直接行けるよう通路が繋がっている。


「がくや?」


「ああ、出演するアーティストが集まっている所さ」


楽屋とは、出演者が本番までの間を過ごしたり、荷物を置いておく場所だ。テレビ等で聞いたことがある人も多いと思うが、基本的にはあれと同じだ。


GOLDの場合はニ十畳程の広めの部屋で、楽屋内にテレビモニターがついており、それで客席やステージの様子を見ることが出来る。

ライブハウスによっては、楽屋自体ない所もあるがな。


俺とあおいは客席を抜け、ステージ横の扉から通路を通り、"出演者控え室"と書かれた紙が貼ってある扉をノックした。


「おはようございます」


そう挨拶をし、扉を開けた瞬間だった。


「てつやちゅわーん!!」


「え!?え!?え!?」


デカい物体が、猛烈な勢いでこちらを目掛けて迫って来た。

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