ライブ
ーージリリリリ!!
「ん……」
スマホから流れるアラーム音を止める。
寝起きのはずの俺の目は冴えていた。
朝には強くない方なのだが、今日は何故だかたった一回のアラームで目覚めたのだ。
「まあ、何故もなにも理由は一つしかないんだがな……」
そんな独り言を呟きながら、二つ並んだ布団のもう一方を見る。
「ん……カニ……」
「昨日あれだけ食ったのに、まだカニの夢を見ているのか」
幸せそうに寝言を呟く彼女を見て、俺は少し呆れ気味にそう言った。
ーーさて、どうしたもんか
あの後、彼女は自分が死者の魂を導く役目の女神だとか、天界はとてもふわふわしてるだとか、姉妹がいて姉がとても大好きだとか、妹がとても可愛いだとか、大事なのか大事じゃないのか良くわからない情報を次々と語った。
しかし余りにも現実離れした内容に、俺の脳の容量が追いつかなくなり、考えるのをやめとりあえず寝ることにしたのである。
「ま、起きたら夢だった。なんてことはないわな」
頭をポリポリと掻きながらそう呟くと、寝起きの憂鬱な気分を掻き消すように、可愛らしい声が隣から聞こえてきた。
「ん……もう起きてたんやね。おはよう」
そう言って微笑む彼女に、俺は不覚にもドキっとしてしまった。
朝起きたら隣に女の子が寝ていることも、おはようと言われることも、もちろん初めてなのである。
「あ、ああ、おはよう。ゆっくり眠れたか?」
俺は若干言葉に詰まりながら言う。
「うん。でもわざわざ新しい布団用意してくれやんでも良かったのに」
少し遠慮気味にそう言う彼女だったが、さすがに俺が使っている男臭い布団で一緒に寝るわけにはいかない。
一生使うことはないと思っていたが、念のためお客様用布団を買っておいて良かったと、そう胸を撫で下ろしながら就寝の用意をしたのである。
「全然気にしなくていいよ、どうせ使うあても無かったしさ」
「それより、俺の方の自己紹介がまだだったな」
俺は寝巻きのスウェットのまま、襟を正して?言った。
「俺は鳳てつや。こんなボロアパートでいいなら、いつまでだってここに居てくれ。これからよろしくな」
「ほんま!?ありがとう!こちらこそよろしくお願いします!」
そう言ってニヘっと微笑む彼女を見て、昨日は取り乱してしまったが、起きたら隣に誰かがいてくれる生活もあながち悪くはないなと、そう思った時だった。
ーー!!
俺は突然雷に打たれたかのように立ち上がり、とても寝起きとは思えないスピードでバタバタと動き始めた。
「どうしたん?」
彼女は、全く訳がわからないといった様子で頭をかしげている。
そんな彼女を横目に、俺は焦りっぱなしの思考を必死で纏めようとしていた。
やばい、昨日あまりにも色んなことがあり過ぎて今の今まですっかり忘れていたが、今日は大事な日だったんだ……!
俺はあわてて部屋の隅にかけてあった鞄を取ると、その中にマイクとiPadを乱雑に入れた。
今日、七月三日はライブだ。
長年お世話になっている人から誘いがあり、出演を決めたのがちょうど一ヶ月前のこと。
リハーサルは13時からなのだが、俺の住んでいる東京の端っこから会場までは一時間以上かかるので、午前中には出発しないといけない。
既に時刻は10時30分を回っていた。
ちなみにリハーサルとは、ちゃんと音は出ているか?マイクや楽器の音量バランスはどうか?MCをどのタイミングで入れるのか?など、本番をきちんと行う為に、会場のスタッフさんと一緒に事前のチェックを行うことである。
「やっぱ都心に住みたいよなぁ……」
叶うこともない願望をぼやきながら急いで服を着替えると、顔を洗い、机の引き出しから取り出した卓上ミラーで髪型のセットを始めた。
普段ならたいしてセットに時間はかけないが、やはりライブの日は違う。
いつも以上にトップにボリュームを作り、サイドを流し、無造作に見せかけた髪束をワックスとスプレーで固定する。
「ふっふっふ、我ながら美容師にでもなれるんじゃなかろうか」
そんなどうでもいいことを語っていると、ふと後ろから声が聞こえてきた。
「そんなに綺麗に髪の毛整えて、今日はどっか行くん?」
彼女が布団に座ったまま、興味津々といった様子でこちらを見ている。
まだ少し髪のセットに時間がかかりそうな俺は、視線を鏡に留めたまま、冷蔵庫に貼っていた一枚のフライヤーを指差した。
フライヤーとは、イベントの詳細などが書かれた、お客さんに配る為のチラシのことだ。
「今日はそのライブで歌うんだよ。そういえばまだ言ってなかったけど、俺普段は音楽活動をしていーー
そこまで言った時だった。
後ろから只ならぬ気配を感じて振り向くと、そこには尋常ではない程に目を輝かせた彼女がいた。
「音楽!歌!!なんで言うてくれへんの!?うちも行く!!ぜーーっったい行く!!」
あまりの勢いに、セットの手を止めたまま思わずたじろぐ。
いくら歌の女神とは言え、ライブの一言にこんなにも反応するとは……。
俺は鏡の方へ向き直り、答えた。
「別にいいけど、大人しくしていてくれよ。その……ふぁ、ファンの人とかに一緒に住んでる事がバレたらまずいだろ」
一瞬声が裏返ってしまう。
「ふぁんの人?」
首を傾げる彼女に、俺はしどろもどろしながら答える。
「あ、ああ。ファンの人って言うのは、応援してくれる人のことだよ。ライブやイベントがあれば、仕事で忙しい中でも時間を作って顔を出してくれたり、応援や励ましの言葉をかけてくれる、俺たちアーティストにとっては一番大切な人達なんだ」
「ふーん、そうなんや。じゃあ、てつやのファンの人も来るん?」
彼女は至って当たり前の流れで、そう質問した。
「そう……だな。まあ、今日は、八十人ぐらいかな?うん。あれだし。祝日じゃないからな、今日は。普通の日曜日だし。ちょっと少ないかな。いつもに比べたら。うん」
全くもって必要のないくらいの量での返答に対して、そんなことは微塵も気にしていないといった様子の彼女は、先ほどと同じく目を爛々と輝かせる。
「すっごーーい!!すごいなあ!てつや!じゃあ大人しくしてる。みんなのてつやってことやろ?うちだけが独り占めしてるみたいであかんもんな」
キラキラとした目でこちらを見る彼女に、俺の心臓はキリキリした。
言うまでもないとは思うが、もちろんファンなんていない。
これが俺の十年間やってきた結果であり、現実だ。
「ま、まぁだいたいそんなところだ。わかったらそろそろ行くぞ!」
「はーい!」
俺は鏡の前で最終チェックをし、左手で鞄を、右手で自宅の鍵を取り、玄関のドアを開けた。
一旦かかとを潰して履いた靴を履き直しながらドアを開けて待っていると、白いワンピース姿に裸足の彼女がトコトコと出て来た。
ーー!?
「まてまてまてまて!!」
慌てて両手を突き出し制止する俺に、彼女はきょとんとした顔を向ける。
そうだ……思い返してみれば昨日も裸足だったじゃないか。
俺は昨晩の出来事をなぞりながら、何故気づかなかったと昨日の自分を小突いてやりたい気持ちになった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。靴は?靴は持ってないのか?」
あまり期待はしていなかったが、念の為に聞いてみる。
「持ってへんよ。なんで?裸足あかんの?」
まぁ、そうだよな……。
いや、待てよ。仮にも女神なんだからこう、いわゆる超能力的なやつでどうにか出来ないのか?
昨日も翼を出していたし、アニメとかだとかなりの確率で何かしらの能力を持っているものだからな。
そうだ、そうに違いない!
「ま、まぁ、裸足でも歩けるが、地面に何か落ちていてケガでもしたら危ないからな。それより、女神なんだろ?超能力とか神通力的な力で出せないのか?」
俺は平静を装いながらも、内心かなり期待していた。
もしそんな便利な能力があれば、これからの生活が楽になるどころか、セレブ生活も夢じゃない。
い、いや、もちろん何でもかんでも出して貰うって訳じゃないぞ。その、ちょっとだけな。ちょっとだけ。
しかしそんな俺の邪な考えなど、崇高なる女神さまはお見通しのようで。
「なんかニヤニヤしとるとこ悪いんやけど、うちてつやが期待するような能力なんかなーんにも持ってへんよ」
そう言って疑いの眼差しでこっちを見た。
おお、これがいわゆるジト目ってやつか。リアルで初めて見たが、うん。あまりされて気持ちの良いものじゃないみたいだ。
ーーゴ、ゴホン
俺はわざとらしく咳払いをした。
「ま、まぁないのなら仕方ないな。うん。道中で買って行くか。可愛いのを選んでいいぞ」
「ほんまに!?やったー!」
アニメのような展開がなかったのは残念だが、機嫌が良くなってくれてよかった。
あとは俺の評価が落ちていないことを祈るばかりだ。
「じゃあ、靴屋までは俺がおんぶしてやるよ。よし、乗った乗った」
「わーい!とうっ!」
「おっとと。こら、危ないぞ」
まるで子供だな。
これで女神さまって言うんだから驚きだ。
こうして俺たちはライブ会場に向けて出発した。
この先に待ち受ける運命など、まだ知る由もなく。