表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
契約結婚のはずが、気づけば王族すら跪いていました  作者: 言諮 アイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/9

第5章


 私は王城の一室で、大きな地図を広げてその端を指先で押さえ込んでいる。あれほど混乱を極めた王都の内乱を収め、国王や貴族たちを実質的に排除したのは、ほんの数日前のこと。

 兵士たちが私に忠誠を誓い、民衆もまた「リリア様が真の王だ」と声を上げはじめるにつれ、王都は一応の制圧状態となった。


 しかし、それは決して安息を意味しない。むしろ最悪の危機が、今まさに目の前に迫っている。砦から矢継ぎ早に届く報告はどれも同じ――ガルヴァニア帝国が、本気でこの王都を攻め落とそうとしているのだ。


「帝国軍の数は、およそ二百万……」


 震えるような伝令兵の声を思い出しながら、私は地図に視線を落とす。二百万など常識を超えた大軍だ。未曾有の猛威が、すぐそこまで押し寄せている。


「今の王国軍は、王都に駐留していた兵士を取り込んでも十万程度……」


 手元の地図に描かれた各方面の部隊配備を見ると、数の差は絶望的だ。しかも、帝国が本格的な侵攻を決めたということは、こちらの内乱による混乱を見て「今が好機だ」と判断したに違いない。

 広い部屋の中には、私のほかにアレクシスやクラウス、そして各部隊を率いる指揮官たちが集まっている。皆、一様に疲れた面持ちをしているものの、その目は闘志に燃えている。


「王都を制圧したばかりで、まだ内部の整理もままならない状況です。帝国軍が攻めてくれば、正面からの防衛は到底持ちこたえられないでしょう」


 そう言うのは、かつて王都側の騎士団に属していた指揮官だ。腐敗貴族が居座っていた頃とは違い、今は私たちのもとに下る者も少なくない。けれど、その大半が内乱や過酷な防衛戦で消耗しており、二百万という圧倒的な兵力を相手にするには心許ない。


 アレクシスは地図から顔を上げ、険しい視線を私に向ける。

「最初から正面決戦を挑むつもりはない。……お前はどう考えている?」


 私は小さく息をつき、胸の奥に渦巻く不安を押し込めながら答える。

「この国の兵力では、一度に正面からぶつかれば瞬く間に呑み込まれます。まずは城壁を活かして相手の前進を止め、各所で包囲やゲリラ戦を仕掛けて少しずつ削るしかないでしょう。……ただ、それだけでは勝ちきれません。皇帝が直々に率いている以上、簡単に退却もしてくれないと思います」


 言い終わるか否か、そこへ息を切らした偵察兵が入ってくる。

「帝国軍の先鋒がすでに王都の外縁部まで到達しました! 数は増え続けており、街道一帯を完全に封鎖している模様です!」


 部屋の空気が一気に張り詰める。クラウスが剣の柄に手をかけ、低く唸る。

「ここまで早いとは。……リリア様、今こそあなたの指揮が必要です」


 彼のまっすぐな眼差しを受け止めながら、私は頷く。腐敗した王がいなくなった今、指示を下せるのは私以外にいない。アレクシスやクラウス、そして兵士たちの期待がずしりと肩にのしかかる。


 ――だけど、もう逃げるわけにはいかない。私は剣を握りしめ、改めて言葉を発する。

「まずは城壁を死守し、帝国軍の動きを封じ込めましょう。そこで抗戦しながら、可能な限り敵の陣形を乱し、兵糧や補給路を断つ工作をします。圧倒的な数に対抗するには、あくまで“消耗戦”を強いるしかありません」


 とにかく正面から迎え撃てば、一瞬で敗北しかねない。だからこそ、城壁や地形を存分に活かし、敵の進撃を鈍らせながら数を削る作戦を取る。だが、クラウスは苦い表情を浮かべる。


「とはいえ、二百万……いくらこちらが要塞化した王都に立てこもっても、総攻めをかけられれば数日ももたないでしょう。事実上の籠城戦になりますが、内部にはまだ貴族派の残党もいる。長期戦になるほど不利が増す可能性があります」

「確かに……」


 私は思わず沈黙する。外からは帝国軍が迫り、内には王家に近い貴族の残党や反乱分子がまだ潜んでいる。圧倒的な大軍を城塞でどれだけ防いでも、いずれ内側から崩されかねない。


 アレクシスが机に両手をつき、厳しい口調で促す。

「これ以上手をこまねいている時間はない。お前の“王威の審判”――あの力で戦局を打開できる可能性はあるのか?」


 その問いに、私は躊躇する。確かに、“王威の審判”によって帝国兵や騎士たちをひれ伏させることができれば、圧倒的な数の差を一瞬で埋められるかもしれない。けれど、あの力は私が意図して自在に操れるものなのか、まだ自信がない。


(だけど、どうにかしなくては国が滅びる)


 私の沈黙を見かねたのか、アレクシスは目を伏せて短く息を吐く。

「だが、それに頼らなければ二百万の軍勢を相手にするのは現実的ではない。少なくとも、皇帝ルキウスを討ち取る手段として、お前の力は必要だ」


 クラウスも視線を落としながら、今にも拳を握りしめそうな面持ちで言う。

「無謀と分かっていても、他に道はありません。私たちはリリア様に賭けるしかない。もちろん、我々も可能な限りサポートします」


 まるで“背を押された”ような感覚に襲われながら、私は意を決して顔を上げる。

「分かりました。……私も覚悟を決めます。あの力が本当に王国のためにあるのなら、私はこの国を守り抜くために使ってみせる」


 そう宣言すると、部屋を満たしていた重苦しい空気がわずかに動く。全員が私の言葉に目を向けている。


「ただし、一つだけ。兵士たちには彼らの命を無闇に捨てるような戦いはさせたくありません。できる限り、民衆にも被害が及ばないように守りたいと思っています」


 アレクシスが静かに目を閉じ、口元を歪める。

「お前の甘さだと言う者もいるだろう。だが……俺も、その意志を否定するつもりはない。どうせ死闘になるのは目に見えている。せめて余計な犠牲は減らしたい」

「ありがとうございます」


 私は彼の横顔を見つめながら、胸に高まる感情をこらえる。昔から「冷酷」と呼ばれた男の底にある優しさを、今ははっきり感じられる。


 こうして私たちは大軍相手の迎撃態勢を整え、王都の城壁や主要な門に兵を配置する。民衆の避難を急ぎ、地下や安全な区画へ移動させると同時に、物資の確保も進める。短い時間でできる限りの準備を行い、とうとう帝国軍との大決戦に臨む瞬間がやって来た。


 夜明け前、冷たい風が王都の壁を撫で、空に薄紫の光が差し始める頃――敵軍の重厚な足音が地を揺らしながらこちらへ近づく。遠方の空には真っ赤な朝焼けと黒い煙が入り混じり、まるで戦場の凶兆のようだ。

 城壁の上から見下ろすと、果てしなく続く人と馬と兵器の列が、王都をぐるりと囲むように動いているのが見える。旗にはガルヴァニア帝国の紋章が刻まれ、中央付近では堂々とした軍馬に跨がる人物の姿――おそらく、皇帝ルキウス・ガルヴァニアだろう。


「あれが……“黒獅子皇帝”……」


 指揮官の一人が震える声で呟く。私も喉が乾いて仕方ない。かつて帝国最強の騎士と恐れられたレオンハルトでさえ、あの皇帝の足元にも及ばないほどの威光を放つ相手だと聞く。

(それでも、どうにかしなきゃいけない)


 私は勢いをつけて城壁の端まで歩み寄り、下の帝国軍を一望する。こちらが動く様子を見て、敵兵たちの一部がざわざわと囁き合う。すると、一際強い声が響き渡った。


「リリア・エヴァレット! 貴様がこの国の新たな王などと噂されているが、さぞ良い度胸だな!」


 それは、ルキウス・ガルヴァニア皇帝の声に違いない。彼の声には冷たい激情がこもり、城壁の上まで確かに届いてくる。私は息を呑みつつも、負けじと声を張り上げる。


「あなたが帝国の皇帝、ルキウス・ガルヴァニアですか。 私たちは、あなたたちの支配を受け入れるつもりはありません。この王国は私たちの手で守ります!」


 すると、ルキウスの口元がわずかに歪むのが見える。帝国兵たちにも緊張が走り、兵器が軋む音が一斉に響く。地鳴りのように足並みが揃い、いつでも総攻撃をしかけられる状況だ。


「ならば、その力を見せてもらうとしよう。……王都ごと潰してでも、お前を屈服させる!」


 まるで宣戦布告の合図のように、帝国兵たちが鋭い鬨の声を上げ、一気に前進を開始する。

 ドドドド……と大地を揺らすような足音が近づき、弓兵や魔術師が城壁を狙って矢や火球を射出してくる。私たちの兵も応戦し、城壁の上から矢を放ち、投石器で反撃する。


 空が一気に唸りを上げる音で満たされ、爆発の閃光と火の手が城壁のあちこちに散る。私はアレクシスやクラウスと共に城門付近へ急ぎ、兵たちに指示を出す。


「魔術師部隊は集中して敵の前線を狙ってください! 城門が破られないよう、騎士隊は緊急時にすぐ駆けつけられる位置で待機を!」


 敵は圧倒的な物量で正面から押し寄せる一方、側面や背後へ回り込む機動力にも長けている。城壁の外周に散開する帝国兵が次々と攻城兵器を持ち込み、遠距離から攻撃を重ねてくる。


「なんて数だ……王都を囲む城壁全体が火の海になるぞ」

「負けるものか……!」


 兵士たちが必死に矢を放ちながら叫び、隙を見ては小規模な出撃を繰り返す。しかし、敵の陣形は乱れず、私たちが削る数よりも早く増援が続々と押し寄せてくる。

 やがて、城門に迫る巨大な破城槌が視界に入り、私は焦りを隠せない。もし城門が破られれば一気に市街地へ雪崩れ込み、民衆が大惨事に巻き込まれる。


「私が行きます。少しでも敵の破城槌を止めます!」


 そう決意して馬に飛び乗ろうとしたとき、アレクシスが私の腕を掴む。

「待て。無茶をするな。あそこには帝国の精鋭部隊が配置されている。単独で行けば囲まれるだけだ」

「でも、放っておけば城門が破られます。そうなったら人々の避難も間に合いません!」


 アレクシスは苦々しい表情で舌打ちをし、私の剣を掴んで力強く押し返す。

「分かった。俺が先行して敵の守りを崩す。その間に、お前は“王威の審判”を意図して使えそうか試すんだ。お前がただ剣を振るうだけでは、この数を止めきれない」


 彼の言葉には苛立ちと焦燥が混じっているが、それも当然だ。私一人の剣技では何十人、何百人を倒せても限界がある。しかし“王威の審判”であれば、帝国兵たちを一気に膝つかせる可能性がある。


「……分かりました。やってみます」


 私が息を整え、心を落ち着かせると、アレクシスはうなずいて馬を駆る。彼の背に続いて、私も覚悟を決めて前線へ踵を返す。


 すぐに視界に入るのは、破城槌を囲むように警護する屈強な帝国兵たち。アレクシスが最前線で剣を振るえば、敵の中央が崩れかけるが、すぐに別の部隊が補充される。

 血と炎が入り混じった光景の中で、私の鼓動が耳鳴りのように響く。


(私に宿る力が本当に“王威の審判”なら、ここで役立たなければ何の意味もない。どうすれば自在に使えるの?)


 思い出すのは、初めてその力が発動したときの感覚。胸の奥から沸き上がる熱と、周囲に広がる金色の輝き――私の中にある“建国の女王”の血が、世界を支配する威光として顕現した。

 破城槌が城門まであとわずか数十メートル。帝国兵たちが雄叫びを上げる中、私は馬を降りて地面を踏みしめる。


(恐怖に負けるわけにはいかない。私はこの国のために、剣だけではなく“王威の審判”を使う!)

 渾身の意志を込めるように、私は声を張り上げる。


「止まりなさい! あなたたちの進軍は、ここで終わりです!」


 すると、一瞬だけ周囲の空気が凍ったような錯覚に陥る。帝国兵たちが何事かと私に注目し、その隙を突いてアレクシスやクラウスが敵の部隊を斬り崩していく。

 私は集中し、胸の奥であの熱い奔流がうずくのを感じる。ゆっくりと呼吸を整えると、身体の中に金色の光が芽生え、剣先へ伝わっていくのが分かる。


「……これが、王威の審判……」


 呟いた瞬間、私の視界がふっと光に満ち、剣から迸る金色の輝きが周囲を照らす。破城槌を押していた帝国兵たちが驚愕の声を上げ、動きを止める。


「な、なんだ、この力は……!」

「足が震えて……動けない……」


 まるで私の存在そのものが、圧倒的な王の権威となって敵兵の意識を縛りつけているようだ。さらに、周辺にいた兵たちの中には膝を落とし、武器を放り出す者も現れる。


「す、すごい……」


 近くにいた味方兵士が息を呑む。私自身も恐ろしさを感じるほどの力だ。けれど、この機を逃すわけにはいかない。


「今が攻め時です! 破城槌を壊してください!」


 私が叫ぶと、アレクシスやクラウスがすぐに動き、帝国兵たちの混乱を突いて一気に破城槌を破壊する。金属と木材が砕け散る音が周囲に響き、帝国の先鋒は大混乱に陥る。

 けれど、ここで終わりではない。金色の光が私を包んだまま、さらに多くの兵が私に目を向け始める。

 ――そのとき、戦場の奥から重い足音が近づいてくるのを感じる。


「ふん、これが“王の力”か……なかなか見応えがあるな」


 一際低く響く声。それは、皇帝ルキウス・ガルヴァニア。

 私の周囲に膝をついていた兵たちが、彼の姿に気づくと恐れと共に道を開ける。彼は黒い鎧を纏い、猛獣のようなオーラを放っている。彼の瞳がこちらを捉えた瞬間、背筋に冷たいものが走る。


「貴様がリリア・エヴァレットか。確かに見るからに尋常ではない力だ。だが――俺を屈服させられると思うなよ」


 彼の声だけで空気が震え、私の金色の光がわずかに揺らぐのを感じる。まるで皇帝自身も、私と同質の威光を持っているかのようだ。ルキウスが私に向けて剣を抜き、凄まじい圧力をぶつけてくる。

 アレクシスが即座に皇帝と相対する位置を取り、剣を構える。


「これ以上、国を踏みにじる気なら、俺たちが斬ってやる!」


 しかしルキウスは鼻で笑い、アレクシスを一瞥しただけで視線を私に戻す。


「辺境伯アレクシス、貴様の名も聞き及んでいるが……俺が欲しいのは、そこの女の力だ。まさか本物の“建国の女王”が蘇るとは面白い。……リリアよ、その力を帝国に捧げるならば、今すぐにでも王国を併合してやるぞ?」


 その傲慢な言葉に、私は強く息を吸う。皇帝は最初から王国を属国どころか、完全なる支配下に置くために動いている。ここで私が折れれば、この国は名実ともに帝国の手に落ちるだろう。


「私は……あなたに膝を屈するつもりはありません。この国を守るために戦います」


 そう言い放つと、ルキウスの目が鋭く光り、ほんの少し口元が吊り上がる。

「ならば、力ずくでねじ伏せるしかないな」


 その瞬間、彼が剣を振りかぶると、空気が裂けるほどの衝撃が走り、私の金色の光が弾き飛ばされそうになる。思わず後退しかけたところを、アレクシスが盾のように立ちはだかって受け止める。


「くっ……なんて力だ……」


 アレクシスですら唸る威圧感。周囲の兵士たちが逃げるように距離を取る。私は歯を食いしばりながら、再度あの力を高めようとするが、皇帝の激しい殺気に邪魔され、なかなか思うように光が広がらない。


「これが……帝国皇帝の力……」


 思わず声が震えそうになるが、それでも退いてはならない。私は剣を両手で握り、皇帝へと突き進む。アレクシスと息を合わせて斬撃を繰り出すが、皇帝は的確に捌き、こちらの動きを封じようと剣圧を浴びせてくる。


「悪くはないな。だが足りん。まだ足りんぞ!」


 彼の嘲笑混じりの声が耳に刺さり、私たちの攻撃はことごとく防がれる。周囲では帝国兵が体勢を立て直し、再び王都兵に攻撃を仕掛けはじめる。数的劣勢は未だ圧倒的。せっかく破城槌を壊しても、どこか別の箇所が突破されれば同じことだ。


(このままでは……)


 焦りが胸を焼き、私は荒い呼吸を整えようとするが、ルキウスの圧力が強く、金色の光が濁ってしまうように感じる。アレクシスは必死に皇帝と渡り合おうとするが、剣戟の音が彼の劣勢を物語っているようだ。


 ――そのとき、周囲から必死の声が上がる。

「リリア様、負けないでください! あなたこそが真の王です!」

「頼む……民を救ってくれ……!」


 兵士や民衆が城壁の上や路地から私を呼ぶ。私がいなくなれば、この国は帝国に飲み込まれてしまう。自分自身もそう思うと、再び胸に熱い鼓動が宿り始める。


「私は……あなたのような暴虐な支配者に、絶対負けはしません!」


 その叫びと共に、私は目を閉じてもう一度あの光を呼び起こそうとする。今度は恐怖や焦りではなく、“守りたい”という気持ちに意識を集中させる。すると、剣から金色の輝きがさらに強く広がり、皇帝の放つ闇のような威圧感と拮抗しはじめる。


 ルキウスが目を見開き、険しい表情になる。

「ふん、まだ力を秘めていたか。面白い……!」


 私の足元を中心として大地が震え、周囲の瓦礫や粉塵が弾かれたように舞い上がる。私は両腕に走る痺れをこらえながら、アレクシスの背中越しに皇帝を睨む。


「アレクシス様……一緒に斬り込みます!」


 彼は息を乱しながらも、小さく頷く。

「当然だ。俺の剣は、お前に預けるつもりでここにいる」


 その言葉にわずかに胸が熱くなり、私は剣を振りかぶる。金色の光が強く輝き、まるで空を裂くように閃光が走る。皇帝ルキウスの周囲の兵がたまらず後ずさりし、ルキウス自身も防御体勢を取る。


「行くぞ……!」


 アレクシスの声に合わせ、私たちは同時に踏み込む。閃光と黒い剣圧が激突し、周囲の兵が悲鳴を上げて散り散りになる。視界が白に満たされ、一瞬、自分でも何が起こったのか分からない。


 激しい衝撃音が遠ざかり、次に私の耳に届くのは帝国兵たちの混乱したざわめきだ。煙が晴れてくると、皇帝ルキウスのそばには裂けた地面と倒れ伏す兵士たちが散乱し、ルキウス自身は鎧に大きな亀裂を抱えながらこちらを睨んでいる。


「確かに……侮れんな。だが、まだ終わりではない……!」


 皇帝の声音に、怒りとわずかな苦痛が入り混じっている。こちらも消耗が激しく、息を切らしてしまう。だが、今回の衝突でルキウスを追い詰める糸口は見えた。


 戦場のあちこちで炎と煙が立ち昇り、兵士たちの絶叫がこだまする。もし私が次の一撃を繰り出すことができれば、あるいは皇帝を討ち取ることもできるかもしれない。

 けれど、後方から王都兵の必死の声が飛び込む。

「リリア様、城門の一部が破られました! 早く支援を!」「帝国兵が街に雪崩れ込んでいます!」


 このまま皇帝との戦いに集中すれば、街の民衆を守れなくなる。かといって、ここで皇帝を逃がせば、あの莫大な兵が再び体制を立て直して襲いかかってくるかもしれない。


「くっ……どうすれば……」


 焦る私の横で、アレクシスが苦悶の表情を浮かべる。

「奴をここで仕留められれば、帝国軍の指揮系統は混乱する。だが、時間をかけていれば街が壊滅する……」


 まさに究極の選択。私は唇を噛み締めながら、迷いに揺れる気持ちを振り払おうとする。しかし、その一瞬のためらいを見逃すはずもなく、皇帝ルキウスが大きく剣を振りかぶる。


「甘いな、リリア・エヴァレット! その優しさが、お前の命取りとなる!」


 冷えた声が聴こえた刹那、皇帝の黒い剣圧が私とアレクシスに一気に迫る。凄まじい衝撃を受け、私たちはどうにか耐えながら後退するが、足場が崩れ、瓦礫が降り注ぐ。

 視界がもうもうとした砂煙で覆われ、アレクシスやクラウスの姿も見失いかける。ここで後手に回れば、皇帝の猛撃をまともに食らってしまう。


(やるしかない!)


 乱れそうになる思考を必死にまとめ、私は胸の奥にある“王威の審判”を再び高めようとする。民を救うには、皇帝を討ち取るしかない――頭では分かっているのに、恐怖と躊躇が同時に押し寄せる。


 そんな私の耳に、どこからか兵士の声が届く。

「リリア様、王都の人々があなたを信じています! 帝国に支配されるくらいなら、あなたと共に戦い抜きたいと!」


 どこかで泣き叫ぶような子供の声もする。燃え広がる火の中で、家を失った人々がいるのだ。私は唇を噛み締め、悲嘆と怒りが混ざり合った感情を吐き出す。


「私はこの国の民を、絶対に守る!」


 叫んだ瞬間、私の身体を金色の光がさらに強く包み込み、周囲の埃と炎を吹き飛ばすほどの輝きが立ち上る。皇帝が「なっ……」と息を飲む気配を感じ、アレクシスやクラウスが私を見つめる視線も感じる。


「あなたを野放しにはできません。ここで決着をつけます!」


 私は剣を握り直し、光の奔流と共に皇帝へと突進する。廃墟と化した大地を踏みしめ、敵兵が悲鳴を上げて逃げ惑う中、皇帝だけはその場から動かず、険しい目で私を見据えている。


「ほう……ならば、やってみろ!」


 彼の黒い剣が再び唸りを上げ、私の金色と激しく衝突する。絶望的と思えた戦力差を、この一撃に賭けて覆すのだと、私は己を奮い立たせる。剣と剣がぶつかる衝撃が身体中を貫き、血の気がぐらりと引くような痛みに襲われる。

 だが、それでも退かない。この国を滅ぼさせないためには、どうしても皇帝を倒すしかないから。――金色の閃光と黒い剣圧が激しくせめぎ合い、戦場は光と闇の境目が揺れ動く。


(私は……勝つ!)


 私の叫びに呼応するかのように光がさらに広がり、皇帝の鎧がきしむ音が聞こえる。周囲の帝国兵たちは完全に恐慌状態に陥り、指揮系統が乱れ始める。

 皇帝の目に苦痛の色が一瞬だけ走り、その刹那、私たちの間を覆っていた光と闇が爆ぜるように弾ける。私は衝撃波に押し飛ばされ、地面を転がってしまうが、すぐに両手をついて顔を上げる。


 煙が薄れる中、皇帝が膝をつきかけているのが視界に入る。彼の剣先は地面をかすめ、鎧から血のにじむような音が聞こえる。どうやら深手を負わせることには成功したらしい。アレクシスとクラウスが息を切らして駆け寄ってくる。


「リリア、今が……!」


 そう言いかけた彼らの声に重なるように、皇帝が荒い息を吐き出す。

「まだ……終わっては……いない……」


 その言葉と同時に、遠方で勢いよく響く敵軍の喚声が背後を襲う。見れば、新手の帝国兵と思しき部隊が戦場に押し寄せてきている。


「まずい、敵の増援だ!」


 アレクシスの低い唸りが聞こえ、私も胸が痛むほどの焦りを感じる。皇帝をここで倒し切れれば戦況を一気に変えられるはずなのに、周囲から敵軍が迫ってきているため、止めを刺す隙が作れない。


(ここで皇帝を逃せば、戦いは長引き、王都はさらに傷つくかもしれない。でも、もし私たちが足止めを食らいすぎれば、街に残る兵や民が……!)


 混乱する頭の中で、私は必死に次の一手を探す。クラウスが苦渋の表情で、周囲の戦況を睨みながら叫ぶ。

「リリア様、今は街を救うのが先です! このままでは、一般市民が巻き込まれます!」


 アレクシスも鋭く視線を巡らせ、苦々しげに唇を噛む。

「くそ……皇帝を仕留められる好機だが、この人数を相手に粘っていれば、街が火の海になるだけだ」


 そんな彼らの声を耳にしながら、私は皇帝を見据える。あの漆黒の鎧には深い裂傷が走り、血がぽたぽたと地面に落ちている。苦痛のあまりか、皇帝はよろめきながらも剣を支えに立ち上がっているが、先ほどまでの圧倒的な威圧感は薄れているようにも見える。


(今なら、皇帝自身は動けないかもしれない。でも敵の増援が……)


 そのとき、皇帝の背後に駆け寄る帝国兵の姿が目に入る。どうやら、重傷を負った皇帝を守るために駆けつけた部隊らしい。兵たちが一斉に皇帝を囲むように立ちふさがり、こちらを警戒している。


「リリア、周りを見ろ! 敵の大部隊が合流し始めている……!」


 アレクシスの声に振り向くと、火の海の向こうに、さらに帝国の予備軍らしき人影が幾重にも連なっているのが見える。私たちも味方兵士が少なからずいるが、負傷者も多く、混乱が続く王都をこれ以上荒廃させないためには無理な突撃はできない。


「仕方ない、ここは一旦……」


 私がそうつぶやきかけたとき、敵軍の中から指示を飛ばす声が届く。

「皇帝陛下がご負傷だ! このまま突撃を続行するわけにはいかん。全軍、陛下を護衛しつつ撤退する!」


 その場にいた帝国兵たちがざわめき、背を向けて退き始める。よほど皇帝の状態が深刻なのだろう。先ほどまで猛攻を仕掛けてきた帝国兵が、続々と戦線を離脱しはじめた。


「……引いていくのか」


 アレクシスが忌々しそうに唇を噛む。クラウスも落胆の色を浮かべつつ、しかし安堵も混じるような顔をしている。確かに、このまま皇帝を逃がせば、いずれまた戦火が及ぶ可能性はある。だが、一度に大部隊を相手にしながら皇帝を捕らえるのはほぼ不可能だ。


「追撃はどうしますか、リリア様?」


 クラウスが私の指示を仰ぐように問いかける。私は視線を遠くへやり、後退する帝国兵の背を見つめながら、歯がみする。取り逃がしたくはないが、これ以上の混戦が続けば民衆の被害が拡大してしまう。


「……仕方ない。今はこれ以上街を壊すわけにはいかないわ。まず民衆を救うのが先。増援を相手に追撃したら、こちらも被害が甚大になる」


 悔しさがこみ上げるが、私は無理な追撃を断念する。視界の端には、深手を負った皇帝を守ろうと必死に動く帝国兵の姿がある。あれほどの強敵をここで倒せる機会を逃すのは痛いが、街を放っておけば犠牲者が増えてしまう。


「皇帝を取り逃がすことになるが……仕方ないな」


 アレクシスが苦い表情で呟き、クラウスもうなずく。敵増援が意外なほど素早く皇帝を囲い込んだせいで、こちらは決定打を打つ機会を完全に奪われた。

 ほどなくして帝国兵は隊列を再編し、皇帝を護りながら城門の外へと退却していく。激しい攻防を繰り返していた王都のあちこちで火が燃え盛っているが、最悪の全面衝突は避けられた形だ。


「……みんな、まずは消火と救出を優先させて。帝国軍がまだ残っている可能性があるから警戒もしっかり!」


 私は兵士たちに呼びかけ、街の混乱を収めるための指示を出す。人々の悲鳴がそこかしこで聞こえ、倒壊した建物の下敷きになった負傷者も少なくない。その一方で、敵軍は皇帝が負傷したことで大規模な攻撃を維持できなくなり、結果的にこの場から撤退していくのが見える。


「まさか、こんな形で敵が退くなんて……」


 クラウスが慨嘆するように息を吐き、アレクシスは険しい瞳で遠くを睨みつけている。私もまた、深手を負いながら逃げ去っていく皇帝の姿を視界に焼きつけるかのようにじっと見つめた。


(今は仕留められなかったけれど、ここで民を救うことが最優先……。次に彼がどんな策を練ってこようとも、この国を守り抜く覚悟はできている!)


 喉の奥に苦い思いが広がるが、それでも私は踏みとどまる。もしあの皇帝が本格的に軍を立て直してくるなら、次の戦いに備えねばならない。


「リリア様、街の救援に向かいましょう。辺境伯領からの増援も呼び寄せれば、火災は鎮圧できるはずです」


 クラウスの言葉に顔を上げ、私は短くうなずく。アレクシスも「了解だ」と低く声を震わせる。


 こうして、皇帝ルキウスとの決戦は不完全なまま幕を閉じた。深手を負わせながらも取り逃がす結果となり、私たちも被害を受けつつぎりぎりの防衛に成功した形だ。街の火災を食い止め、民衆を守りながら、私は改めて剣の柄を握りしめる。

 今はこの王都を守り、民の命を救うことが最優先だ。――いつかまた皇帝と対峙する日が来るとしたら、その時こそ彼を止めてみせる。


 乱れた呼吸を整えながら、私は瓦礫の煙が舞う戦場を見やる。焼け崩れた城門や折れた尖塔の向こうには、帝国軍の背中が遠ざかっていくのがかすかに見える。

 そこにはまだ決着を迎えられなかった宿命の残滓が漂っているが、次に相まみえる時まで、この国を必ず立て直してみせる。


「行きましょう、みんなを助けに……!」


 私の号令に応じ、アレクシスやクラウス、そして兵士たちが動き出す。煙と焦げくさい風の中、今は追撃ではなく街の再建に尽力すべきなのだ。私は剣を収めながら、火の手が広がる路地裏へ駆け出す。


 ――戦いはまだ終わっていない。この国を守るための戦乱は、次の局面へと移っていく。深手を負った皇帝が退くことで、一時的な休息が訪れるかもしれない。しかし、それはまた新たな戦いの序章でもあるのだ。



面白い/続きが読みたい、と感じて頂けましたら、

ページ下の【☆☆☆☆☆】から評価をお願いします!

ブックマーク、感想なども頂けると、とても嬉しいです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ