エピソード1 引きこもりの魔法使い(2)
一年が経過した。
新しい村の建物はまだ全部完成していないし、農地も割当の半分くらいまでしか再開墾が進んでいない。それでも前の村より多めの面積を農夫は面倒を見ていた。
冬を越えられずに村の老人はほとんどが死んだ。子供たちもかなり犠牲になった。農夫の家からも妹二人の姿が消えた。売られて行方がわからなくなったのは器量のいいほうで、それほどでもないほうは村の別の家に嫁として送られた。交換に農夫に嫁がきた。こちらは比較的器量のいい娘で、少々とろいことを除けば働き者で農夫の両親も喜んでいた。半年後には子供も生まれるだろう
この妻を通じていくつか彼は発見をしていた。
プレイヤーと彼らの間には言葉は通じないし、スキルの制限もまるで違う。だが、共通していることもいくつかあり、それは服役囚でも入手できるということだ。だからといって彼らに正面きって対抗できるべくもないのではあるが。
驚いたのは夜の生活である。ゲームの男に都合のよい女の要素が彼女には備わっていた。明らかにプレイヤーのお楽しみ用であろう。再生タンクにつけ込まれすべての感覚をこちらに預けている彼らとちがってプレイヤーのそれは疑似的なもので弱いらしい。多少演出過剰なところもあった。彼の知る女は前の人生の愛人だけだがそれとほぼ同じであることが確信となった。
それほど長くではなかったが、彼を兄とよんでしたってくれた少女二人にも同じ仕組が入っているのかと思うと、農夫は複雑だった。彼女たちがロールプレイをしているだけの人口知能であることは知っているが、それでも情をもつなというのは難しい。
この一年の間に彼は文盲ではなくなっていた。スキルは1だが、読み書きが身に付いている。方法は自分でも知ってる着火と水浄化の呪文、それに悪用可能なので新参には教えなかったが夜目の魔法のところを意味、共通する文字を拾い上げ、まずは文字を覚えたのである。
時間は寝る前に夜目のきれる二時間だけ。書き付ける紙などないので板に手製の筆でかきつける。念のため、日本語でかいたのでこっちの人間には読めないだろう。
習得した魔法は前の人生で便利に使っていた物理エンジン干渉系。重力を切る、わずかな慣性を与える。摩擦係数をなくす。要するにもの運びに便利なものだ。これらの魔法くらいしか服役囚のスキルで使えそうなものはない。ランク2の炎の矢とかも出せるが、正直、そんなしょぼい攻撃魔法を使うくらいならもっと消耗の少ない矢作りの魔法で普通に弓を使ったほうがましだといわれている。
そんなレベルの魔法でも一般人相手なら十分脅威になる。徒党を組んだ服役囚が盗賊団を結成し、しばらくあばれた末に討伐されることもあった。
農夫は覚えた魔法を開墾に用いていた。割当個所は半分の時間で普通の一日分を開墾し、森の奥の盆地に秘密の畑を拓いたのだ。そこで作るものは商品価値はあっても食べるのには適さないものにした。香辛料や薬草類、麻である。
あの新参は結局おいついてこなかった。運悪く力つきたのか、回復後、違うところへ幸運を探しにいったのか、それはわからない。農夫はあまり気にしなかった。
心配された魔物の気配はなく、村の再建は順調だった。ずいぶん昔にここを捨ててあそこに逃げたときには当時の領主と何らかの軋轢があったはずだ。今後もないとどうしていえよう。村人は一抹の不安をかかえていた。
そんなある日、農夫は不意に袖をひっぱられた。振り向くと、背も縮み、腰もまがったかなり高齢の老人が見上げている。よくあの山道を越え、冬を乗り越えたものだ。
「孫と最後におうとったのはお主じゃろう」
あの新参のことだった。頼み事があると老人は言う。
「あの子は死んだものとあきらめることにした。ついては形見の品を先祖の墓にもっていってくれんかの。このとおり、お願いじゃ」
明日をも知れぬ老人がぷるぷる拝み頼んでくるものだから農夫も断るわけにはいかなかった。
形見は子供のころに遊んだ人形。届ける先は農夫の秘密の畑よりもう少し奥まったところだった。老人が自分か家族に行かせたら発見されたかもしれないと、彼はひやひやした。
「古い祠だが、大魔法使いだったご先祖の魔力で奇麗に維持されてるはずじゃ。そこに置いてきてくれればええ。わしにはわかるし、あんたにもええことがあるぞ」
農夫は信じていなかったが、魔法使いの祠ということで興味をもった。
「置いてくるだけでいいんだね」
「うむ。ただ、祠の中には入らんように。ご先祖が守護者をおいてるから命がいくつあってもたらないぞ」
(隠しダンジョンとかなのかな)
農夫の中の人物は思った。
わかった、といった彼は翌日早速行ってみた。遠目にはまるで見えなかったのはやはり魔法なのだろうか。近づけば不意にその祠は現れた。露頭を削ってつくった磨崖寺院でかなり立派なものだ。扉はなく、内陣にはいるとひんやりした中にぽつんと祭壇がある。それ以外にあるものといえば、両側にならんだ丈二メートル越えの石像四つと、奥があるらしい三メートル四方の扉。
「あの扉をあけようとすると、この石像が動くのかな」
確信に近い予感があって、彼はあずかった人形を祭壇において立ち去った。
「いいことってなんだろうね」
その夜、いつもの魔法書の勉強をやろうとしたときにそれはわかった。
「字が、読める」
それまでの努力で、半分くらいは拾えるようになっていた。それが完全に読めるのだ。しかも魔法の教師に教わらないとわからない魔術語まで。
確かめると、読み書きのスキルは6、これに古代語2、魔術語3がついていた。
「ボーナスイベントだ」
これも共通要素だったのか、と農夫は驚いた。読み書きが6にもなったおかげで、これまで畑仕事4が最上位で称号も農夫だったのが、今は書記に変わっている。
そう、これから彼は書記だ。
それからさらに半年がたった。男の子が生まれ、書記の一家は喜びにつつまれた。畑の開墾は終わったし、妻もしばらく休んでからは赤子を背負って畑に出るようになった。
魔法の習得も進んだ。物理演算に干渉する魔法の次に彼が手をつけたのが、短時間ゴーレムを呼び出して使役する魔法である。彼の魔法スキルは3に達していたが、それ以上の伸びは期待できなかった。3で使える魔法でも普通の者には脅威であるがプレイヤー、あるいは高レベルのNPCにはかなわない。彼は隠し畑の作業を行わせるために覚えることにしたのだ。
順風満帆であった。妻は単調なところはあるが、男の夢がつまったような愛らしさをもち、ほどなく二人目を懐妊した。
好事魔多しという。このまま穏やかにこの人生を楽しみながら刑期を終えられるかと思った矢先、それは起こった。
そのとき、書記は隠し畑にいた。仕事はゴーレムがやっている。その時は新しい作業をやらせていたので、間違えたら教え直すためにいつもより時間をかけて見ていた。見ながら彼は魔法書のページをめくっていた。
妙だな、とふと思って村のあるほうを見ると、薄く黒い煙が広がっている。
「火事だ」
火事のときに消火にかけつけないと面白くないことしか起こらない。書記は魔法書を懐になげこむと村へと急いだ。
異常を感じたのは自分の畑に通じる踏みわけ道をあと数メートル残すというところだった。
「なんだこれは」
見慣れない武装した男たちが武器を手に二、三人走って行く。村の建物はどれもこれも火が放たれている。よく見るとあちこちに倒れた人もいる。
「野盗」
そう思えば、先ほどの男たちはいかにもそんな感じに思えた。家族のことを思い出して書記は駆け出しそうになったが、恐ろしく冷静で、そして臆病な彼自身がもう手遅れであることを確信させていた。
野盗たちは村の広場に集合したようである。村長がつかう壇に誰か立ったのを書記は見た。
「あいつは、」
いかにも山賊風の毛皮のコートをひっかけているが、遠目にもわかる癖と特徴ですぐに分かった。
「あのときの騎士か」
何か演説かんなにかをしているが遠くてよく聞こえない。野盗たちがげらげら笑っているのは聞こえる。
書記は彼らが去るのを息を殺して待った。待つしかできなかった。本来彼は慎重で臆病で、そのくせのめり込むたちの人間である。今ここにいるのもそのせいだ。無力な人間にできることといえば、よけいなことはせず運を信じて身をひそめること。つまり、運が悪ければおしまいということだ。
ゴーレム作成を覚えたときに土の操作を覚えて畦の修理などに活用していたのが幸いした。
書記は周辺を木や下生えごともりあげてせまい土塁を作った。不審に思って近づいて、のぼって覗き込まれるまではばれないだろう。
野盗たちは生き残りを探したり奪えるものはないか、焼け跡や燃え残った建物を物色したりしていたが、騎士から何か渡されると三々五々解散しはじめた。向かう方向はばらばらだ。
その一グループがすぐ側を通った。息を殺す書記の耳に彼らの話し声が聞こえた。
「この後どうする? 」
「女抱きにいこうぜ。ここじゃそんなことさせてもらえなかったからな」
「旦那はなるべく早く、遠くに行けといってなかったか? 」
「なあに、ちょっと楽しむくらいなら大丈夫だよ」
典型的すぎる悪党どもだ。
(この中に服役囚はいないようだな)
息を殺す彼のわきを野盗たちは通りすぎていった。
最後に残った騎士がひらりと馬にまたがり蹄の音高く立ち去っても書記は動かなかった。
しばらくすると抜剣した騎士がそっと戻ってきて様子をうかがう。そして誰もいないと知ると、ちんと甲高い音を立てて剣をおさめた。立ち去るその後ろ姿からは鼻歌が聞こえてきた。
ようやく、ようやく動き出した書記は村の惨状を確かめた。
わかっていたことだが、生存者は一人もいなかった。彼の家からは両親らしい黒こげの遺体が二つ。妻は腹を割かれて苦痛に歪んだ顔で倒れていた。その側には顔が完全に歪むほど激しく叩き付けられて死んだ幼子の遺体がある。
これは実感があっても現実ではない、彼らはそれらしくふるまっているだけの被造物である。書記は何度も自分にそう言いきかせた。
「なのに、なんだこれは」
胸の内にぽっかりできた虚無に、彼は膝をついた。
一晩呆然としてから、彼は隠し場所の非常食を食べ、後片付けに入った。ものを運ぶ魔法と土をあやつる魔法が役にたった。昼前には全員分の穴をほり、異臭がしはじめた遺体をおさめた。同居していた家族のほかに、嫁いだ妹の亡骸もあった。記憶にあるよりやつれ、手もひどくあれていた。婚家ではそれほど幸せではなかったのかもしれない。また、彼に遺品をおさめるよう依頼した新参の祖父と、新参の両親、弟の遺体もあった。ふと思うところがあって、書記は彼らの遺髪を少しきりとってふところにおさめる。
これからどうするか。彼はその考えから逃げていた。村の中で刑期がおわるまで安穏と暮らすことはもうできない。着の身着のままに、隠し畑でいくばくか換金できそうな作物を回収していって、それでもあまり長くはもたないだろう。
とりあえず、やろうとしたことを全部やることに決めた彼は墓所にふたたびむかった。
祭壇に遺髪を並べ、彼らのご先祖に子孫が死に絶えたことを報告する。もしかするとまたなにかイベントがあるかもしれない。
その通りだった。
ふいに床の一部が沈んだかと思うと下に下りる階段が出現し、魔法の灯りがともった。
「はいっていいのかな? 」
石像を見ると、それがうなずく。
(あ、やっぱり動くやつか)
許可も出たので、書記は思い切って下りてみる事にした。
石の棺桶とに朽ちた杖が置かれている。そこにぼうっと魔法使いの亡霊が現れた。敵として現れたら到底勝てない類の存在だ。
「礼をいう。我が子孫は絶えてしまった。そなた、わが養子となりわが力を引き継がぬか? 」
亡霊の声は弱々しかった、
書記に迷う理由はあっただろうか。これは分のよい賭けといえた。まずまちがいなくいいことが何かある。悪くても人生のやり直しだ。できればその場合は苦痛がないほうがいい。
「うけたまわります」
了解すると、亡霊は杖にはまった小豆大の宝石をさした。
「これを飲め」
胃に悪そうだ、とおもったが書記はためらわなかった。
喉を固いものが通る感覚は不愉快であったが、それがだんだん熱くなり、異物感が消えると体の芯から力があふれてくる感がある。
「これでそなたには素質が備わった。研鑽せよ。さすれば偉大な魔法使いとなれよう」
亡霊はそう言い残すとふっと消えた。
自分のパラメータを確認した書記は驚いた。
基礎能力値が底上げされている。上限ではないが、平均やや上の値。そして、魔術語のスキルが6にあがり、魔法のスキルが2あがって3になっていた。服役囚の限界を再び抜けたことになる。
上にもどると、祭壇の遺髪は消えて二冊の本があった。スキル取得のための修行ノウハウ本が一つ、これは確かプレイヤー向けのチュートリアルだ。そしてもう一冊は魔法書だった。元々もっていたものと並べてみると、目の前で融合して新品のいかにも上級者むけにみえるものに変わる。
彼は力の端緒を手にいれた。