中尾モモ②
開店して間もなく、三人連れのおじさま連中がガラス張りのドアを恐る恐る開けて入ってきた。きっとこの店が初めてなのだろう。たまたま入口近くにいた岩村さんが彼らを座席へと案内する。
月曜日の夜にうちの店に来るお客なんて、暇を持て余した老人くらいのものだ。だけど、そんな老人たちの身なりのチェックを私は欠かさない。入店した際、着ている服や履いている靴、持っている鞄など、身に付けているものには一通り視線を配る。
三人は皆一様によれよれのシャツを着て、薄汚れたスニーカーを履いていた。
そのうちの一人は清々しいほどピッカピカに禿げあがっていて、その頭皮が磨きたての陶器のように天井からの光を四方に反射していた。別の二人は禿げてはいなかったけど、一人は前歯が抜けていて、もう一人は片腕がなかった。なんだか歳を重ねるごとに、いろんなものを失くしてきた典型のような人たちだった。
もちろん、この人たちを侮蔑する気なんてさらさらない。お金を払ってくれる大切なお客様だもの。だけど、心の奥ではやっぱり、自分はこんな歳の取り方はしたくないなと思ってしまう。
彼らの注文を取る岩村さんを見て思う。あの人もこのお客さんたちみたいになるんだろうなって。二十代の後半になってこんなお店でフリーターやってるなんて、既に人生詰んでるっていうか、なんというか・・・。まあ、私の人生には関係ないけど。
三人はドリンクにプレモルを注文し、枝豆のペペロンチーノとソーセージの盛り合わせ、あさりのバター醤油炒めを頼んだ。
お互いのグラスを触れ合わせて乾杯しているときの顔には少年のような無邪気な笑顔が浮かんでいて本当に楽しそうだった、
しばらくして、私が彼らの空いたお皿を下げに行った。そのときには他のお客さんも入っていて、吉村さんや岩村さんも対応に追われていたから、不本意ながら行ってあげた。
三人はこの日四杯目くらいのビールを既に飲んでおり、いい感じに出来上がっていた。
私が空いた大皿を下げようとしたとき、例のハゲたおじさんに声をかけられた。
「おねえちゃん、いくつ?」
その息が真正面から私の顔に当たる。ビール臭くて思わず顔をしかめそうになったけど、そこをぐっとこらえて得意の営業スマイルを作る。
「ハタチです」
と私は言った。ハタチというのは、中高年の男に対する最強のパワーワードであることを私は心得ている。
若いねえ! うらやましい!
予想通りの反響。まあ、当然と言えば当然だけど、こんなおっさんたちに言われても、やっぱり私は嬉しくなる。
「若い子をナンパしちゃだめたよ、とくさん」
歯のないおじさんが禿げたおじさんに言う。
そうか、この人はとくさんっていうのか。この人は私を褒めてくれそうだし、もう少し愛想よくサービスしてあげようと思う。でもそのときだった。
店のドアが開く音がした。いらっしゃいませ~。マニュアル通りのマニュアル的な声を出しながら、入口の方へ視線を送る。
入ってきた中年男性を見た瞬間、私の瞳は今日一番の輝きを見せていたと思う。
オーダーメイドのスーツに身を包んだ彼の顔には、今日も素敵な笑みが浮かんでいた。
私は忠犬のように彼の元へ寄って、改めて、
「いらっしゃいませ、芦田様」
上目遣いでそう彼の名を呼ぶと、雫のついた彼の傘を預かった。
「お待ちしておりました」
ステンレス製の傘立てには、さっきの三人が持ってきた三本の傘が仲良く並んで差さっていたけど、どれもコンビニで売ってるビニール傘で、きっと開いたら所々に穴が開いているようなオンボロだった。
だけどこの人の傘はそこらへんのコンビニなんかには売っていないし、雨雫だってよく弾く。汚いものは何一つ寄せ付けないようなその綺麗な傘を、私は三本の汚れた傘から一番離れた位置にゆっくりと、そして丁寧に差し込んだ。
「こちらのお席へどうぞ」
案内された席に、彼はゆっくりと腰を下ろした。
「今日はイタリア産の白ワインがおすすめですが」
私はメニューも見ていない彼に言う。
「モモちゃんに任せるよ」
彼は温和な笑みを浮かべて言うと、ゆっくりとメニューを開いた。
「海鮮サラダと鴨のロースト、それから、天使の海老のアヒージョもいただこうかな」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げる私は、きっとできる女だと思われているに違いない。
まあ、実際そうだけど。
オーダーを取ってカウンターへ戻るとき、さっきの三人組の席が視界に入った。彼らの席の前には岩村さんが立っていて、何やら申し訳なさそうにペコペコと頭を下げている。何かミスでもやらかしたのだろうか。その割にはお客さんはあまり怒っている様子ではなく、その顔には笑みすら浮かんでいた。優しいお客さんでよかったね、岩村さん。
厨房から料理が上がったことを知らせるベルが鳴り、私は受け渡しの窓へと足を運ぶ。あの三人組が追加で頼んだマルゲリータが大きな平皿の上でうっすらと湯気を立てていた。
持って行こうとすると、
「それは俺が持って行くよ」
と店長の吉村さんが言った。
私は一瞬目を丸くしたが、まあ、私には釣り合わないお客だし、どうでもいいかと思い直す。そうこうしているうちに、すぐに芦田さんの海鮮サラダが上がったので、私はまた笑顔を作り直してそのお皿をテーブルへと運んでいった。