高木孝介⑧
四年生が引退し、人数が減った野球部は、つい先日まで一緒に汗を流した彼らの存在など最初からなかったかのように来シーズンに向けての活動を開始した。
監督は「優勝旗奪還」という目標を高らかに宣言したが、奪還って、元々うちのものでもないだろうに。そんなことを考えてしまうのは俺が人一倍ひねくれているからだろうか。
優勝という目標は結構だが、監督の頭の中にある構想に俺は入っていないようだった。
怪我をしてからというもの、監督と言葉を交わす機会もめっきり減り、リハビリの経過を逐一尋ねられていたころが懐かしくすら思えてくる。彼が後輩部員を熱心に指導している姿が視界に入るたびに、俺はもう終わった選手として見られている。その事実を否が応でも認めざるを得なかった。
そんなある日、雨天のため屋外練習が中止となり、屋内のトレーニングルームで俺はウエイトトレーニングに励んでいた。ウエイトトレーニングはいい。バーベルを持ち上げる瞬間は余計なことを考えなくて済むからだ。
窓ガラスには冷たい水滴が線のように走り、器具を置くときに生じるくぐもった金属音が薄暗い室内のいたるところから響いていた。
スクワットで目標のセット数をこなしたあと、首にタオルをかけてベンチに腰掛けていると、同学年のチームメートで、キャッチャーの三井がやってきて隣に座った。彼のTシャツの胸のあたりは汗で黒く滲んでいた。
彼はその手に握っていたペットボトルの水を喉を動かしながら飲み干すと、ふうっと大きく息を吐いた。
「お前、将来とかどうすんだよ」
と彼は言った。
「もうすぐ就活だろ? 希望の業界とかあんの?」
俺も彼に負けず劣らずの大きなため息をついた。最近、俺も含めた誰も彼もが将来という病にかかっているみたいだった。
「俺がもうプロには行けないことが前提みたいに言ってくれるね」
俺は彼を横目で睨んだ。けれど、彼は俺の視線など意に介さず、
「今のままじゃ、実際無理だろ」
あっけらかんとそう言い返す。
俺にこういうことを真っ直ぐに言うのは三井だけだ。後輩はもちろんだが、監督や同学年のチームメートは、俺が怪我をして以降、腫れ物のように扱っていたから、三井のこういう率直な物言いは正直言って嫌いではない。
「つーかさ」
と三井は言った。
「お前、本気でプロになりたいわけ?」
俺は後ろに手をついて、
「わかんねえよ」
と言った。本当にわからなかった。
プロを意識し始めたのも、たまたまリーグ戦で大活躍したことで注目されたのがきっかけだった。それまで、自分がそのレベルの選手だなんて思ったことすらない。俺はただ、目の前に突然訪れた分不相応のデカいチャンスに必死にしがみつこうとしていただけなのかもしれない。
「そういうお前はどうなんだよ」
と俺は聞いた。
「卒業後、どうしたいとかあんのか?」
「わかんねえよ」
と彼は笑った。
「普通に就活して、ダメだったら、公務員試験受けるとか、そんなとこじゃねえの?」
ふーん、と俺は言って、しばらく二人で黙っていた。汗が引いてきたところで、
「でも、桑山先輩はすげえよな」
唐突に三井が言った。
「は? なんで?」
と俺は三井を見た。どうしてここで桑山先輩なのだろう。
「お前、桑山先輩の内定先知らねえのか?」
「知らない」
三井の口から出た先輩の内定先は、誰もが知っているような世界的大企業で、就活生の憧れの的になるような会社だった。
「俺もあんな会社に行けたらなあ」
そう言う三井の隣で、俺は秋季リーグの最終戦での桑山先輩の姿を思い出していた。そのときはとっくに内定は出ていたはずなのに、就活の勝ち組とも言える先輩が、どうしてあんなに涙を流していたのか、俺にはわからなかった。
練習が終わってトレーニングルームを出る頃には、雨はすっかり止んでいて、分厚い雲の隙間から欠けた月が覗いていた。気がつけば、俺はスマホから桑山先輩にLINEでメッセージを送っていた。




