中尾モモ⑩
私たちは駅前のスタバに入って、一番日が当たる窓際の席に向かい合って座った。
芦田さんが「好きなもの頼みなよ」と言ったので、お言葉に甘えてダークモカチップフラペチーノを注文し、芦田さんは大人の男性っぽくアイスコーヒーをブラックで注文した。
ストローでチョコレート部分をすすると、冷たいフローズンアイスとチョコの甘さがマッチして私は幸せな気持ちになった。
「おいしい」
私は無邪気に言ってみた。
芦田さんはそんな私の様子に、まるで娘を見守る父親のような目で優しく微笑むと、コーヒーをひと口飲んだ。
「それで、なにがあったんだい?」
と彼は聞いた。
私は手を止めて、話すべきかどうか少しだけ迷ったけれど、ここまで来たのに何も話さないのは失礼なような気もしたので、
「実は・・・」
高木くんとユミのことを話した。もちろん名前は伏せて。
「なんというか、今までずっと信頼していたのに、裏で私のことを馬鹿にしてたんだなって思うと悲しくて・・・」
「そっか~」
と彼は言った。
「それは大変だったね」
「私、もうどうしていいかわからなくって・・・」
芦田さんは一つ一つ相槌を打ちながら私の話を聞いてくれた。共感してもらえるのが嬉しくて、私はついその他のどうでも他人の愚痴までこぼしていたけれど、
彼はそんな私の話を遮ることもせず、終始にこやかな様子で私の話を聞いていた。
「それじゃあ、なかなか今のお店にも居づらくなるよね」
と彼は言った。
「はい・・・」
プラスチック容器の側面を両手で包む。手のひらがひんやりとして気持ちがよかった。
平日の午後ということもあり、店内のお客は少なかった。天井のプロペラがゆるく回転するのを芦田さんは時折ぼんやりと眺めては、少しだけ目を伏せて何かを考えているようだったが、
「ねえモモちゃん」
また私の顔を見て静かに口を開いた。
「君、うちの店で働いてみる気はない?」
「芦田さんのお店、ですか・・・?」
芦田さんが何かのビジネスをやっているのは知っていたけれど、突然の提案に、私はぽかんと口を開けた。
「どうかな?」
彼は優しい笑みを私に向ける。
高木くんに嫌われてしまった以上、あのお店で働きたい理由はもうない。
「モモちゃんだったら、うちの一番になれると思うけどな~」
一番・・・。
傷心の私には、必要としてくれるこの言葉が何よりも嬉しかった。環境を変えて、心機一転ってのも悪くないかもしれない。
ぜひお願いします。
口を開いて、ほとんどそう言いかけていた。
でもそのときだった。
「モモ」
突然、聞き慣れた声がしたかと思うと、テーブルに黒い影が差した。びっくりして顔を上げると、一人の男がテーブルの真横に立って、私たちを見下ろしていた。
それが店長の吉村さんだと気がつくのに時間はかからなかった。
どうしてこの人がこんなところに?
それを言葉に出す間もなく、彼が先に口を開く。
「もうすぐ開店なのに、こんなところで何やってんだ?」
「え? 私今日は・・・」
「シフト入ってただろ」
少し語気を強めた声に、私は戸惑いながらも正面に座る芦田さんを見る。
しかし、彼の顔からはさっきまでの温和な表情は消え、吉村さんを恐れるように眼球を左右に動かして、その頬は固められたコンクリートのように硬直していた。
「まあ、ゆっくり考えてみてよ」
彼は無理やり引きつった笑顔を作ってそう言うと、席を立って逃げるようにその場から去って行った。
何が起きているのか、私にはわからなかった。
芦田さんが去り、空いた座席に吉村さんがゆっくりと腰を下ろした。
「私、今日シフト入ってないんですけど」
正面に座る吉村さんに対し、正直に不満をぶつけてみる。
「なんなんですか? 休みの日に、突然こんなところで人の会話に割り込んできて、ストーカーみたいで気持ち悪いんですけど」
ストーカーってのはちょっと言い過ぎたかもと思ったけれど、吉村さんはそんなのはまったく気にしない様子で胸ポケットから煙草の箱を取り出すと、
「あの人にはあまり近づかないほうがいい」
そう言って、一本抜いて口にくわえた。すぐに店員が飛んできて、「店内は禁煙なんですが」と申し訳なさそうに言った。吉村さんは恥ずかしそうにくわえた煙草を箱に戻してポケットにしまった。
「近づかないほうがいいって、私のプライベートで誰と会おうと私の勝手でしょ」
と私は突っかかるように言った。
「転職の邪魔をする気ですか」
「プライベートって、元々仕事で出会った客だろ」
吉村さんは苦笑する。
「それに転職もなにも、お前アルバイトじゃん」
「でも、転職は転職です」
あ、そう、と吉村さんは大きくため息をつくと、
「実はな」
白状するように言った。
「あの人はデリヘルの経営者なんだ」
え?
反論してやろうと前のめりになっていた私の呼吸が一瞬止まる。
私の動揺を察知したのか、吉村さんは数秒間を置くと、ゆっくりと言葉を続けた。
「大方、お前をどこかの風俗店ででも働かせるつもりだったんだろう。見ず知らずのおっさんに触られたいなら話は別だけど、そんな度胸お前にないだろ?」
体中の血液が急速に冷めていくのを感じた。
私を? 風俗店で?
生々しい想像が頭の中を駆け巡る。さっきまで優しくしてもらって舞い上がっていた私は、一瞬にしてどん底に突き落とされた気分だった。
「まあ、どうしてもってんなら止めないけど、甘やかされて育ったお前には向いてないと思うよ」
吉村さんはそう言うと、静かに席を立った。私は何も言えずにテーブルの表面を見つめていたけれど、そんな私に、
「ちなみに、お前と芦田さんが二人でいるのを見かけて、俺に助けに行くように連絡してきたのはがんちゃんだからな」
彼はそう付け加えて去って行った。
気づけば、私の目からは大粒の涙が溢れ出ていた。この気持ちが悲しさなのか、悔しさなのかわからない。店内にはもちろん他のお客もいたけれど、そんなものは目にも入らず、私は一人泣きながら、しばらくその場から動けなかった。
店を出るときには、雨がぽつぽつと降り始めていた。傘を持っていなかったので、仕方なく近くのコンビニでビニール傘を買った。正直こんな傘をさして歩くのなんて超恥ずかしいと思ったけれど、街の人たちはびっくりするほど無関心で、目を腫らした女の子に誰も見向きもしなかった。
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結局それ以来、芦田さんはお店には来なくなった。
私が知らないところで吉村さんが芦田さんに何か言ったのかもしれないし、言わなかったのかもしれない。結果として、上客を失うことになったんだけれど、吉村さんはそんなことおくびにも出さなくて、いつものように飄々とグラスを磨いている。
だけど、どうして芦田さんが風俗店の経営者だなんてことを、吉村さんは知っていたのだろう。
開店前の準備をしながらふとそんな疑問を抱いたけれど、それは胸の奥にしまっておくことにした。




