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8、呪抜刀③

 藤鷹様がたま屋を出たよー


 厨にいた弓兵衛は頭の手拭いと前掛けを外し、壁に掛けた。

 客間の二つ隣部屋に入り、弓兵衛は身支度を始めた。股引を履いたまま、尻はしょりをしていた(はなだ)色の滝縞模様の小袖の裾を下ろした。鳶色の羽織に袖を通し、無骨な木の杖を押入れから取り出した。


 弓兵衛がミセニワに向かうと、蜜が上がり框に腰掛けていた。


「私も一緒に行きます。刀が気になって……」


「だが、女将は参道に行けないだろう」


 日中に参道を南へ上ろうとすると、蜜の中の蜘蛛が反発してしまうのだ。


「に抜けまでなら大丈夫です」


 「本当かぁ」と弓兵衛は口をへの字にする。すると番頭台にいる弦造が言った。


「女将が外出するなら、お朝さんが昼寝してる今しかないですよ」


 蜜は既に草履を履いている。弓兵衛はため息をついた。


「無理はするなよ」


 蜜は微笑んで相槌した。


■■■■■


 大陽大社敷地内には桜の名所があり、そこを訪れようとする行楽客がどんどん押し寄せてくる。一から五通りのい抜け上は、大陽大社と世輪町の境界である。い抜け上を更に南へ進むと入口である大鳥居が登場する。そこから先は大陽様の住まう地に入ることになる。

 境界地は参拝客の数を整理し、大陽様の負担を減らす役割を担っている。(かわや)とお守り売り場を置き、祈祷の受付を先に行うことで、混雑が起きないように流している。

 大陽大社で働く者達は、陽遣(ひつか)いと呼ばれる。白または甕覗(かめのぞき)色の装束が特徴である。


 境界地の見回りをするのは、牛蒡(ごぼう)という陽遣いの男だった。頭を剃るのを止めて伸ばしている途中の短髪に頭襟(とうきん)を載せ、紐を顎下で結んでいる。筒袖の白衣の上に鈴懸(すずかけ)を着ており、膝下を紐で結び上げた袴の下に脚絆と地下足袋を合わせている。人の背丈程の長さの錫杖(しゃくじょう)で地面を突き、音を鳴らしながら歩く。力士のように縦にも横にも大きい身体と、くっきり日焼けした赤茶色の肌が、白装束※1を一層際立たせていた。


 参拝客が多いこの時期は、見回り以外の仕事も増える。疲れて動けないという老婆を宿まで背負っていくこともあれば、幼い迷子を役場へ連れて行った後に声を枯らして親を探すこともあった。


 昼餉の時間になり、牛蒡は五通りい抜け交差地点に向かう。そこには牛蒡が勤務中に使用する小さな房舎がある。入口前に置かれた縁台に座り、笹の葉で包んでいた握り飯を頬張った。


「牛を襲ったイタチは退治されたらしいぞ」


 日課の参拝を済ませた町民二人が五通りを西に進み六通りに戻る途中で雑談を交わしていた。それが牛蒡の耳に入ってきた。


「つきおんながやっつけてくれたのかい?」


「いや、浪人らしいぞ」


「浪人が妖を斬ったってことか?」


「詳しいことは分からんが、矢橋屋がその浪人の面倒を見ていると聞いたぞ……」


 牛蒡は通り過ぎる町民の背中を横目で追った。つきおんなの噂は知っている。牛蒡はい抜けから上ってくる妖や不審者なら問答無用で倒すが、い抜け下は対象外である。少ない人数で大陽大社の守る役目を担う故に、妖に襲われる町民のことは考慮しない。月夜に強い妖の気配を感じることは度々あった。い抜け上に来るなら、堂々と闘うつもりだったが、未だ出くわしたことはない。


「浪人が妖を……。祓いか?」


 口をモゴモゴ動かしながら、牛蒡は呟いた。


■■■■■


 たま屋の世輪うどんで腹も心も満たした鐙は、四通り()抜けまで戻ってきた。今時分の矢橋屋は休憩中で戸は閉められていた。


 東へ進み三通りほ抜け位置に来る。橋から間道までは相変わらず人が多いが、昼餉の時間帯なので、三通りの()抜けや()抜けで減っていく。おかげで鐙は混み合うことなく進むことが出来た。


 は抜けから南は見事な桜並木が続いた。縁台に腰かけ、花を愛でている客が沢山いた。薄桃色の花びらが風に舞っている。

 美味い飯に心地良い陽気と美しい桜景色。鐙はまるで己に課せられた命を一時忘れるがごとく目を細めて歩んだ。


 しかし、ろ抜け交差地点を過ぎる頃に異変を感じた。腰に差した呪抜刀が重くなったのだ。刀の周りに砂が舞っているように見えた。それは鐙が進む度に濃くなっていき、昨夜イタチから出ていた黒い炎の類だと推測した。


「大陽様に近付けば妖は反発する……」


 重くなった呪抜刀を腰から外し、鐙は胸で抱くように両手で持つことにした。じわじわと黒い煙が鞘から伸びている。何とかこのまま大陽大社まで行ければと鐙は願った。

 い抜け交差地点を示す石行燈が見えてきた。遠目に朱い鳥居も見える。


「御免」


 鐙は男に声を掛けられた。岩山のように大きな男は白装束姿で錫杖を持っており、シャンと音を鳴らした。


 ドンッ……


「ウッ……!」


 刀が更に重くなり、両腕が肩から抜けるかと鐙は思った。鐙の手が緩むと、刀が回転し跳ね上がった。その勢いで鐙は弾き飛ばされる。


 白装束の男こと牛蒡が錫杖を持って構える。宙に浮く呪抜刀は黒く濃い炎に包まれ始めた。


「妖か?」


 牛蒡は錫杖を呪抜刀に向かって振った。しかし呪抜刀は上昇して躱し、北に向かって突き進んだ。


「待て!」


 砂煙を起こしながら、牛蒡は走った。鐙も起き上がり急いで追いかけた。


■■■■■


「キャー!」「危ない!」


 呪抜刀は地上から五尺程浮いた状態で、右へ左へ木や行燈にぶつかりながら北進する。その速さは馬のようで、参拝客が気付く頃には通り過ぎ、勢いで転ぶ者が続出した。


 三通りほ抜けから南へ上っていた蜜と弓兵衛は、異質な妖気を察知した。

 蜜は小走りする。向かいから風車のように回転しながら飛んでくる黒くて細長い物が見えた。


「呪抜刀?」蜜は呟く。


 急に呪抜刀が、真っ直ぐ切先を切り替えて、密に突撃してきた。


 ドスッ!


 鞘に収まったままの呪抜刀は蜜の帯を突いた。


「女将!」


 弓兵衛は杖をつきながら慌てて蜜に近付く。


「え、何?」

「刀が娘さんに……?」


 困惑する参拝客の声が聞こえてくる。蜜は帯に当たる直前で掴んで動きを止めていた。


「クッ……」


 刀は強い妖気を帯びている。震えが弱まった隙に、蜜は刀を地面に押し付けた。まだ動こうとする刀を両手の平と片膝で抑える。蜜の毛先がゆらりと持ち上がり始めた。


 息を荒げながら牛蒡が()抜け交差地点までやって来た。女が暴走刀を地面に押し付けている。長い髪を結わずに垂らした女。牛蒡は錫杖を持つ手に力を込めた。


「矢橋屋ァ、覚悟ォ!」


 牛蒡は錫杖を振り上げ、蜜に飛び掛かった。


 ガシャーン!


 蜜は顔を上げる。片膝立ちの弓兵衛が、杖で陽遣いの錫杖を受けていた。


「うぅ……」


 弓兵衛の足が崩れ、牛蒡が錫杖で弓兵衛を横に払った。倒れた弓兵衛は右膝を手で押さえている。


「弓兵衛!」


「矢橋屋の女将、その刀はお主の物か?」


 牛蒡は怒りと蔑みを込めた眼差しで、しゃがんだままの蜜を見下ろす。


「この刀はお客様の物です。刀に憑いた邪気を大陽様に祓ってもらう為に、お参りに来られたのです」


「嘘をつくな。このような邪悪な物、簡単に調達出来るものか。我ら陽遣いと大陽様を襲う企みだったのではないか?」


「滅相もございません」


「女将から離れろ!」


 弓兵衛が身体を起こしながら言った。だが、牛蒡は錫杖を振り、避けようとした弓兵衛は再び地に手を付けた。


「陽遣い様、お許しください! この者、足を悪うしております。どうかご勘弁を」


 蜜は刀を押さえたまま背中を丸め頭を下げた。髪の毛の束が砂地に着く。


「そもそも、お前のような忌まわしき者が、参道に現れるな。大陽様に通ずる道を穢す気か」


「申し訳ございません。すぐに去ります故に何卒……」


 語尾をか細くしながら蜜は言った。


「女将!」


 鐙がようやく辿り着いた。

 今までのやり取りを見ていないが、地に伏している二人を見て、鐙は白装束の大男を睨んだ。味方ではないと判断したのだ。


「拙者は大陽大社に遣える者だ。名を牛蒡と申す。侍よ、この刀はお主の物なのか?」


「答える前にやるべきことがある」


 鐙は牛蒡の傍を横切り、蜜の前でしゃがむ。蜜に言われ、杖を拾い、弓兵衛が起き上がるのを手伝った。


 牛蒡は周囲を眺める。参拝客が増え、立ち止まる野次馬もいた。岡っ引きが慌てた様子で走ってくるのが見え、牛蒡は深呼吸した。


「驚かせてしまい失礼した。そこの縁台で話をしようではないか」


 快活な大声で牛蒡は言った。大袈裟に振り返り、両手を広げる。


「邪悪な刀は大陽様の御力で落ち着きました。もう大丈夫です」


 野次馬達は安堵した顔を浮かべた。岡っ引きが「陽遣い様、ありがとうございます。これで安心ですな!」と言ってすぐにまた戻っていった。

 蜜は刀を抱きしめたまま、弓兵衛と鐙に続いて、脇にある縁台に向かった。


■■■■■


 弓兵衛は木陰にある縁台に腰を下ろし、右膝を擦る。刀の動きは完全に止まっている。蜜は鐙に刀を差し出した。鐙は申し訳なさそうにそれを受け取り、腰に差した。


「もう一度聞くぞ。その刀はお主の物なのか?」


 牛蒡の問いに、鐙は一呼吸置いてから答えた。


「これはとあるお武家様が所有する刀だ。呪いを大陽様に祓ってもらう為に、俺が持ってきた。事情がある故、詳しいことは言えぬ」


「矢橋屋で世話になっているようだな」


「この刀を持ち歩いていると、泊まる宿を探すのも難儀でね」


「だろうな。ところで、お主には祓いの力があるな」


 鐙の肩がピクンと震えた。


「力負けして刀は逃げたが、あれだけ妖気の禍々しいものを抱えていたにも関わらず、お主は心身を侵されていない。つまりお主には妖に対抗出来る力があるということだ」


 牛蒡は鐙に近付く。やや見下げた目元に怪しげな笑みが浮かぶ。


「お主はまだ若く、体格も良い。鍛錬すれば良い祓い師になれるだろう。どうだ、我々の元で陽遣いの修行をしないか? その刀の呪いも祓ってやるぞ」


「陽遣いは、妖を祓うことが出来るのか?」


「大陽大社で働く者のほとんどは祓いの修行を積んでいる。邪悪なものから大陽様を守るのが我々の役目だからな」


「町を襲う妖は倒さないのか?」


「我々の役目は大陽大社を守ることだ。町まで見る暇は無い。しかしそのせいで残念なことに、『つきおんな』という女の姿をした妖の噂が流れてしまっている。月夜に浴衣一枚で現れ、裾を乱しながら妖や人を喰うそうだ。町内でこんな破廉恥な噂が流れるのは、大陽様に申し訳が立たぬわ」


 牛蒡はいかにも不愉快といった表情で話した。

 縁台に並んで座っている蜜と弓兵衛は無言のままだ。


「お主が我々の代わりに町の妖を祓ってくれれば助かるのだが。武士の祓い役のように日中も町で所作を見せれば、行楽気分の参拝客は鳥居前で満足して帰るだろう」


 鐙はフフッと口元に笑みをこぼした。


「有難い話と言いたいところだが断る。俺は祓いの作法にも大陽様のお遣いにも興味はねぇ。俺が知りたいのは人を襲う妖を倒す方法だ」


 牛蒡の目が鋭く光る。


「ではどうやって、刀の呪いを祓うのだ?」


「そうだな。『つきおんな』を探して頼んでみようかな」


 鐙の軽口に、牛蒡は不満気な顔をした。


「くだらん。その刀が我々の邪魔にならぬよう重々気を付けよ。もしまた刀が暴れ出したならば、今度はお主ごと刀を破壊する」


 そう言うと牛蒡は踵を返し、南へ歩き始めたが、数歩進んで振り返る。


「矢橋屋に泊まるのは結構だが、身の用心は怠るなよ」


 鐙は白壁のような牛蒡の背中をずっと睨み続けた。

※1牛蒡の白装束:現実世界でいう修験者の衣装風です。その他の陽遣いも大体そんな格好をしています。いずれ図解を出したい。

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[気になる点] 牛蒡さんが好きなにぎりめしの具はなんですか?
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