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3、イタチ②

「明るいなぁ……」


 頭上で輝く満月を見ながら、(みつ)は呟いた。雲一つ無い空で真ん丸の月が淡黄色の光を発している。


 結んでいた毛先を解き、長い髪を揺らしながら蜜は浴衣一枚だけの姿で裸足のまま歩く。蜜にとっては幼い頃から当たり前の姿だ。しかし数年前からお(ちょう)は「はしたない姿を誰かに見られたら大変だ」と言ってくるようになった。先日の年越しで蜜は十七歳になった。嫁ぎ先の閨で亭主だけに肌を見せる年頃だ。湯文字も巻かずに町を徘徊する嫁入り前の娘など、非常識にも程がある。満月がここまで明るいと、お朝からの小言が増えそうだ。


挿絵(By みてみん)


 矢橋屋を出た蜜は南隣の草鞋屋との間にある木戸から路地を進み、長屋の一室に裏から入った。ここは矢橋屋の使用人寝泊まり用とされている。弦造が中で待っていた。お互い目配せで合図を送り合うと、弦造が畳を一枚めくった。畳の下の板張りを外すと、四角い蓋があり、取手を持ち上げると潜れるようになっていた。


 矢橋屋は、野暮ったい使用人用旅籠と低く見られがちであるが、創業は世輪町が成立する前とも言われている。町内あらゆる所に隠し通路を設けており、情報収集力は町役場を遥かに超えていた。弦造が神出鬼没の怪しい番頭と思われているのもこれが所以である。

 

 (むつ)通りい抜け(うえ)※1にある蔵の傍の地面がグググとずれて、蜜は顔を出した。隠し通路を使って移動しすることで人目を避け、『つきおんな』の正体が自分であることを隠すのだ。通りと抜け※2の交差する場所にある木灯籠以外に、人の姿や明かりは見られない。蜜は素早く外に出て、隠し通路の入口の蓋を閉めた。まずは牛が襲われた場所に向かってから、蜜はイタチ探しをすることにした。


 予め弦造から聞いていた畦道に辿り着く。血の色を消す為に地面は掘り返され柔らかくなっているのが、足裏の感触で分かった。道端に摘まれた野花が添えられている。牛を所有していた農家の計らいだろうと蜜は思い、しゃがんで黙祷を捧げた。


挿絵(By みてみん)


 世輪町は川がある北を除き、東から西まで山々がぐるりと囲んでいる。六通りい抜け上から西南は農地であり、山の麓まで田畑が続いていた。蜜の前髪は妖に反応する仕組みになっているが、山の方を眺めても何も感じない。


「町内にいるのかしら……?」


 蜜は六通りに戻り北へ進み、に抜けすぐ上にある油売り屋に侵入した。四畳半から聞こえる老夫婦のいびきを背に、蜜は(くりや)の床下に潜った。

 四通りに抜けすぐ下の細路地からそっと大通りに出る。弦造がせっせと流した噂の効果は絶大で、ここに来るまで一切人に会うことはなかった。


 蜜は更に北へ歩き、ほ抜け下にある間道(はざまみち)に到着した。東西に伸びる幅広の道は、大名行列が同時に三列進んでも、充分ゆとりがある程だった。密の左手側には矢橋屋がある。お朝達が中で待っていてくれているはずだ。昔は弓兵衛が付き添ってくれたが、数年前から付き添いはなくなった。蜜一人で妖退治が出来るようになったからではなく、男に浴衣姿を見せてはいけないというお朝の強い考えの方が理由になっている。


 間道の向こうに橋があり、その先は関所になっている。夜間は閉まっている為、重そうな黒い門が見えるだけだ。

 その時、前髪がピクリと反応した。()()。だがイタチとは違うようだ。蜜は呼吸を整え集中する。妖とは別に何かがいる。それが人の気配だと悟ると、蜜は間道を急いで横断した。


 走りながら橋の傍の川辺りの坂を下るとそこには、黒い炎に包まれた猪の形をした塊が鼻息を荒くしながら佇んでいた。その四足の傍に人影がある。やはり、(あやかし)が人を襲っていたのだ。


 蜜は念じる。すると、蜜の髪の毛が舞い上がり、八本の脚のように束を作って広がった。その内二本が素早く伸びて猪を刺し、川へ突き落とした。

 猪は川面で蠢いている。蜜は倒れていた人を起こし、川から見て真向かいにある茂みの方へ連れて行った。男だった。ずぶ濡れだが、痛手は負ってないようで、蜜が促すと自力で歩いた。


 座らせると、男は倒れるようにうずくまった。気を失ったのだろうと蜜は判断し、猪の方へ向かう。既に猪は川から上がっていた。牙を振り、興奮している。その体高は蜜を超える。


「妖め、ここから先へは通さぬ。喰われたくなければ、今すぐ去れ」


 警告も意味なく猪が突進してきた。

 八岐(やまた)の髪が今度は六本、猪の身体を突き刺す。

 巨体は串刺しのまま持ち上げられる。まるで早贄のようだ。刺し口から漏れる黒い液体が、髪の毛に染みていく。


〈美味い……。喰わせろ……〉


 女の声が蜜の身体の内側から聞こえてくる。

 蜜が両手をかざし力を込めると、残り二本の髪が猪の両側まで到達する。そして扇のように拡がり巨体を包み込んだ。蜜の身体がどんどん熱くなる。大木を折るような鈍い音と共に、猪は握り潰された。一滴もこぼすこと無く、髪の毛は蜜の方へ帰っていく。

 やがて髪は元の長さと量に戻った。潰した猪が髪から頭皮に入り込み、うなじへと流れ、背中を伝う。


「うっ……くぅ……」


 猪は獣の部分を全て喰い尽くされ、完全に妖と化していた。故に骨肉の重さはない。しかし溶かした鉄が皮膚の下を通り抜けるような感覚が蜜を襲う。これだけは何度経験しても慣れることはない。女が悦びながら喰らう音が奥底から聞こえてくる。全身から噴き出す汗は沸騰しているかのように熱い。蜜は腹を抑え、痛みと邪悪な力に耐えた。


〈久々の上物だった。(わらわ)は満足よ……〉


 ようやく身体は落ち着いた。

「本当に()()だったわ……」と蜜は呟いた。


「う、うう……」


 蜜が額の汗を拭っていると、背後から男の呻き声が聞こえてきた。蜜は振り返り歩く。途中でフウっと息を吐いた。蜜の中には蜘蛛の妖が棲んでいる。妖は己より強い妖を怖れる。今の猪のように喰われてしまうからだ。蜜の中にいる妖は強い。妖気を込めた息を撒いておけば、しばらく何も寄ってこない。


 ずぶ濡れの男はビロード張りの馬乗袴(うまのりばかま)※3を履いており、脛に脚絆を着け、腰に刀と脇差しを差していた。汚れは新しいもので身なりは良い。本来なら関所を通って入れるだけの身分と懐の持ち主が、不運にも妖に襲われ、ここまで引きずられたのだろうと蜜は推測した。

 奇妙なのは、この侍らしき男は笠ではなく手拭いを頬かむりし、額から頭部を隠していることだ。ぽたぽたと水滴が落ちる手拭いの端から目が開いているのが見えた。


「お侍様、もう大丈夫です。妖も野犬も出てこないようにしました。ご安心ください」


「かたじけない……」


 そう言いながら侍は上体を起こした。疲弊しているがしっかりした声だ。

 蜜は、猪とのやり取りを全て見られたのではないかと内心焦る。矢橋屋に連れ帰り、弦造(げんぞう)の術で、侍の記憶を惑わすしかないが、自分が運べば、『つきおんな』と矢橋屋との関わりがバレてしまう。それは避けたい。


「お侍様。後で人を寄越します。

 坂を上って、矢橋屋(やはしや)という旅籠を訪ねてください。『四通りほ抜け上すぐ西』にあります。そこで養生なさってください」


「そなたは……」


 侍は顔を上げた。蜜は夜目が利くのと、月明かりが相まって、侍の顔立ちがはっきり見えた。若い。歳は自分と同じ位だと思った。薄い唇をギュッと閉じ、鼻先は程よく尖っている。月光が瞳に差し込んでいるような眼差しからは、品の良さが伺えた。


「名乗る程の者ではございません。

 今宵ここで起きたことも、夢だとお思いください」


「ということは、俺が見たものは本物なんだな」


 蜜は息を呑んだ。困惑せずにはいられぬ事態のはずだが、侍は鋭く冷静だ。


「とにかく人を呼びますので、少しお待ちください。このままでは身体が冷えてしまいます」


「身体が冷え……」


 侍は言葉を止め、首ごと目をそらした。


「それは、そなたも同じだろう」


「……あっ!」


 侍の言葉の意味に、蜜は気付いた。

 蜜はほとんど半裸だった。襟が(はだ)けて肩と乳房が露わになり、捲れたままの裾からは太腿まで見えている。


 蜘蛛が夜闇を浴びたがるので、力を使う時に蜜は浴衣一枚しか着ない。おまけに力を使うと身体が熱くなり、動きも激しくなるので、肌が出るのも当然なのだ。

 それ自体を、蜜は気にしていない。しかし、晒した肌を人に見せてはならないと散々お朝に言い聞かされていた。


「お見苦しいものを、申し訳ございません!」


 蜜は急いで浴衣を直す。自分の顔が赤くなっていると気付いた。「人を呼んできますので」と蜜は会釈してその場を離れた。


 帰り道、満月が眩しいと思った。侍の表情と声が頭に焼き付いて消えない。何故今まで平然とこの姿でいられたのか。恥ずかしさで全身がむず痒い。叫びたい気持ちを堪えながら、蜜は矢橋屋へ戻った。


■■■■■


「女将、身体は大丈夫ですか?」


 蜜が戸を開けて入った途端、お朝は小袖を身体に被せてきた。


「えらく強い妖気でしたね」


 小袖で身体を隠しながら、ミセニワ※4の上がり框に座り、そのまま板間の上で蜜は仰向けになった。八間(はちけん)※5と大きな行燈のおかげで室内は明るい。蜜は目を瞑った。お朝がたらいに湯を注ぎ、だらんとさせた蜜の膝下を絞った布巾で拭う。


「弦造を呼んで。人が妖に襲われました。まだ生きています」


 荒い呼吸のまま蜜は言った。


「姿を見られたのですか?」


 お朝は強い口調で尋ねた。蜜の足元は裾の先まで整えられた。


「大変でしたな」と、奥から弦造がやって来た。


「弦造、川辺りで人が倒れているので連れて来てあげて。妖に襲われて混乱してます。頭に術もかけてください」


「承知いたしました。すぐ見てきます」


 弦造は丸い身体を身軽に動かし、ミセニワから出て行った。


「弦造が連れて来た人を、お朝は介抱してください」


 蜜は立ち上がり、奥の自室へ戻ろうとした。


「男ですか? 姿は見られてないんですよね?」


 蜜は答えるのを躊躇った。正直に言えば、お朝はあの侍に何をするか分からない。


「今日は疲れました。明朝の仕事は頼みましたよ」


 誤魔化そうとするが、お朝は蜜にしつこく尋ねながら付いて来る。すると厨から弓兵衛が顔を出した。


「お朝、今は女将を休ませてやれ。デカい妖を取り込んだんだ。無理をさせちゃいけない」


 弓兵衛に言われ、お朝はグッと立ち止まった。

 蜜は部屋に入り、障子をピシャリと閉めた。


 部屋には既に布団が敷かれており、寝間着等の着替えが畳まれて用意されていた。


 蜜は小袖と浴衣をその場に落とし、下着と寝間着をざっくり纏うと、布団に潜り込んだ。いつもなら身体を拭くのだが、今は気力がなかった。


 布団の中で、蜜は瞼を閉じる。瞼の裏側に侍の顔が浮かび上がった。手縫いの端から覗く澄んだ大きな瞳。横に反らした時、鼻から顎にかけて、雪の山脈を縁取っているかのように繊細な線を描いていた。


「美しい御方だったな……」


 きっと普段の大銀杏※6姿はさぞ凛々しいのだろうと想像すると、冷めてきた身体の熱がぶり返すようだった。

※1六通りい抜け上:世輪町は東→西の順に一〜六の通りがあり、南→北の順にい・ろ・は・に・ほの抜け道がある。後程図解説明が登場します。

※2通りと抜け:世輪町全体図より、南北に縦に走る道が『通り』。東西に横に走る道が『抜け』と呼ぶ。通りと抜けが交差する所には木行燈(街灯みたいなもの)が設置されている。

※3馬乗袴:股下が長い袴。本来は名の通り、馬に乗る際に跨げるようにしたものですが、この世界ではデフォルトの袴としてます。しかしそれだと着物の裾が邪魔になるので、裾を帯の後ろに捩じ込んでから袴を履いているという設定です。昔読んだとある漫画で、現代の役者さんが武士役する時にそうしてたらしいです。でないと動きにくいので。

※4ミセニワ:表通りに面した入口。矢橋屋の場合は玄関・ホテルロビーのような意味合いである。

※5八間:天井に吊り下げるタイプの照明器具。この世界では実際の江戸時代よりも照明が発達していて、とても明るく長持ちで日常に普及していたとお考えください。

※6大銀杏:一般的な武士の髪型を指す。町人と違い髱を膨らまさない。特筆なければ、武士や侍キャラはこの髪型です。

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