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2、イタチ①

挿絵(By みてみん)


☆『1、新月の昼夜』から11年後のお話です。

☆この世界に「仏教の教え」や「生類憐みの令」といった概念は無いので、昔から物語中も人々は肉や魚をバクバク食べてます。バクバク

挿絵(By みてみん)


 将軍が暮らす大都市『央照(おうしょう)』からずっと西に進んだ先に『世輪町(せわちょう)』という将軍管轄の町がある。しかし定期的に管理費として少額の金が入る程度で将軍が町の運営に関わることは無い。将軍自身も数年に一度訪れる程度の為、町は独自の発展を遂げてきた。

 世輪町一番の特徴は、南東の位置に大陽様(おおひさま)のお社があることだ。お社周辺に人が集まり今の町が出来たという方が正しい。大陽様を参ると、その身についたあらゆる邪気や迷いや欲が消え去り、健康と幸福が得られるとされている。毎年沢山の参拝客が御利益を願って訪れる為、その客をもてなす為に宿や土産物屋が整えられていった。

 世輪町の南西は農民達の集落があり、田畑が広がっている。世輪町内で消費される食材の大半はここで作られている。


 睦月も後半の日の出前、農家の小僧が牛の世話をしに、家の隣にある牛舎に向かった。すると、繋いでいた縄が解かれており牛がいない。慌てて田畑の方へ探しに行くと、畦道を防ぐように倒れている巨体を見て、小僧は泣きながら両親を呼びに行った。

 その後寝起きの岡っ引きが、小僧の父親に引っ張られてやって来た。


 ざわめきを嗅ぎ付けたかのように、畦道にひょこっと小太りの中年男が顔を出した。無難な小銀杏(こいちょう)※1の髪型に鳶色の羽織、白い足袋と草履を合わせているので、どこかの商家の主人にも見える。


「おはようさん。随分重たい空気ですなぁ」


矢橋屋(やはしや)の番頭か。アンタは本当に早いな。その丸っこい身体のどこが動けばそうなるんだい?」


「へへへ、よう転がるように出来てんですわ」


 岡っ引きの嫌味に、番頭は笑いながら返した。


「牛が殺られた。俺は野犬かなんかの仕業だと思うんだが、コイツは人の仕業だと言って譲らねぇんだ」


 日焼けで浅黒い顔の農夫とその家族は肩を震わせて泣いていた。彼らの傍には、茶色い雄牛の巨体が横たわっている。

 矢橋屋の番頭はしゃがんで雄牛の首に触れた。まだ僅かに呼吸がある。しかし腹部が複数箇所抉られ、太い肋骨が何本が剥き出しになり、大量の血で地面は赤黒く染まっている。どう見ても助かる気配はない。


「酷いですなぁ。なんで旦那は人が殺ったとお思いで?」


「獣避けの罠も牛舎のどこも壊れてなかった。どこぞの馬鹿が侵入して、牛を連れ出してメッタ刺しにしたんだ。ふざけやがって……」


 農夫は涙と鼻水が混ざった顔を手の甲で拭いた。


「確かに、激しく荒れた形跡もない。人の手で連れて来られたと思う方が自然ですのぉ」


「盗人なら皮や角を持っていってるはずだ。ただ殺すだけなんて、理由が分からん」


 岡っ引きは首を傾げた。


「人が殺ったとも考えにくいですな。刃物ではなく、歯で噛り取られているようですから。しかし、人が牛の分厚い皮を食い千切れるはずもない……。傷口の大きさからして、イタチあたりでしょうかね」


「鶏ならともかく、こんなデカい牛をイタチが襲う訳ないだろう」


「ええ、普通のイタチならねぇ……」


 番頭は顎に手を添え、考え込むような仕草を見せた。


「イタチが(あやかし)に取り憑かれていたらどうでしょう。妖は獣よりも知恵があり術も使います。牛をここまで誘き出すことも出来ましょう」


 岡っ引きと農夫の表情が変わる。


「妖が原因なら俺の出番はないな。『つきおんな』にやっつけてもらえばいい。今夜は確か満月だ。『つきおんな』はきっと現れる」


 岡っ引きとは、町の治安維持に携わる末端職である。厄介事に関わらない方が彼らも楽なので、実に嬉しそうだった。


 『つきおんな』とは、数年前から噂されている女の姿をした妖である。月夜に町内を彷徨い、他の妖を喰らい退治する。人を襲うことはないが、顔を見た者は例外で喰われてしまうと言われており、町民達は月が出ている夜はなるべく出歩かないように心掛けている。


「妖の仕業だからなんだ! これから畑を耕すって時に牛を殺されて、どうやって俺達は御飯(おまんま)食えばいいんだ? 新しいもんを買う余裕なんかねぇぞ」


 農夫は言った。

 岡っ引きが頭を掻いていると、矢橋屋の番頭がニヤリと笑い、手をもみながら話し始めた。


「仰る通りです。牛を奪われ、仕事が出来ないとなれば一大事です。そこでですね、私にちょっと心当たりありますんで、聞いてもらえますかな」


「なんだよ」岡っ引きが投げやりに言った。


「最近西のお貴族様の間では、牛車で大陽様参りをするのが流行っているのですよ。これがまぁ気の長い遊びでございまして。馬の何倍も時間をかけてお越しになられるのです」


「それがどうした?」


「ウチはお貴族様と同じ宿を使わない付き人様に泊まってもらう旅籠でごさいます。牛の世話をする御者と牛はウチに泊まってもらうことが多いです」


「糞尿の始末だけでも苦労しそうだな」


 岡っ引きが軽口を叩くが、番頭は気にせず話を続ける。


「昨晩泊まられた御者様が日の出早々慌てておりました。お貴族様が急用で帰らなければならなくなり、早馬が必要になったそうで。私も協力させてもらって、馬の手配は無事に済んだのですけどね」


「御託はいいから、早く言えよ」

 岡っ引きと農夫も苛ついてきた。


「するとお貴族様は『牛は要らぬ。捨てよ』と命じたのです。足の遅い牛までは連れ帰るご意思はなかったようで。お貴族様御一行は馬で先程帰られましたが、御者は路銀ももらえず、牛と一緒に置いてかれてしまったのです」


 番頭は農夫の方を見る。


「私が間に入りますんで、その牛を安く買ってはどうですか? 若くはないですが落ち着いた良い牛です。畑仕事にもすぐ慣れましょう。それに」


 番頭は雄牛を見下ろした。既に息絶えていた。


「最近東の方では、牛の肉を砂糖と醤油で煮込んで食べるそうです。『()通りい抜け(した)すぐ※2』の店の料理人に作ってみたいという者がおります」


 『四通りい抜け下すぐ』の店とは、世輪町内ではかなりの高級店を意味する。農夫は喉を鳴らした。


「小さな妖に襲われただけで良かったです。喰われた箇所以外は新鮮で綺麗です。大事に育てられてきた若い雄牛の肉は高く売れますよ。その金で急ぎ老牛を買い、後でもっと良い牛や農具を買うのはいかがでしょうか」


「それはありがてぇ……! 矢橋屋の旦那、感謝するぜ!」


 農夫は豆だらけの両手で、番頭の手を強く握りながら頭を下げた。


「私は旦那じゃないです。旅籠矢橋屋のしがない番頭の弦造(げんぞう)ですよ。これからウチの料理人を寄越して牛を捌きますからね。残った骨や内臓(ワタ)は燃やして、参道の家畜用墓地に埋めてやってください。雄牛も安らかに眠れるでしょう」


 そう言って弦造はそそそと歩いて行った。農夫とその家族はしゃがんで雄牛の顔を撫で、最後の別れの挨拶をしていた。岡っ引きだけは、複雑そうな顔を浮かべ、弦造の背中を見送った。


■■■■■


 『四通り・ほ抜け(うえ)すぐ西』に旅籠・矢橋屋は位置する。武家や貴族といった富裕層は、付き人を複数従えて参拝する。その中の一人二人は身分が低く、同じの宿に泊まらない。そういった使用人専用の旅籠として有名なのが矢橋屋である。使用人が客の場合、酒代も駄賃もほとんど入らないので儲けが少ない。他の宿は断ることが多いが、矢橋屋は定員超えしない限り、どのような身分や素性の者でも客として受け入れている。

 そんな矢橋屋の特徴は朝がとにかく早いということだ。矢橋屋に泊まる客は、己の主が目を覚ます前に支度を整えなくてはならない。朝餉も日の出前に済ましてしまうことがほとんどだ。関所が開いて少し経った頃、新たに訪れる参拝客達の朗らかな声が聞こえてくる時分には、矢橋屋は前半の仕事を終え、休憩に入る。


 矢橋屋一階奥は、旅籠を取り仕切る女将の部屋だった。

 番頭の弦造が障子の外から声をかけてから中に入る。手には風呂敷と油紙で包んだ牛の肉がある。


「女将、これが妖に襲われた牛の肉です」


 弦造は買い取った老牛を農夫に売り、捌いた牛肉を高級料理店に卸した際、一部を持って帰ってきたのだ。畳の上で風呂敷を広げ、傷跡が残る部位を見せた。


「家畜臭いわね」


 丸髷(まるまげ)※3の中年女が顔をしかめた。女と弦造よりも上座にいる若い女は、静かにその肉を見つめた。


「まだ妖気が残っていますね」


 若い女は言った。旅籠・矢橋屋の女将の(みつ)である。臙脂色の地味な着物姿だが、艷めく肌と長い睫毛を持つ美しい娘だった。絹糸のような長い黒髪を背中に垂らし、拡がらないように下の方で軽く結んでいる。


「妖がイタチに取り憑いて、日の出前に農家の牛を襲ったようです。今夜中に捕まえないと、今度は人が狙われます」


 弦造はやや声を落として言った。


「でもこのイタチは……」


 蜜は白くて長い指で、肉の抉れた跡をなぞる。


「完全に妖に取り憑かれた訳ではありません。この牛を食べたのは、獣の本能です。妖気の中にイタチが持つ生命の力を感じます」


「それでも夜になる頃には心身が蝕われ、妖に成り果てているでしょう」


 弦造の反論に、蜜は黙った。


「女将、昼飯を持ってきました」


 障子の向こうから、低い男の声がした。蜜が返事すると、前掛けをつけた男が丼四つを大きな盆に載せて現れた。


弓兵衛(ゆみへえ)、身体を洗ってこなかったのかい? 血生臭いよ」


 丸髷の中年女が再び顔を歪ませた。


「身体は拭いたし、着替えたさ。お(ちょう)の鼻がうるさいんだ」


 お朝はフンッと不満そうに顔を背けた。


「なんですか、これは?」


 蜜は自分の前の膳に置かれた丼を見て尋ねた。

 うどんの上に、茶色くて薄いビラビラが浮かんでおり、ネギの緑が目立っていた。


「今朝捌いた牛の肉の細切れを醤油と砂糖で炊いたものです。味が濃いので、うどんの具にしました。出汁は鰹を多めにしました」


 矢橋屋の料理人である弓兵衛は、あぐらをかいて説明した。弦造とお朝の分の丼も置かれ、3人はそれぞれ食べ始めた。


「美味い!」と弦造。


「やだよう、味が濃くて舌がヒリヒリするよ」

 お朝はネチネチ言いながら、うどんをすする。


「弦造は美味いとしか言わねぇし、お朝は文句しか言わねぇから参考にしねぇ。よう女将、どうだ?」


 蜜は口を小さく開き、箸で少しずつ肉とうどんを口に入れていく。顎を僅かに動かし静かに飲み込んだ。


「美味しいです。汗だくで働いた男衆に喜ばれるでしょう」

 

「今日の夕餉は決まりだな」


 弓兵衛は目尻を下げた後、自分の分の丼を持ち上げ、うどんをすすり始めた。全員黙々と食べていると、蜜は半分程残して早々に箸を置いた。


「ごめんなさい、弓兵衛。今夜は外に出るから控えておくわ。小さなイタチでも、身体に取り込むとそれなりに重くなるから」


「女将、もっとしっかり食べなさいな。力を蓄えて怪我しないようにしてもらわないと」


 お朝は空の丼を置いて言った。


 蜜はほとんど残した細切れ肉を見る。


「私が妖を取り込めばもうイタチは戻れません」


「取り憑かれた時点でイタチは妖と同じです」


 弦造が頬にうどんを詰め込んだまま言った。


「妖だけを取り込めたらいいのですが……。

 イタチと妖を切り離すことが出来れば、この生命力の強いイタチなら、元に戻れるはずです」


「イタチから妖を祓うってことだな」

 弓兵衛が言った。


「でも、私の中にいる蜘蛛は強欲です。イタチだけを逃してやるなど、絶対しないでしょう」


 そう言いながら、蜜は自身の腹を押さえた。 

※1小銀杏:一般的な町人髷。髱(後頭部の髪の毛)が膨らんでいるのが特徴。特筆なければ町人・農民の男性は大体この髪型です。

※2四通りい抜け下すぐ:世輪町独自の住所表記。詳細は後程作中で説明します。

※3丸髷:女性の髪型の1つ。この世界では、既婚者や若くない女性がしている髪型としています。

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