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11、参詣犬③

 「もうすぐろ抜けだぞ、ワンコロ」


 鐙が声をかけると、犬はワンと吠えた。

 二人の歩調は速まっていく。


「陽遣い様に託すってことは、あの牛蒡という男に頼まないといけないのか」


 鐙は独りごちる。昨日誘いを断ったばかりだ。会うのは少し気が重かった。


 クゥーン……


 犬が歩くのを止め、困ったように鳴いた。


「どうした、ワンコロ?」


 犬はゆっくり右前足を進行方向へ伸ばし、地に着けた。クゥーンと鳴き声をこぼしながら、犬は一足ずつ動かしていくが非常に鈍い。四肢に重石を結び付けられたかのように、苦しそうにしている。

 猟犬が強い敵の気配を察し足止めする話を、鐙は聞いたことがあった。だが、この参詣犬は躊躇っているのではなく、進みたくても進めない状態のようだ。


「妖が抵抗してるのか?」


 鐙は「俺が運んでやる」と言って、犬を持ち上げた。毛並みで分からなかったが、骨を感じる程かなり痩せていた。鐙の下手な抱き方に嫌がる余裕もなく、犬は鐙に身を委ねた。


「もう少しだ」


 鐙は犬を励ましながら歩く。犬はほとんど反応しなかった。


 五通りと()抜けと交差地点を示す木灯籠を過ぎた。鐙は犬の顎を自分の肩に乗せ、泥塗れの背中を擦る。


「ん?」


 交差地点を行き交う人々を背に、鐙は立ち止まる。目指す先に人の姿はない。昼の暖かな陽気と明るさに包まれた空間で、鐙は異変を感じた。


 ゾワゾワゾワ……


 犬の首元の巾着から、黒い煙のようなものが立ち昇る。それは竜巻のように鐙の身体を旋回しながら色を濃くしていく。犬が震えているのが腕越しに伝わってきた。

 後ろから反応は無い。煙は、鐙と犬にしか見えていないのだ。


「出てきたか、妖め」


 鐙は左手で犬を抱いたまま、右手を脇差の方に伸ばした。

 鐙達を囲む煙は、布のように波打ち、やがて凹凸がくっきりしてきた。一部青白い肌の色に変わり、髪を乱した女の顔の形が見えてきた。


〈憎しや……〉


 女の顔は歪み、涙を流していた。暗い声が空気を震わせる。


あの人(あんひと)はアタイのもんだ……〉


 目の前の煙の壁から、絵巻のように人物が浮かび上がってきた。粋な風情の男に抱かれる女だ。女は東雲(しののめ)色の浴衣を着ている。

 絵はすぐに流れ、別の男女が現れる。男は先程と同じだが、女が違う。その女の腹は少し膨らんでおり、二人でその腹を優しく撫でている。


〈憎い……この(こん)女と(はら)のガキを殺してやる!〉


 バウバウッ!


 犬が鐙から離れ、煙目掛けて飛び跳ねた。煙は犬がぶつかった箇所だけサッと消える。

 薄っすらとした煙越しに鐙は犬を見た。後ろ足で立ち、前足と口を振りながら、煙を払おうとしている。


〈しぶとい犬め〉


 女の唇が蛇のように上下に大きく開き、犬に襲い掛かった。しかし、煙の壁から鐙が飛び出し、犬を抱え上げて避けた。目的物を失った女の首は地面にぶつかり、黒い砂埃が舞った。


「厄介なものに憑かれながら、よく頑張ったな、ワンコロ。俺が祓ってやる!」


 鐙は犬を降ろし、脇差を抜いた。足元で犬が煙に向かって唸っている。


 煙は再び集まり、女の姿に戻った。今度は青白い首の下に東雲色の浴衣が出てきた。


〈殺してやる……!〉


 浴衣の袖先から煙が伸びて腕になった。長い爪先が黒く光っている。女は鎌のように両腕を交互に振るが隙だらけだった。鐙は避けながら、浴衣部分を斜め上から下に斬った。


 キャアアア……


 先程とは違い、女の甲高い悲痛な叫びがした。舞い上がる煙を浴びていると、二人の女の姿と声が浮かんできた。


「だから言っただろ。あの下衆男には気を付けろって。アイツはアタイ等遊女のことなんざ、人とも思っちゃいないよ」


「でも、文も簪も、こんなに丁寧に贈ってくれて……」


「何遍言ったら分かるんだ。アイツは親の金で代筆屋を雇っているんだよ。アイツは文の中身すら知らないさ。アタイがもらった文を見るかい?」


「アタイのは本物だ。あの(あん)人言ってたもの」


 ワンッ!


 犬の一吠えで、鐙の視界は元に戻った。女の姿をした煙は今も、犬を追い掛けている。犬は必死で走って逃げていた。


 憎しみで醜く歪んでいる女の横顔が哀れだった。男に本気で惚れてしまい、騙されたことを認められず、やがて生まれる子どもとその母親に恨みを向けてしまっている。


「藤鷹様、それは呪いです!」


 北側から誰かが呼びかけた。振り向くと、蜜と足丸が()抜け交差地点に立っていた。


「女将?」


「呪いの元から犬を切り離してください。邪気だけを祓っても、呪いは止みません!」


 蜜はハッキリとした声で少し離れている鐙に向けて言った。その背後では人が行き交っている。


「私達の姿や声が人々に届かぬよう、足丸が術をかけています。藤鷹様は呪いの元を探してください」


 蜜の隣にいる丁稚小僧の足丸がニヤニヤ笑いながら立っている。目の前の事態に対し、微動だにしていない。ただの子どもとは異なるのだと鐙は思った。


「呪いの元……。ワンコロ、巾着を寄越せ!」


 鐙は煙を躱し、犬の横側に近付いて膝を立ててしゃがみ、強引に首の綱を掴む。


 ガルルル! と、犬が唸る。


「切り離すだけだ。後で返すから……」


 キャンッ


 急に犬の身体が浮いた。犬の口はピッタリ閉ざされた。前足を上げ、後ろ足立ちのような姿になり、鐙と向かい合う。犬は困惑気味に瞬きを繰り返している。腰を下ろしている鐙の視点と首元の巾着の高さが揃った。

 薄っすらと細い筋が犬の顔や四肢と繋がり伸びているのが見えた。


「蜘蛛の糸……」


 鐙は犬の首元に左手を伸ばす。犬はジッとしている。赤い巾着には文字が筆で書かれていた。長い旅路で汚れ滲んでいるが「講」と読めた。


〈やめろぉー!〉


 女が口を開き、二人を呑み込まんとする。


 ドカッ!


 鐙が脇差で巾着を綱から切り離したと同時に、重くぶつかる音がした。顔を上げると。白く光る雄牛が、煙を踏み潰していた。


「牛太郎……?」鐙は呟いた。


 突然牛の精霊が現れた様子を、蜜と足丸は驚きながら見ていた。


「あの牛、もしかしてイタチに襲われた……」

「何で、藤鷹様のところに来たんだろうね〜」


 雄牛が周囲を踏み回り、辺りの黒い煙を消していく。ブルルッと身体を震わせ、鐙の方を見た。


「牛太郎、感謝する」


 鐙は巾着を持ったまま立ち上がる。犬はストンと地に落ち、グッタリと倒れた。

 鐙の手の平に収まる程度の巾着だが、おぞましいの量の邪気が伝わってきた。巾着から再び煙が漏れ出し、今度は巾着自体が宙に浮いた。


〈憎しや、(はら)ごと潰してやる……〉


 女の声が響いてくる。鐙は脇差を構えた。


「女よ、憎しみから放たれよ」


 鐙は縦に真っ直ぐ脇差しを振り降ろした。

 刃は一切巾着に触れていない。しかしその後、巾着の表面が割れ、ハラリと落ちた。落ちたものは黒く変色し、シュワシュワと音を立てながら消えた。宙に浮かんでいた赤い巾着は地面に落ちた。


■■■■■


 鐙は脇差を鞘に納め、巾着と犬を抱えて蜜のところへ行った。後ろには牛太郎が付いてきている。


「美しい太刀筋でした。流石は祓い役のお武家様ですね」


 蜜は微笑みながら言った。


「妖ではなく呪いだったんだな」


「はい。ですが術師が用いる強力なものではなく、おまじない程度の簡易的な方法でかけたと思われます。それが巾着に取り憑いたのです。偶然にも犬に邪気と抵抗出来る力があった為、力が反発し強くなり、呪いをかけた者では抑えられぬ程になってしまったのでしょう。きっと心身への負荷も大きかったはずです」


「呪いをかけた女は無事なのか?」


「恐らく。呪いは解けましたので、やがて回復すると思います。それに死者と生者では、同じ呪いでも邪気に違いが出ます。あれは生きた人間のものでした」


「女将が教えてくれなくては、俺もワンコロと一緒に煙を払うばかりだった。情けない」


「いずれ藤鷹様も()えるようになりますわ」


 犬が起きて、周囲を確認しようと鼻を鳴らしている。鐙は犬を地面に降ろそうとしゃがんだ。


「巾着を取って悪かったな。何のお守りが欲しいか俺が陽遣い様に伝えるから、中を見ていいか?」


 犬は尻尾を振りながら黙っている。鐙は中身を取り出した。油紙で四角く包まれたものが二つ入っている。一つは触った感触で銭だと分かる。もう一つを広げてみると、中に更に紙があり、文字が書かれていた。


「神無月が望月(もちづき)、懐妊の(しら)せあり。※1母子共に健やかに産まるることを願い給うべく、大陽の守りを戴きたく(そうろう)。霜月朔日(ついたち)、央照……

 霜月(11月)だって!」


 鐙は紙から顔を離し、立ち上がる。


「飛脚はどこだ?」


「四通りろ抜け下です。お参りの後に依頼すれば、明日正午過ぎに発つ便で届けてくれるでしょう」


「もっと早くしないと。あぁ、駄目だ」


 鐙は巾着と文を懐に仕舞うと、呪抜刀を外した。


「女将、預かっててくれ!」


 鐙は蜜に呪抜刀を押し付けると、犬を抱えて南へ走り出した。牛の精霊もついて行ったが、途中で姿を消した。


 受け取った刀を蜜は見る。身体の奥底からゾゾゾと震える心地がした。


「これは足丸が持ってください。私達は戻りましょう」


 蜜は慌てた様子で刀を足丸に渡した。


■■■■■


 三通りい抜け上で、陽遣いの牛蒡は北西の方を見ていた。先程から五通りで強い邪気を感じていたからだ。


「陽遣い様、厠はどこですかね〜」

「あちらですよ」


 老人とにこやかに話しながらも、西側への警戒を続けていた。


「牛蒡殿ー!」


「ん?」


 い抜け西側から呼ぶ声がする。見ると、小汚い犬を抱えた昨日の侍が走って来る。


「お前は、矢橋屋の……」


「お守りはどこに売ってる?」


「二通りい抜け上を南に進んだところだ」


「安産祈願はあるか?」


「あるが、何故そんなに急いでいる」


「央照にいる妊婦に届けるんだ。如月(2月)終わりには産まれる」


「ハァッ? 間に合う訳無いだろ」


 世輪町から央照までの場合、届くのに一月弱はかかるのが一般的だ。


「絶対間に合わせなきゃいけないんだ。牛蒡殿もついて来てくれ!」


 先程の邪気は、この侍が絡んでいると牛蒡は確信した。だが、侍の勢いに圧され、尋ねることも出来ずに一緒に走る羽目になった。


■■■■■


 蜜と足丸はミセニワの上がり框に腰掛けて鐙の帰りを待っていた。足丸は呪抜刀を抱えたままだ。夕刻前の仕事をする時間だが、女将の命を言い訳にサボっていた。その為、番頭の弦造がお朝に雑事を言い付けられて、番頭台を離れていた。


「藤鷹様が帰ってきたよ」


 足丸は非常にニヤニヤしながら言った。蜜は急いでミセニワを出る。


「お帰りなさいませ……キャア!」


 蜜は咄嗟に顔を袖で隠した。


 ほ抜けから戻ってきた鐙は下帯※2一枚しか身に着けていなかった。巾着と手形※3を右手に、脇差を左手に持ち、足元には犬がいた。


「戻りました」と、鐙は言った。


「どうしたんですか、そのお姿は?」

 蜜は鐙の方を見れないまま尋ねた。蜜の顔は、耳まで真っ赤になっている。


「金を積んで、一番早い飛脚※4を今日出してもらった。何とか脇差は取られずに済んだ」


 その時矢橋屋の前を、逞しい太腿を剥き出しにした飛脚が颯爽と関所へ駆けて行った。次に牛の精霊がドカドカと重い身体を揺らしながら飛脚を追うように過ぎて行った。通行人達は、裸の鐙に目をやってはいるものの、牛に気付く様子はない。


「牛太郎、務めを果たしたら、三吉の傍にいてやれよ」


 牛太郎の姿は陽の光に溶け、関所の手前で姿を見えなくした。


「大丈夫だ、必ず届くよ。小望(こもち)


 鐙がそう言うと、犬はワンっと返事した。

※1懐妊の報せ:この世界では、今で言う大体妊娠4〜5ヶ月位で判明することになっている。

※2下帯:褌のこと

※3手形:関所を通る時に見せる書類。通行手形。身分証明のような意味を持つ。

※4一番早い飛脚:世輪町〜央照間の場合、最速で2〜3日で届けられる。しかしこれは公の重要文書を運ぶ時位しか通常使わない。

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