北部の変化
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開校式を終えてから、早十日────いよいよ春も終わりに差し掛かってきた頃、私は自室にてジークと顔を合わせていた。
皇帝としての仕事をこなすために。
と言っても、各地から上がってくる報告や相談を聞いて判断を下すだけだが。
『実際に動くのは、アリシア達だ』と思いつつ、私はソファの背もたれに寄り掛かる。
と同時に、ジークが書類を捲った。
「イザベラ様、ラッセル子爵に預けた元奴隷達が北部での永住を希望しているようです。どうなさいますか?」
隣に座るジークはチラリとこちらを見て、承認するか拒否するか尋ねてきた。
ほう?つい、この間まで意思も感情も希薄だった奴らが自分の要望を言えるようにまでなったか。
余程、北部の生活を気に入ったようだな。
『あそこに預けたのは、正解だったな』と思案しながら、私は銀髪を手で払う。
「当人達の希望なら、別に構わん。ただ、ラッセル子爵には受け入れ可能か聞いておけ。正式に領民となる以上、皇室からの支援は打ち切ることになるからな。いきなり食い扶持が増えると、また財政難に陥るかもしれない」
『しばらくは謝礼金などでどうにかなるだろうが、限界はある』と主張し、私は天井を見上げた。
すると、ジークが口元に手を当てる。
「確かに現状、ラッセル子爵領の収入だけでやり繰りするのは難しいかもしれませんね。でも────あの事業が上手く行けば、財政難の心配はないと思いますよ」
「あの事業だと?何か新しいビジネスでも始めたのか?」
完全に初耳だったため、私は反射的に聞き返した。
『まさか、詐欺に引っ掛かっている訳じゃないよな?』と懸念を抱く私の前で、ジークは自身の顎を撫でる。
「ビジネス……とは少し違いますが、子爵領では今────大規模なトンネル工事を行っているようですよ。なんでも、山に穴を開けて隣国との貿易ルートを確保するとかなんとか」
「ほう?」
『面白い』と目を細め、私はゆるりと口角を上げた。
なかなかいい目の付け所をしている、と思って。
これまで隣国との貿易は基本、北部を大きく迂回するか海を渡るかして行われてきた。
だが、北部を突っ切って行けるようになれば移動が楽になる。
もちろん、防寒などの手間や費用は掛かるが、距離を考えればそんなの安い安い。
貿易関係者はこぞって、そのルートを使うようになるだろう。
そうなれば北部に人が来るし、通行税という安定した収入を得られる。
「くくっ……ラッセル子爵のやつ、見かけによらず豪胆だな」
いくら勝算のある事業と言えど、ここまで大規模かつ長期的な計画を実行に移す者は少ない。
失敗したら、一家離散程度では済まないため。
それでも、決行に踏み切ったのは北部の……いや、領民達の未来を案じてのことだろう。
『食糧難を解決出来たからと言って、豊かな生活になった訳じゃないからな』と考えつつ、私は席を立つ。
「どれ、ちょっと様子を見てくるか」
『そのとき、元奴隷達の話もしよう』と考え、私はジークの方を見た。
と同時に、手を差し伸べる。
「ジークも、一緒に来い」
「はい、イザベラ様」
持っていた書類をテーブルの上に置き、ジークは笑顔で私の手を取った。
『イザベラ様と外出』と浮かれて立ち上がる彼を前に、私はトントンと足の爪先で床を突く。
その刹那、目の前の景色は一変し、ラッセル子爵家の中へ転移した。
「────ぶふっ……!」
ちょうど私達の入ってきた部屋でお茶を飲んでいたらしいラッセル子爵は、勢いよく口の中のものを吹き出す。
おかげで、彼の執務机はお茶塗れになった。
『書類とか、大丈夫なのか?』と思案する私を前に、ラッセル子爵は立ち上がる。
ケホケホと咳き込みながら。
「い、イザベラ皇帝陛下……!それにジーク様も!何故、こちらに……!?」
色素の薄い瞳に困惑を滲ませ、ラッセル子爵はこちらを凝視した。
『もしや、自分に何か問題が……!?』と狼狽える彼の前で、私は腰に手を当てる。
「トンネル工事の話を聞きつけて、ちょっと視察に来たんだ。ついでに、元奴隷達のことも話したかったしな」
そう言うが早いか、私は隣に立つジークを見上げた。
すると、彼は心得たようにコクリと頷く。
「ラッセル子爵へ預けた元奴隷達から、ここでの永住を希望されている。なので、可能であれば正式に住民として受け入れてほしい」
「えっ?あの者達から、そんな希望を?」
ラッセル子爵は大きく目を見開き、呆然と立ち尽くした。
かと思えば、少しだけ涙ぐむ。
「最近よく笑うようにはなったけど、そういった意見はあまり言わないからてっきり都会へ出たいのかと……でも、そうか……そうですか。あの者達も我々と一緒に居たいと思ってくれているんですね」
『良かった』と繰り返し呟き、ラッセル子爵は泣き笑いに近い表情を浮かべた。
「もちろん、彼らのこと受け入れます。手続きはまた後日、行いますね」
「ああ」
『別に急がなくてもいい』と告げ、私は自分とジークの周りに結界を張る。
防寒対策のために。
「では、そろそろトンネル工事の現場へ案内してくれ」
────と、要請した数十分後。
私とジークはラッセル子爵に連れられるまま、裏手の山までやってきた。
案の定とでも言うべきか、難航しているようだな。
まあ、雪山に穴を開けるなんてスムーズに出来る訳ないか。
魔法を使いながら工事している面々を見やり、私は『完成まで、時間が掛かりそうだな』と思案する。
なんせ、まだ穴を開ける作業にも取り掛かっていないから。
足場作りや除雪を主に行っている現状に、私はスッと目を細める。
「せっかく来たのに、これではつまらないな」
おもむろに自身の顎を撫で、私はふわりと宙に浮いた。
そして雪山に手を翳すと、巨大な結界を二枚展開する。
どちらも内側からの攻撃や接触を拒むもので、一枚は雪山にピッタリくっつける形で設置した。
これで山崩れや二次災害は、ないだろう。
だから、あとは────
「────貴様ら、一旦こっちに来い」
工事中の作業員達を転移魔法で引き寄せ、私は腕を組む。
と同時に、作業員一同が腰を抜かした。
「い、イザベラ皇帝陛下……!?」
「何でここに……!?」
「俺達、なんかやらかしたか……!?」
目を白黒させながら騒ぎ、彼らは戸惑いを露わにする。
その傍で、私はゆるりと口角を上げた。
「久々に派手にやるか」
混乱している作業員を放置して、私は翳した手に魔力を込める。
『威力は多少抑えないとな』と考えつつ、スッと目を細めた。
「消し飛べ」




