知らない《リズベット side》
◇◆◇◆
────クソ皇帝からの接触を受けた翌日。
私はまた懲りもせず、ジーク・ザラーム・アルバートの執務室へ突撃した。
「り、リズベット様……?」
皇帝陛下の弟子とあってか、敬称をつけるチンチクリンはパチパチと瞬きを繰り返す。
が、もう慣れてしまったのか『いらっしゃいませ』と笑顔で声を掛けてくれた。
嫌な顔一つせず歓迎してしてくれる彼に、私はちょっとムッとする。
どうして、この男は平然としていられるの!
こっちはほぼ毎日、貴方の悪口を言っているのに!
少しは嫌そうにしなさいよ!
相手から思うような反応を得られず、『私ばっかり怒って馬鹿みたい……!』と憤る。
────と、ここでチンチクリンが席を立った。
「扉の前で立ち止まって、どうかなさいましたか?あっ、もしイザベラ様のことを気にされているのなら大丈夫ですよ。今は研究に勤しんでいる筈なので」
『どうぞ』と言って中に入るよう促し、チンチクリンは自らの手で紅茶を淹れ始めた。
昨日までは困ったように笑って、席を勧める程度だったのに。
『何でもてなし度が上がっているのよ』と思いつつも、私は一先ず来客用のソファに腰を下ろした。
「今日は随分と甲斐甲斐しいですね」
「書類仕事を粗方終えて、時間が余っているだけですよ────というのは、建前で……」
出来上がった紅茶をトレイの上に載せ、チンチクリンはこちらを振り返った。
その際、紅茶のいい香りが鼻孔を擽る。
「貴方がイザベラ様の大切なお弟子様だからです」
「弟子であることは最初から、お伝えしていたと思いますけど」
至極当然の疑問を呈すると、チンチクリンは困ったように笑う。
「えっと、それはそうなんですが……魔法の基礎を軽く教えた程度と聞いていましたので。昨日、ちゃんと説明を受けて色々腑に落ちたと言いますか、このモヤモヤに終止符を打てたと言いますか……」
「モヤモヤ?」
気になって思わず聞き返す私に対し、チンチクリンはちょっと恥ずかしそうに視線を逸らした。
「ええ、その……実は貴方に嫉妬していたんです。魔法の基礎を教えてもらった程度の間柄で、どうしてこんなに仲が良いんだって。イザベラ様と過ごした月日はそれほど長くない筈なのにって」
「!!」
まさか、そんな風に思われているなんて予想もしておらず……私は大きく目を見開いて固まった。
だって、このチンチクリンは……ジーク・ザラーム・アルバートは恩師様の唯一無二で、誰よりも近くに行ける立場だから。
師弟関係から抜け出せず藻掻く私を見て、嘲笑うことはあっても妬むことなんて……ないと思っていた。
他の誰でもない恩師様に選ばれた人間のくせに、謙虚ね……余計ムカつく。
などと考えていると、チンチクリンが言葉を続ける。
「でも、前世からの繋がりだと聞いて妙に納得したというか……『ああ、これは勝てないな』と思ってしまいました。まあ、そもそも弟子と夫では関係性も違いますし、張り合うこと自体おかしいんですけど……」
僅かに頬を赤く染めながら苦笑し、チンチクリンはテーブルの上にティーカップを並べた。
ついでにお菓子も。
「とはいえ、悔しいことに変わりはありませんけどね。リズベット様は前世の……俺の知らないイザベラ様をたくさん知っていると思うので」
羨ましそうにこちらを見つめ、チンチクリンはスッと目を細めた。
どことなく寂しげな瞳を前に、私はグッと唇を噛み締める。
「私は……私は────貴方が思うほど、恩師様を知りません」
震える声で絞り出すように言い、私はそっと目を閉じた。
瞼に浮かぶのは、真っ暗な闇と────千年ほど前の記憶。
私の“生きる”はフードを被った者との交流から、始まった。
「貴様────ハーフエルフか?」
そう言って、木の上に居る私をじっと見つめるのは黒いローブを身に纏う人物だった。
声色からして女性だと思うが、肌の露出を極限まで抑えているため外見はよく分からない。
ただ────物凄く強い、ということだけは本能的に感じ取った。
「……分からない。ハーフエルフって、何?」
「まず、そこからか」
面倒臭そうに溜め息を漏らし、フードの女性はパチンッと指を鳴らす。
と同時に、私の景色は移り変わり────いつの間にか、地面に居た。
『あれ?さっきまで木の上だったのに……』と驚く中、彼女はこちらを見下ろす。
「ハーフエルフというのは、エルフと異種族の間に生まれた子供のことだ」
「エルフって?」
「貴様、そんなことも知らんのか……」
「生まれた時からずっと一人だったから、そういう知識は全くないの」
ただ本能的に狩りをして、ご飯を食べて、ぐっすり眠って……そんな毎日。
時折この森へやってくる旅人や商人と話すことはあっても、一から十まで色んなことを教えてくれる存在は居なかった。
「ふむ……なるほど。あいつら、ハイエルフの次はハーフエルフを捨てたのか。本当に保守的で、頭の固い連中だな」
やれやれと肩を竦め、フードの女性はピンッと人差し指を立てる。
すると、私の体が宙に浮き上がり、彼女の目線まで上昇した。
「いいか?エルフというのは、長い耳と優れた魔法の才能を持つ長寿の種族だ。何もかも周りより秀でているが故に、傲慢で完璧主義だ。異物を嫌う傾向にあるのも、そのため」
「異物って、もしかして……私のこと?」
「ああ。エルフにとって、異種族とのハーフは許し難い存在だからな。高貴で優れた種族である自分達の血を汚された、と考えているんだ」
『ハーフエルフは完全に禁忌扱い』と語り、フードの女性はおもむろに腕を組む。
と同時に、少しばかり身を乗り出した。
「まあ、でも貴様は運がいい方だぞ。ただ、捨てられるだけで済んだんだからな」
「他のハーフエルフはそうじゃないの?」
「ああ、大抵は殺されている。でも、貴様は幸か不幸か────エルフの最大の特徴である長い耳を引き継いでいない」
『人間と変わらない普通の耳だ』と言って、彼女は私の耳たぶを軽く掴んだ。
「気配や匂いに敏感な奴じゃなければ、貴様がエルフの血を引いているとは気づかんだろう。だから────エルフとしてではなく、人間として生きる分には安全だと思うぞ」
パッと耳から手を離し、フードの女性は『良かったな』と述べる。
どこまでも他人事な彼女を前に、私はギュッと手を握り締めた。
「もし、エルフとして生きたらどうなるの?」
「あいつらの耳に入った途端、殺されるのがオチだろうな。今の貴様じゃ、到底敵わん」
『子供のエルフにすら、勝てないと思うぞ』と語り、彼女はゆっくりと私を下ろした。
かと思えば、少し乱暴に私の頭を撫でる。
「だが、それは────今のままなら、の話。これからは分からない」
「!」
「貴様の場合、魔力量はエルフの平均並みにあるからな。鍛え方次第で、一気に化けるぞ」
愉快げに笑みを零し、フードの女性は頭から手を離す。
と同時に、こちらへ手を差し伸べた。
「そこで一つ提案だ────私の弟子にならないか?」
「で、し……?」
「ああ。私が貴様の先生になって魔法を、常識を、生き方を教えてやる」
『ずっとこの森で過ごすより楽しいと思うぞ』と述べ、彼女は少しばかり身を屈めた。
「無論、エルフとしての生き方を強要したり、エルフと事を構えるよう促したりするつもりはない。これからどう生きるか、自分の出生にどう折り合いをつけるかは貴様次第だ」
「どうして、私のためにそこまで……」
世間知らずの私でも、フードの女性に何のメリットもないことくらい分かる。
だって、せっかく育て上げたのに平々凡々な生き方をされたら……彼女の努力は水の泡となってしまうから。
『エルフへの復讐を強要するなら、まだしも……』と狼狽える中、フードの女性はフッと笑みを漏らした。
「私はただ、気に食わないだけだ。半強制的にエルフとしての生を……人生の選択肢を奪われている者を見るのが、な。まあ、一種の自己満足だ」




