狸を踏み台にして
「仕方ない。私自ら教鞭を執るとするか」
────という訳でしばらく研究は控え、アリシアの教育を担当することに。
と言っても、本当に優秀なやつなので教えることは少ないが。
とりあえず、文官に必須な読み書きを教えてひたすら本を読ませている。
多分、これで知識方面はどうにかなるだろう。
あとは簡単な礼儀作法と言葉遊びのレクチャーか。
後者は『巧みな話術』に該当する能力だが、アリシアに教えたいのはあくまでソレを見抜く力。
いつか誰かと契約書を交わすことになった際、こちらに不利な条件や文言を絶妙な言い回しで隠し、見事成立に持っていく輩が居るため。
『謂わば、観察眼の強化だな』と思案しながら、私は執務室で寛ぐ。
膝の上に元宰相たる狸を載せながら。
「アリシア」
向かい側のソファに腰掛けて読書中の茶髪の少女へ話し掛け、私は狸を宙に浮かせる。
ジタバタと暴れ回るソレを彼女に投げ渡し、足を組んだ。
「宰相に必要な技術はそいつから学べ」
「へっ……?た、狸からですか……?」
人間の赤子よりやや大きめな狸を抱き上げ、アリシアはパチパチと瞬きを繰り返す。
『どこからどう見ても普通の狸だよね……?』と困惑する彼女に、私は
「そいつは元宰相のブラウン・チェイス・バーナードだ」
と、言い放った。
その瞬間、アリシアはピシッと固まり……まじまじと狸を見つめる。
「も、元宰相……?これが……?」
「ああ。今は私のペットになったがな」
「えぇ……?」
訳が分からず混乱している様子のアリシアは、オロオロと視線をさまよわせる。
『どういう経緯でそうなったの……?』と狼狽える彼女を前に、私はソファの背もたれに寄り掛かった。
「安心しろ。見た目は狸だが、中身は人間のままだ。文字だって、書けるぞ」
『ほら』と言って、私は亜空間収納からある書類を取り出す。
ソレをテーブルの上に置くと、アリシアは狸を落とした。
まあ、大した高さじゃなかったため狸は何ともないが。
「こ、これ一見ただの恋文に見えますけど────反乱の協力を仰ぐ文面ですよ!」
ビシッと書類を指さし、アリシアは『大変です!』と騒ぐ。
その足元で、狸は青ざめた。
『ま、不味い……!』と焦りながら蹲り、気絶したフリをする。
何とも白々しい演技だが、私は大して気にしていなかった。
何故なら、この文章の真意は既に知っていたから。
「ほう?アリシア、貴様もう暗号文を解けるようになったのか」
『凄い成長スピードだな』と感心する私に、アリシアは一瞬目が点になる。
が、直ぐにこちらへ詰め寄ってきた。
「いや、今はそんなことより……」
「狸の思惑なら、とっくに知っている」
「えっ?」
「知った上で、泳がせておいたんだ。馬鹿貴族や無能商人を炙り出すのに、使えるからな」
『飼い主なんだから、ペットの動向くらい把握している』と言い切り、私は人差し指を上に向ける。
と同時に、狸の体は浮き上がり、私の膝の上へ戻ってきた。
「なあ、ブラウン。貴様は私のために不穏分子を洗い出した、そうだろう?」
『前回と同じように手を回してくれたんだよな?』と問い掛け、私はそっと頭を撫でる。
すると、狸はビクビク震えながら高速で首を縦に振った。
「あぁ、やはりそうか。貴様はまさに忠犬ならぬ忠狸だな。でも、これからはきちんと私に報告・相談するんだぞ。『敵を騙すにはまず味方から』とはいえ、こうも勝手に動かれると……な?」
狸の頭を鷲掴みにし、私はスッと目を細める。
「これから先、私が貴様の言動を誤解しないとも限らない。『裏切り者』だと断定し、鍋の材料にでもしてしまったらどうするんだ?」
『食い殺すぞ』と分かりやすく脅しを掛け、私は頭を掴む手に力を入れた。
今にも失禁しそうな狸を前に、私は
「だから、くれぐれも勝手な行動は控えるように」
と、重々言い含める。
そろそろ、小物を狩るのも飽きてきたため。
『いい加減、国政を安定させたい』と考えつつ、私は頭から手を離した。
その途端、狸は崩れ落ち滂沱の涙を流す。
『怖かった……!』と全身で表すソレを再び浮遊魔法でアリシアに投げ渡し、私は腕を組んだ。
「アリシア、ソレはしばらく貸してやる」
「えっ?ですが、こんな信用出来ない人……狸?から、学ぶことなんて……」
「勘違いするな、アリシア。私は何も『そいつから、講義を受けろ』とは、言っていない。『そいつを使って、経験を積め』と言っているんだ」
「!!」
ようやく私の言わんとしていることが分かったのか、アリシアは大きく目を見開いた。
と同時に、狸の首根っこを掴み上げる。
そして無理やり顔を覗き込むと、小さく笑った。
『嘘泣きだったんだ』と呟きながら。
そう、元宰相のブラウンはとんでもなく狡猾で腹黒いやつだ。
性格も最悪で、簡単に他人を切り捨てる。
でも、一時は宰相を務めた人物。能力は十二分にある。
そのため、練習相手として最適だった。
こいつの嘘や思惑を見抜けるようになれば、大抵の交渉は上手くこなせるだろう。
『謂わば、実践訓練だな』と思案する中、アリシアは狸を小脇に担いで立ち上がる。
「分かりました。狸を踏み台にして、もっと成長します!」
そう言うが早いか、アリシアは狸と本を持って退室していった。
恐らく、私の邪魔になると判断したのだろう。
もしくは、二人きりの方が狸の本性を引き出せると思ったか……。
『あいつ、結構容赦ないな』と驚いていると、不意に扉をノックされる。
「あ、あの……イザベラ様、今よろしいですか?」
そう言って、こちらの反応を窺うのはジークだった。
『忙しいですか……?』と不安げに尋ねてくる彼の前で、私は魔法を駆使して扉を開ける。
「入れ。ちょうど暇になったところだ」
「は、はい」
パッと表情を明るくしながら入室し、ジークはいそいそと向かい側のソファへ腰掛ける。
と同時に、首を傾げた。
「暖かい……?」
「あぁ、さっきまでアリシアと狸が居たんだ」
「なる、ほど……」
じっとソファを見つめるジークは、どこか複雑な感情を見せる。
物悲しげな表情を浮かべながら。
「イザベラ様は最近、アリシア嬢に付きっきりですね……」
「そりゃあ、早く一人前になってもらわないと困るからな────このままでは、ジークとの時間が取れないだろう?」
忙殺されるあまり夫婦で過ごせていないことを指摘すると、ジークはハッとしたように目を剥いた。
かと思えば、顔を手で覆い隠して項垂れる。
どことなく安心した様子で息を吐き、彼はゆっくりと視線を上げた。
「そういうことだったんですね……俺、てっきりアリシア嬢を気に入ったのかと思って……イザベラ様が誰か一人にあそこまで構うのは、初めてだったから」
「ん?あぁ、そういえばそうかもな」
特に意識はしてなかったが、傍から見ると物凄くアリシアを気に入っているように映るかもしれない。
いや、まあ確かに気に入ってはいるのだが、好感度の高さは他の者達と大して変わらなかった。
贔屓しているつもりはない。
「実はちょっと嫉妬していたんです、アリシア嬢に。『俺は全然イザベラ様と過ごせていないのに、何でこの子だけ』って……でも、理由を聞いてホッとしました」
花が綻ぶような笑みを浮かべ、ジークは胸を撫で下ろす。
すっかりいつも通りになった彼を前に、私は少し驚いた。
女性相手にも嫉妬するのか?と。
「とりあえず悪かったな、不安にさせて」
「い、いえ……!俺が勝手に勘違いしただけなので、お気になさらず……!」
ジークはブンブンと勢いよく首を横に振り、『イザベラ様は悪くありません!』と主張する。
相も変わらず、謙虚というか……控えめな彼に、私はスッと目を細めた。
『今後はもっと気に掛けてやらないとな』と思いつつ、銀髪を耳に掛ける。
「ところで────用件は何だ?」




