アリシアの決断
「そうか。じゃあ、確認の意味も込めて一度書いてみてくれ。指で動きを真似るだけで構わない」
『空中に書いてみろ』と促す私に、アリシアは目を潤ませる。
失敗したら殺されるとでも思っているのか、カタカタと震えていた。
「心配するな。たとえ、書けなくても責めるつもりはない。本当にただ確認したいだけだ」
「……わ、分かりました」
『そういうことなら』と腹を括り、アリシアは震える指先でまず自分の名前を書く。
次は隣のやつを……そのまた次は真後ろのやつを。
ほう?こいつ、本当に記憶力がいいんだな。
敢えてなのか、無意識なのかは分からないが────名付けた順で名前を書いている。
『面白い』と頬を緩める中、アリシアは最後のやつまで書き終える。
と同時に、顔を上げた。
「ど、どうでしょうか……?」
「上出来だ」
ニヤリと笑って褒める私は、玉座の前にある階段をゆっくりと降りた。
『ありがとうございます!』と涙ぐむアリシアの元まで行き、そっと彼女の肩に手を置く。
「アリシア、貴様は本当に使えるやつだ。今後の教育次第で、稀代の天才に生まれ変わることだろう」
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。私が世辞を言う人間に見えるか?」
「いいえ……」
こちらの顔色を窺いながらも迷わずそう答えるアリシアに、私はますます口角を上げる。
まだ奴隷時代の名残りはあるものの、かなり度胸がある。
自分の意見をハッキリ言えるところも、気に入った。
『連れ帰ったのは成り行きだが、いい拾い物をしたな』とほくそ笑み、私はアリシアの顎に手を掛けた。
と同時に、軽く持ち上げる。
「そこで一つ提案だ」
エメラルドの瞳を真っ直ぐ見つめ、私は少しばかり前のめりになった。
「────アルバート帝国の宰相にならないか?」
「へっ……?」
思わずといった様子で素っ頓狂な声を上げ、アリシアは固まった。
困惑を露わにする彼女の前で、私はおもむろに身を起こす。
「実は今、宰相の座が空いていてな。誰を就けるか、悩んでいたところなんだ」
「は、はあ……」
「お前は賢く聡明で記憶力も良く、要領だっていい。まさにうってつけの人材だろう」
『適任だ』と言ってのけた私に対し、アリシアはパチパチと瞬きを繰り返す。
だんだん事情が呑み込めてきたのか、難しい顔をして黙りこくった。
かと思えば、困ったように眉尻を下げる。
「そのように評価して頂けるのは大変嬉しいですが、私には巧みな話術も知識もありません。とても、宰相が務まるとは……」
「知識はこれから、培っていけばいい。貴様にはその記憶力があるから、あっという間に他のやつを追い越すだろう」
敢えて『追いつく』といった表現は使わず、アリシアの能力を高く評価していることを示す。
すると、彼女は恐縮したように身を縮こまらせた。
「それから、巧みな話術だったか?それは正直、必要ない」
「えっ?」
「あるに越したことはないが、我が国の宰相を務める上で必須の能力ではない」
そこまで重要視していないことを明かすと、アリシアは戸惑いを見せる。
理解に苦しむ彼女の前で、私は腰に手を当てた。
「いいか?アリシア。巧みな話術というのは────対等な関係か、格上相手に使うものだ。だが、アルバート帝国は私が居る限り常に頂点に位置する。つまり、周りには格下しか居ないってことだ」
「!!」
ハッとしたように目を剥き、アリシアは服の裾を強く握り締める。
キュッと唇に力を入れる彼女に対し、私は目を細めた。
「格下相手に駆け引きしたり、口説いたりして何になる?そんな必要、どこにもないだろう?」
「た、確かに……」
「極論、交渉の場では『これをやれ』と通告するだけでいいんだ。大事なのは相手にしてやられないための知識と観察眼、それから揺るがない心」
知識はさておき、観察眼と揺るがない心は既に持っている。
なんせ、こいつはあの場で即『私につく』と決断し、劣悪な環境にありながらも自我を保てた人物……。
それからまだ無自覚だろうが、野心も充分ある。
もちろん、『この国のトップになりたい』といった類いのものではなく────『周りを見返したい』といった反骨精神に近いものだ。
復讐心とも言うな。
『ソレを自覚した時の反応が楽しみだ』と思いつつ、私はそっと手を差し伸べる。
「アリシア、貴様は必ず素晴らしい宰相になる。イザベラ・アルバートの名において、明言してやろう」
確信を滲ませた声色で言い放ち、私は少しばかり身を屈めた。
「無論、強制はしない。だが、もし引き受けると言うのならばそれ相応の環境と対価は用意してやる」
『悪くない話だと思うが?』と述べる私に、アリシアは渋い反応を示す。
どうやら、まだ迷っているようだ。
恐らく、『やりたい』とは思っている筈。
ただ、『自分なんかがやっていいのか』と躊躇っているだけだ。
『昔からの癖は早々抜けないか』と思案しつつ、私は少し顔を近づける。
「アリシア、貴様はもう奴隷じゃない。自分の意思で、決めていいんだ。他の誰でもない、この私がそれを許しているのだから。他の奴らがとやかく言う権利はない。貴様も含めて、な」
『奴隷だから、を免罪符に使うな』と主張すると、アリシアは大きく目を見開いた。
かと思えば、ようやく瞳から迷いを消す。
深呼吸して肩の力を抜き、彼女は真っ直ぐに目を見つめ返してきた。
「イザベラ皇帝陛下、私────やりたいです!宰相になって、陛下を支えられるような人間になりたい!」
過去に囚われて未来が見えなくなっていた自分をかなぐり捨て、アリシアは私の手を取った。
凛とした面持ちでこちらを見据える彼女に、私はゆるりと口角を上げる。
いい顔になったな、と思いながら。
「ああ。それでこそ、私の見込んだ人間だ」
アリシアの手を握り返し、私は『じゃあ、早速教育を始めないとな』と考える。
簡単な読み書きならまだしも、きっちり宰相の仕事を教えるとなると……講師として、あてがえる人材は限られる。
出来ることなら、位の高い文官やジークに頼みたいが……今は戦後処理で手一杯の筈。
「仕方ない。私自ら教鞭を執るとするか」




