名前
「……番号で呼ばれてきた、と聞いています」
震える声で絞り出すようにそう言い、リカルドは強く手を握り締める。
何とか激情を抑え込もうとする彼の前で、私はソファの背もたれに寄り掛かった。
「はぁ……完全にモノ扱いだったんだな」
想像以上に酷い待遇だったと悟り、私は『よくもまあ……』と呆れ返る。
と同時に、まだちゃんと自分の意思を持てている彼らに感心した。
普通はそこまで凄惨な環境に置かれれば、自我を失ってしまうものだから。
一種の防衛本能とでも言おうか……自分が壊れないように、敢えて心を殺すのだ。
初めて会った時から思っていたが、本当に骨のある奴らだな。
『拾ってきて正解だった』と考えつつ、私は口元に手を当てる。
「他の奴らもそうなのか?」
「恐らく……」
悲痛の面持ちで頷くリカルドに対し、私は『全く……情に厚い奴だ』と肩を竦める。
と同時に、席を立った。
「じゃあ、騎士団に入った奴らの分はお前が付けろ」
「えっ?」
「名前のことだ。他の奴らは私の方で付ける」
家具として扱われてきた者達を脳裏に思い浮かべ、私は扉へ足を運んだ。
が、あることを思い出してふとリカルドに目を向ける。
「あぁ、それから────三ヶ国の治安維持については、お前に任せる。好きにやれ」
『リカルドなら、上手くやるだろう』と判断し、私は全権を委ねた。
すると、リカルドは弾かれたように騎士の礼を取り、深々と頭を下げる。
「必ずや、イザベラ皇帝陛下に満足していただける結果を出します」
やる気に満ち溢れた様子で、リカルドはサンストーンの瞳に強い意志を宿した。
『この手で悪を駆逐する!』と意気込む彼を他所に、私はさっさと執務室を出ていく。
さて、三ヶ国の王族共はどう出るか……。
こちらの思惑がどうであれ、騎士なんて送られてきたら相当身構えるだろうな。
『くくっ……!』と低い笑い声を零し、私は愉快な気持ちになる。
と同時に、謁見の間へ転移した。
アルバート家の紋章が描かれた旗や先祖の名前が彫られたプレートを前に、玉座へ腰掛ける。
────と、ここで転移魔法を駆使して目的の人物達を呼び出した。
「「「うわっ……!?」」」
掃除でもしていたのか、手に雑巾や箒を持つ彼らはキョロキョロと辺りを見回す。
そして私の存在に気づくと、慌てて跪いた。
「「「い、イザベラ皇帝陛下にご挨拶申し上げます……!」」」
「ああ」
肘掛けに体重を載せつつ頷き、私は顔を上げるよう促す。
元々あまり礼式に興味のない私に対し、彼らは困惑を示した。
が、おずおずとこちらを見上げる。
「あ、あの……私達、何かいけないことでもしましたでしょうか……?も、もしそうなら謝りますのでどうか命だけは……!」
先の戦争で真っ先に私の元へつくと決めた少女が、率先して言葉を紡いだ。
恐らく、この中で一番賢いからだろう。
『敬語もしっかり身に付いているようだし』と考えながら、私は足を組む。
「安心しろ。別に貴様らを罰するために呼んだ訳じゃない。ただ、名前を与えようと思っただけだ」
「「「!!」」」
ハッとしたように息を呑む少女達は、こちらを凝視した。
かと思えば、ホッとしたような……どこか嬉しそうな表情を浮かべる。
「な、名前をいただけるんですか……?陛下から?」
「ああ。でも、嫌なら辞退してもらって構わない」
『強制ではない』と話すと、彼らは顔を見合わせ……弾かれたように首を横に振った。
「つ、謹んで頂戴いたします!」
勢いよくひれ伏し、少女達は『有り難き幸せ!』と態度で示す。
『いや、大袈裟だな』と思うものの、つい先日まで奴隷だった者達に“普通に振る舞え”というのも無理な話なので、流した。
徐々に慣れていくことを願いつつ、私は亜空間収納から紙とペンを引っ張り出す。
が、研究成果の羅列やグラフでいっぱいになった紙しかなく……また、ペンのインクも切れていた。
最近、夢中になって実験を繰り返していたから文房具の補充をすっかり忘れていた……。
別に書き留めなくてもこいつらの名前くらい覚えられるが、文官に伝えるとき必要になるんだよな。
あと、こいつらに自分の名前を文字で見せてやりたいし……。
「とりあえず、魔力で書くか」
『今はとにかく、どんな文字なのか見せられればいい』と思い、私は指先から魔力の糸を出す。
「まずは貴様から、名付けてやろう」
そう言って、私は会話役の少女を見下ろした。
「貴様は賢く聡明だから、そうだな……アリシアなんて、どうだ?」
魔力で名前のスペルを書きつつ、私はゆるりと口角を上げる。
すると、少女は食い入るように文字を見て、
「はい」
と、大きく頷いた。
『皇帝陛下から頂いた名前だから』ではなく、本当に心から気に入ったようで少し頬を緩めている。
『アリシア……』と口ずさみ目を細める彼女の前で、私は次々と名前をつけていった。
「よし、これで全員の名付けが終わったな」
宙に浮く様々な名前を前に、私はゆっくりと立ち上がる。
「名前の書き方については、後日文官から教えてもらえ。そのように手配するから」
『戦後処理で忙しいが、一人くらい講師に回せるだろ』と考える私に対し、少女────改めアリシアが手を挙げる。
「あ、あの……」
「なんだ?」
「名前の書き方はもう覚えたので、他の者達には私から教えても構いませんか……?」
恐る恐るといった様子で申し出るアリシアに、私は少し目を剥いた。
「それは構わんが……たった一回で覚えたのか?」
文字の形だけじゃなく書き方まで暗記したことに、私は心底驚く。
だって、こっちは普段と変わらないスピードでササッと書いていたから。
普通はそれだけじゃ、覚えられない。
あまり文字に馴染みのない人物なら、余計に。
『しかも、全員分だと?』と訝しむ私の前で、アリシアは慌ててこう答える。
「わ、私は基本一度見聞きしたものを忘れないので……!簡単な読み書きなら、出来ますし……!」
『強がりで出来ると言っている訳じゃない!』と弁解し、アリシアはオロオロと視線をさまよわせる。
出過ぎた真似をしてしまったかもしれない、と不安なのだろう。
すっかり縮こまってしまう彼女を前に、私はゆるりと口角を上げる。
「そうか。じゃあ、確認の意味も込めて一度書いてみてくれ。指で動きを真似るだけで構わない」




