人任せな救世主〜すいませんが、世界を救っていただいてもよろしいでしょうか〜
「うぅ、頭いった……。ってなんだここ、森の中?」
深い森の中、一人の男が頭を抱えながらゆっくりと体を起こす。
今朝は日が昇るより早く起きて、頼まれていたゴブリン退治の依頼を完遂。昼過ぎには村に帰って銭湯に赴いたはずだ。長風呂することもなく湯から上がり、しっかりとした足取りで帰路に着いた。そこまでは……覚えている。
辺りを見渡してみると周囲は乱雑に生い茂った草木のみで、どれもこれも見覚えがない。木々の隙間から見える空にしてもどことなく違和感があり、男は困惑した顔で己の太ももを軽く叩いた。
「痛みはある、いやそもそも頭が痛かったから夢じゃないのは確定か。けどこんな場所に見覚えはないよな……。誰かしらに転移魔法でも使われたか?」
転移魔法は割とありふれた代物だ。冒険者協会に有り余っている魔導士達なら誰だって使えるし、魔力を持っていない一般人にだって商店で売っている簡易魔道具を使えば使用可能である。勿論高価ではあるが、強い敵意を持った相手であれば惜しむほどの金額ではない。
しかしここまで見知らぬ場所に転移されたとなるとかなりの使い手が転移魔法を使ったという線が最も有力だろう。西の街に住んでいる魔女共の気まぐれか、あるいは先日葬った魔族達の報復か。恨みならあらゆるところで買っている。
そんな思案をしながら周囲を探索し始めると、男はこの場所に感じていた違和感の正体をすぐに知ることが出来た。
「……おかしいな。連絡魔道具が使えない。」
ここがどこかを知る最良の方法は、懐に入った連絡魔道具を使うことだ。これを使えば今自分がどこにいるかは勿論、首都にいる家族や世界中のどこかを放浪しているであろうかつての仲間達にだって連絡がつく。
しかし、そんな便利な端末がうんともすんともいわない。
「魔力は昨日こめて貰ったばかり。そもそも今朝使えたから壊れてはないはずだ。考えられるとすれば……連絡魔道具で探知できないような未開の地。あるいは阻害系の結界の中とかか?」
連絡魔道具にも限界というものはある。連絡可能な範囲は、連絡魔道具を開発した魔導協会が中継基地を作成した場所のみ。といっても数十人ほどしか住んでいない小さな村でさえ基地が作られているから、その範囲はほぼ世界中だが未開の地は別だ。海底大陸アイオラや古代都市エンバランなどの場所は、連絡魔道具不通の場所として広く知られている。
阻害系魔法の可能性も十分あり得るだろう。これだけの転移魔法を使える相手だ、巨大な魔導結界を張る実力はある。まして組織的な攻撃であればここら一帯を覆うほどの魔導結界など容易に構築できるだろう。
男がぶつぶつと言いながらぐるぐるとその場を周回していると、はるか遠くから少女の叫び声が響き、その声はどんどんと大きくなりながらこちらに向かってくる。
「誰か!誰か助けて!」
こちらに向かって走ってくる薄汚い見かけの少女。恐らく近くの村の貧民だろう、長い髪はゴワゴワとしているし、身に纏った白い服には泥のような汚れが染み込んでいる。
しかし、今はそんなことを考察している場合ではない。
コール・エルドラッド。人類史上最強の集団である勇者パーティの一角を担う存在として、彼には万人を助ける義務がある。
「どうしたんだ!安心しろ、俺はコール。あのエラムの仲間だ!」
「エラム?コール?誰だか知りませんが早く助けてください!」
「知られてないとは驚いたな……。いや、それより背後のそれは一体なんだ。」
コールのことは勿論、勇者エランのことも知らない浅学な少女を追い回していたのは、一匹のドラゴンだった。一人の冒険者として、ドラゴン自体は別に見慣れているが今目の前にいるのはその限りではない。
真紅の体に凍てつく吐息。炎と氷の両面を持ち合わせたかのドラゴンは明らかに並の魔物ではない。
剣はその硬い鱗に弾かれるだろうし、魔法は命中する前に溶かされるか固まるか。そこらの冒険者では歯が立たないどころか、都合のいい餌になって終わりだろう。
これまでコールは多種多様なドラゴンを打ち破ってきたが、これほど特殊な個体と出会ったのは初めてだ。ドラゴンはその体躯と体内に保有する炎熱器官だけで十分に強く、自然界において天敵を持たないためそれ以上の力を持つ必要がないはずだが、凍結器官に分厚い鱗まで持っているとなると周辺にこれより強い魔物……魔族でもいるのだろうか。
そんなことを思案しながら、コールはポケットに入れていた手袋をはめ、戦闘の準備を整えていく。
「敵がどれだけ強かろうと、俺ならどうにか出来る。下がってなお嬢ちゃん!」
普段はあれこれと考え込んで行動が遅れがちだが、戦闘になれば別だ。
コールが最強の魔導士と呼ばれ、勇者パーティに所属するに至ったのは、単にそのスキルの力である。
【魔力生成】
この力は、条件さえ整えば天下無敵だ。
しかし、コールが手を前に出し彼の得意技である雷撃魔法を放とうとした時、彼はこの世界の真の違和感に気づいてしまった。
「……魔法が、使えない?ガハッ!」
丸腰の魔導士などただの人。ドラゴンが牽制代わりに振るった尻尾がもろに命中し、コールは口から血を吹き出す。
おかしい。魔法が使えないどころか魔力をまるで感じない。不安に思って背後を見てみるが、先ほどの少女は依然として近くにうずくまっている。
コールは魔導士でありながら僅かな魔力しか有していない稀有な存在である。魔力を持たないということは即ち魔法が使えないということだが、その矛盾を解決しているのが彼のスキル【魔力生成】である。
周辺の人間から魔力を吸い出し、それを体内で増幅させて使用する。
それこそが【魔力生成】の真髄であり、この力のお陰でコールは勇者パーティの一員という地位を手にしていた。人間であれば誰でも少なからず魔力を有しており、そこからほんの一欠片の魔力でも吸収できればそれを数十倍にまで増幅出来る。もし横に膨大な魔力を持つ相手がいればさらにその数十倍。常に周囲の人間の中で最も多い魔力量を持てる以上、魔法の威力も常に最強となるのである。
しかし、今は違う。横に少女がいるにも関わらず、魔法の威力が出ないどころか魔法を発動すら出来ない。
コールの額には、汗が滲んでいた。考えられる可能性はただ一つである。
「まさか……。おい君!魔力は持ってるよな!?人間じゃなくて実は作り物のからくり人形だったりしないよな!?」
「ええ?そりゃ勿論人間ですけど、魔力ってなんですか?」
「は?」
驚いた。彼女が浅学なのは理解していたが、魔力の存在すら知らないとは。コールは軽く天を仰ぎ、ドラゴンの方を睨みつける。
「分かった。誰でもいいから人間を連れてきてくれ!出来る限りありったけ!」
「は、はい!」
彼女は恐らく何らかのイレギュラーだ。魔力を持っていない、なんてことはあり得るわけないが、他人のスキルを無効化する特殊なスキルを有していたり……何かしら相性が悪いのだろう。だが彼女がダメであっても、村の誰かしらを連れてきてさえくれればこの絶望的状況を打開できる。今やるべきことはただひたすらに耐えること。
そう思ってコールは足を動かし、鈍重なドラゴンの尻尾を登っていく。
「これでも冒険者歴は長いんでな、周囲に人がいない時の戦い方もある程度は心得てる!」
ドラゴンの死角は背中。昔師匠に学んだことを実践してみるが、やはり効果は覿面だ。
太い尻尾も鋭い牙も背中には届かず、ドラゴンはただ体を捻り、しがみつくコールを殺すべく冷気を放ち始める。指先の感覚は消え、吐く息は白く。とても耐えられる寒さではないが、直撃していないというだけで幾許かマシだろう。
数秒、いや数分稼げればいい。その思いでコールはドラゴンにしがみつき、懐から一つの球体を取り出す。ただ耐えるだけではジリ貧、少しでもダメージを与えなければ。
「これでも食らっとけ!」
連絡魔道具と共に購入していた爆裂魔道具をドラゴンの首元に放り投げ、その硬い鱗に球体が触れた途端けたたましい爆音を響かせながら魔道具が爆裂する。あれ一つで小さな家が建てられるほど高価な代物だが、背に腹は変えられない。
目の前の戦いに全力を尽くすことは、冒険者の鉄則だ。
ドラゴンは大きな唸り声をあげながら狼狽し、その数秒後に気力を取り戻す。倒せるとははなから思っていなかったが、まさかこの程度の効果しかないとは。コールの口から大きなため息が漏れると同時に、ドラゴンの背中から這い出た氷槍が彼の腕を貫いていた。
「ぐっ!ははっ、全く師匠め……。弱点でもなんでもないじゃないか。」
武器屋で売られているどの槍よりも太い氷に貫かれたことで、左腕は完全にお釈迦。肘から先の感覚はこれぽっちも残っていないし、そもそも空いている穴が大きすぎて繋がっているのが不思議なぐらいである。
だが、時間は稼げた。
「おい大丈夫か!」
「やっと来てくれたか!よし……反撃開始だ。」
先ほどの少女の隣人であろう、数人の男達が森の中から駆け出してくる。見たところ血は繋がっていなそうだし、彼ら全員がイレギュラーなことはないはずだ。そもそもイレギュラー自体彼女が初めて、魔力を持たない人間がそう大勢いられては困る。
コールはかろうじて残っている右腕を前に出し、決死の一撃を正面から放っていく。
「喰らえ化け物!これが俺の全力だ!」
高らかな口上と共にコールは笑みを浮かべ、その数秒後に、コールは灰燼に帰していた。
◇◇◇
「と、いうわけでありまして……。何というかその、運が悪かったですね!俺らも、コールも!」
書類が積み上がった堅苦しい部屋の中心で肩をすくめ、男は冷や汗を流しながら笑う。
彼と、彼の横に立つ不満げな顔をした少女には極めて厳しい視線が向けられていた。
「はぁ……。お前らはどうしてそこまで使えないんだ。いいか、この世界に魔力なんてもんはない!他人の魔力を増長させる奴を連れて来たところで無意味だろ!砂漠に濾過する水はないんだ!」
「局長!私は止めました!魔導士を召喚するのは初めてなんだから、変わり種ではなく適度に強そうな人を連れてくるべきだと!けどこのアホが『いや俺は最強にしか興味がないね!最強の魔導士コールを連れていくべきだ!』って主張するから!」
「お、おいエミィ!仮にも相棒のことをアホ呼ばわりするなよ!」
上司の叱責を無視し、二人はやいのやいのと言い合いを開始する。その様を眺めながら、局長と呼ばれた男はこれまでになく深いため息をついていた。
「もういい。とっとと代わりを探してこい。この世界の命運は、お前ら二人に託されているといっても過言じゃないんだ。」
「任せてください!今度はノックス先輩じゃなく、私の人選ですから!とびきり役に立つ人間を連れて来ますよ!」
「期待してるぞ、エミィ。お前の横にいる馬鹿はこの世界における超重要人物だが、とびきり怠惰でとびきり無鉄砲なんだ。全く、どうしてこんな男を頼らなければならないのか。悲しみを通り越して最早涙も出ん。」
そう言って上司の男は椅子をぐるりと回転させ、背後にあった窓の景色を眺める。
今日も森を闊歩するドラゴン、もとい凍炎爬はコールとの交戦から三日たった今でも元気そうだ。空を飛ぶ空毒蛾も、窓に突撃してきた旋雷鳥も。
相変わらず、この世界には怪物が溢れている。
「局長、窓の外を見てても何も変わりませんよ。俺達に戦う力はないんですから。この世界は、あっちの世界と違うんです。」
「そんなことは分かってる。俺はお前の無能さを嘆いてるんだ。コールとかいう男で二十人目。異世界からこれだけの人数を攫って来たというのに、未だ平和は訪れていない。」
「うっ、小言は止めてくださいよ。これでも頑張ってはいるんですから、ほどほどに。」
「全力で頑張れ。仮にもお前は『死神』だろう。」
強力な魔物達とは裏腹に、この世界の人間達は何の力も有していない。魔物も、スキルも、異常な身体能力も。
だがその中でノックス・レイニーだけは例外である。
丁度人一人が通れる程度の門を開き、剣と魔法の異世界へと渡る能力。
その力を有したノックスは、この世界における救世主であり、異世界における『死神』だ。
「いいかノックス。世界は日々滅びに近づいている。これを打開できるのはお前、いやお前が連れてくる異世界人達だけだ。どんな手を使ってもいい、まともで、強い人間を攫ってこい。」
「はいはい、分かりましたよ。この死神めにお任せください。ほどほどに頑張りますよ。」
「ノックスさんのお尻を叩く仕事は私に任せてください!きびきび働かせます!さっ、行きましょう!」
そうやって息巻く相棒であり『天使』のエミィに尻を蹴られ、彼らの後方に大きな門が空く。暗闇が渦巻き、冷たい空気が流れ込むそここそがこの世界にとっての希望の地。
『死神』と『天使』、最悪の救世主達はいつだって他人任せに世界を救おうとしている。