言葉の奴隷
言葉は我々の道具であった。
時に我々の生活を豊かにしてくれる物として、時に人を傷つけるナイフのような物として。
言葉も他の道具と同様、我々の使い方によって薬にも毒にもなる。その全てが我々に委ねられていた。
ところが、言葉は我々にはもはや制御しきれない存在になってしまったのではいか。自然のような存在になったのではないだろうか。
【ーであったはずの言葉はいつしかーになってしまった】
情報化と共に、感情や思想を言語化する場面が増えた。SNSがその最たる例である。
人間の知的活動がより活発になる一方、人間が言葉に支配される場面も増えた。感情の言語が論理の言語になり、現代になってその感情と論理をもってして我々を全力でぶん殴ってくる。
我々は結局、ただの獣である。
議論と論争、批判と誹謗中傷を履き違える。今に珍しいことではない。だか、その違いとは。
自然は常に警告してはくれない。社会の中で生きるのならば、理性が必要だ。
他人の自慰に付き合う義理はない。そこに理性は通じない。取り合うのは無駄だ。
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