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クレオパトラの娘  作者: かのこ
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レクス

 神君カエサルの死後、幕僚だったマルクス・アントニウスは、その後を継ぐかのように女王を愛人とした。しかし緊張状態にあったアウグストゥス(当時はオクタウィアヌスといった)との同盟を強化する必要が生じたため、アウグストゥスの姉オクタウィアと結婚した。

 アントニウスとオクタウィアはアテナイで過ごし、この結婚で二人の娘に恵まれたが、アントニウスはパルティア遠征に赴くにあたり、危険を説いてオクタウィアをローマに帰国させた。

 その後アントニウスは女王を呼び寄せる。彼女の持つ、エジプトの莫大な富と軍隊が目当てだった。アウグストゥスとの戦いに必要であったのだ。

 女王と再会したアントニウスは、女王と結婚するために、オクタウィアを離縁した。オクタウィアはカリナエの邸宅を出された。無論、当時のアウグストゥスは激怒した。

 オクタウィアは皮肉なことに夫の死後、この屋敷に帰ることが許された。アウグストゥスはアントニウスの財産を没収することなく子供に相続させるつもりであったから、この屋敷もゆくゆくはアントニウス家の当主になるユルスが受け継ぐ予定だった。

 ローマの人々はオクタウィアを貞女の鑑とし、その婦徳を讃えた。彼女は不実な夫に離縁されても健気に耐え、夫の先妻の子供も、女王クレオパトラの娘さえも我が子同様に養育した。そして今、立派に育て上げ、婿を選んで嫁がせる準備までしている。

 戻ってきた王子が、子供たちとゲームを始める。だが王女は師の近くに座ってそちらを見もしない。

 やがて眠たげな顔になってきたアントニア姉妹は、私たちに挨拶をして部屋に戻った。

「私の部屋においで下さいませんか」

 王女は話したりなさそうに師に言った。師も薄々察した。家族の前では話せないこともあるのだろう。

 クレオパトラ・セレネ王女は一緒にローマに来た兄や弟とも死別している。アウグストゥスに抹殺されたのではとの疑いもあった。真偽は謎だが、後のアウグストゥスの後継者たちの死亡率の高さを考えれば、生きて厚遇されても、さほど長生きはしなかっただろう。

「ムーセイオン会員か。王族ともなれば家庭教師も立派な学者様がつくもんだ」

 我が師と王女が部屋に向かうのを見ながら、ユルスが呟いた。ムーセイオンとは芸術の女神ムーサイを祀る神殿で、王立の学術研究機関が併設されている。この会員は衣食住を保証され納税を免除される。エジプトに国王はいなくなったがその運営は存続していたのである。

 オクタウィアも退出したが、マルケルスたちは家内奴隷に葡萄酒を持って来させた。私は女性の部屋に入るのをはばかって食堂に残っていた。

「そうだユバ。聞こうと思ってたんだけど」

 マルケルスが尋ねた。

「バシレウスやレクス(共にギリシア語とラテン語の『王』を意味する)が倒されて、貴族政や共和政が出来たということは、一人の権力者よりも、複数の代表者による政治の方が正しいってことなのかな?」

 王子は、大きくなった子たちにはきちんと受け答えをした。

「優れているとか正しいという判断は出来ないよ。その国土や領民に向いているか、いないかはあるとは思うが。アテナイのバシレウスやローマのレクスには、元から大した権限はなくて、貴族に淘汰された点では似ているが……」

 これでは不充分だと思ったのか、少し考えるような表情をして言った。

「同じ『王』でも、地域や時代によって異なるんだよ。マルケルスの言うアテナイやローマの王権には、オリエントのような絶対的な権力はない。対外的に平和の続いた都市国家の統治には、強力な指導者は必要とされない。支配層と被支配層が同じ部民族であるかどうか。他民族を支配する、強力な支配権があるか否かで意味合いが違ってくる」

 我が師が聞いたら、首をかしげたかも知れない。その年齢の私が、極論だなと思ったのだ。王子は私が聞いているのに気づくと苦笑して続けた。

「マケドニアの王制を考えるとわかりやすいかも知れない。マケドニアは文化と接触することなく村落生活が続いた結果、ポリスを形成しない原始王政が存続した。アテナイなどに比べれば王権は強いと言えるが、やはり領民はマケドニア人が中心と考えてよい。だがフィリッポスやアレクサンドロスの時に、被支配者層がギリシアやペルシア、エジプトにまで拡大する。国王にはある程度の権力はあったが、貴族たちにペルシア式の跪拝を拒否されたことを考えると、やはり絶対的なものではないだろう。アレクサンドロス個人の力量でこそ領域の拡大が可能だったわけだが、急激な変化に貴族たちにはついてゆけず、反発を招く」

 これはローマの支配の拡大した時代に現れた神君カエサルを彷彿とさせる。大王アレクサンドロスは病に倒れたが、ローマ市民カエサルは独裁を恐れた元老院議員に暗殺された。

「マケドニア式の王政には限界がある。セレウコス朝シリアは、雑多な民族を支配するのに、君主政をとりながらも地方分権を余儀なくされ、自治権を与えるという方法をとっている。中央官僚にはギリシア人を起用したが、土着の民族とは融合しなかった。支配層と被支配層の分離により、王権は次第に縮小され、現在はローマの属州となっている」

 王子の独壇場になってくると、マルケルスとユルスは黙って聴講することになる。

「それに対して絶対的な権力を持っていたのが、オリエントの王だ。エジプトではファラオと呼ばれたのは知っているだろう。異民族との対抗、被征服民族の統治の維持には、強力な指導者が必要とされる。一人の主人と万人の奴隷。全国土と住民は国王の所有であり、国王は神聖で侵すべからざる存在とされる。支配階級にはマケドニア人やギリシア人を登用しバシレウスとして統治し、圧倒的多数のエジプトの土着民に対しては、ファラオ、神として君臨した。政治的にバシレウスとファラオの二つの顔を使い分けたんだ。ポリス的な自治を認めた都市は、王権の強化の障害となる。だからプトレマイオス朝は、アレクサンドレイアを除くと、エジプト古来の統治を存続させている」

 だがそのエジプトも今ではローマの属州である。アレクサンドロスの版図は、ローマのものになった。

「確かにギリシアやローマの王政は倒された。けれどギリシアの貴族政には僭主という独裁者は出てくるし、ローマにも非常の際に任ぜられる独裁官制度もある。独裁的な権限が悪であるから、廃されるべきものというわけではない」

「でも、広大な国土や異なる民族を統治するには、一人の権力者の方が向いているということ?」

 マルケルスが尋ねる。古来ローマはさまざまな部族を受け入れてきた。ローマの初期であれば、共同統治の制度としての共和政は有効だっただろう。だが多くの民族を取り込み、領土の拡大した現在では、二名の執政官制や緊急時におかれる独裁官ディクタトルでも、権限の限られた官職に過ぎない。

「じゃあローマは?」

 重ねてマルケルスが言うのを、ユルスが黙って見ている。

「今のローマは、都市国家だった昔のローマとは異なるだろう。ゲルマニア、ガリア、アシア、エジプト、アフリカ、アラビア、パルティア。多くの民族を取り込んだローマには、共和政は向かないのではないの?」

「……国を統治するのにどの方法が適しているか、という答えは非常に難しい。国土が広くなれば、支配下に入る民族も多種にわたる。民主政や共和政が通用する土地もあれば、王政が向く土地もある。だが分割統治のための自治を認めすぎれば、国家としての統治は瓦解する。だが確かに今までの制度では限界があるだろう」

 王子は慎重に答えた。

「今ローマは、これまでの歴史では導き出せない新しい局面を迎えている。ローマの行方は、これからのアウグストゥスにかかってくるだろう」

 マルケルスとユルスは、思案に沈む表情をした。

 時代は急激な変質を遂げていた。古き伝統を折り込みながら、アウグストゥスは新しい時代を拓こうとしていた。アウグストゥスは市民の第一人者プリンケプスであるのみならず、新しい時代の第一人者であった。

 これまでの歴史の流れは全てローマに集結し、世界の命運はこれからのローマにかかってくる。極端で強引な説だが、そういう史観の持ち主なのか。

 だが私が気になったのは、彼が今後のローマの政体を問われたのに対し、明確な答えを避けたことだ。ユバ王子が言葉を選びつつ言うのには、わけがある。現在のローマを考えると、それはきわどい問いだったのだ。

 改革者オクタウィアヌスは、独裁官による専政から、伝統的な共和政への復帰を宣言し、権力を返上した。だがそれは一瞬の錯覚に過ぎなかった。元老院は彼に「尊厳者アウグストゥス」の名を贈り、権力を与えた。

 アウグストゥスはそれを丁重に辞退しながら、やがてそれを受け入れ、権力を掌握した。元老院との共同統治という形をとりつつも、実質的には第一人者、元首による専制政治への基盤を固めつつあった。

 最高権力者である執政官コンスルには一年の任期があり、定員は二名とされ、対等の権力を持つ同僚執政官が存在した。だがアウグストゥスは連続して執政官の職につき、同僚にはアグリッパ将軍などの腹心を選んでいる。

 アウグストゥスは事実上の王だった。だが彼にはレクスは名乗れない。ローマ市民はそれを許さない。それ故に、神君カエサルは殺されたのだから。



この章の為にレポート書きました。大学受験用の世界史の参考書と、概説書を見ただけですが。

マルケルスはキャラ設定がしにくいです。

小説として性格を割り振るという書き方をしているため、ユルスやティベリウスとキャラクターがかぶる書き方ができません。ちょっと出番少な目です。

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