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クレオパトラの娘  作者: かのこ
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アレクサンドレイアの銀貨

 私は大事な人の死を直視するのを先送りにしていた。気づくとことは運んでいて、義父の遺体は王子の屋敷に移され、略式の葬儀の手配が済んでいた。

 医者のエウフォルブス殿が来て、我が師の遺体の検死をしていった。彼は後にユバ王子の侍医になる人で、落ち込んでいる私を気づかうように言った。

「心臓を深く刺されています。ほぼ即死で、あまり苦しまなかったと思いますよ」

 短剣の刃を思い切り押し込んだほど、憎悪が深かったのか。それに対した我が師には覚悟があったのか。ほとんど抵抗の後はなかったという。

 遺体は焼き、アレクサンドレイアで正式な葬儀をすることになる。

「ステファノス。アレクサンドレイアに帰るのなら人をつけるが……」

 王子は言ってくれたが、遺骨は送り私はローマに残ることにした。我が師の殺害犯をつきとめないことには、安らかに眠るよう語りかけることも出来ない。

 犯人は我が師に何か恨みのある者なのか。アレクサンドレイアからローマまで追ってきたのか、ローマでたまたま会ってしまったのか。強盗が学者風情をわざわざ殺す理由があるとは思えない。我が師はローマで何かを知ったか、見たかしたのかも知れない。或いは、私には想像がつかないが、金銭より価値のあるものを持っていたのか。犯人は我が師を殺し、それを持って逃げたということも考えられる。

 私がそうしたことを述べても、王子は何も答えなかった。だが一連の手続きを終えると行動に出ることにした。私を連れてカリナエの旧アントニウス邸に赴いたのである。

「まあマメだこと。クレオパトラ! 婚約者が来たわよ、出てらっしゃい!」

 家内奴隷に訪問を告げていると、アウグストゥスの一人娘のユリアが現れた。後に彼女の再婚、再々婚、その他等々の噂がローマから伝わって来るたびに、ユバ王子はため息をついたものだった。オクタウィアやリウィアに教育をされながら、昔ながらの良識ある女性にならなかったのは残念な話である。

「おやユリア。どうしたんだね」

「別にイトコの家に来るくらい、いいじゃない」

「確かにそうだが」

「アウグストゥスに怒られたそうだよ。ユリウス家の娘としてふさわしくない行動は慎めと説教をされたそうだ」

 王子の来訪を聞いて現れたユルスは説明した。ユリアはある意味ローマの実質的な王女である。そのためアウグストゥスの後継者候補たちには、彼女に頭が上がらないといった一面が見られた。

 王女が渋々といった表情で侍女を連れて奥から出てきた。

「だって信じられる? 別荘までわざわざあたしに挨拶しに来てくれた男の子を、お父様は怒ったのよ? ひどいじゃない」

 希代の悪女、だが当時は純朴な乙女だったユリアが怒りながら王子に訴える。

「男の子……ねえ」

 王子は苦笑する。ローマの第一人者の娘に声をかける勇気ある若者もいるのか。

「貴族の息子なんだけどな。別に礼儀正しいだけで下心なんてないって奴」

「そんなのわかんないじゃない。もう、なんて失礼なことしちゃったのかしら」

 王女はぼんやりとユルスとユリアの言い合いを見ている。王子もわざと彼女を無視していた。が、

「クレオパトラ。話がある」

 やがて王子は、静かに言った。

「あら、ヌミディアの王子とエジプトの王女で世界征服の相談でもするの?」

「なんだね。その言い方は」

「あんたたちが恋を語らうなんてぜーったいあり得ないもの。あたしにはアシアをちょうだいな。で? 徹底的に喧嘩でもしに来たの?」

 ユルスが割ってはいる。

「嫁入り前の娘を男と二人きりにさせたとありゃ、俺がオクタウィア様に怒られる。俺も同席するに決まっているだろ」

 王女をかばうつもりなのだろうが、この婚約者たちでは話し合いにならない可能性がある。ユルスが言ってくれたので私は安堵した。

「なんなのよ。三人して難しい顔しちゃって」

 王子を食堂に案内したユルスが、手際よくユリアを追い出してしまった。

「坊や(私のことらしい)も他言無用だからな」

 侍女がセティア産の葡萄酒を持ってきた。ユルスが早く行って欲しいような顔をしたので、私が水で割る役を代わることにした。

「あの男の正体を知りたい」

 王子は、王女に単刀直入に言った。

「そなたは三年前にローマに来たばかりだ。しかも女で、若い男と知り合う機会など少ない。何故、そなたはあの男を知っている?」

「あなたには関係ありません」

 王女は言った。婚約している間柄で関係ないはずはないのだが、王子はそれには反論しなかった。

「それに子供を見下すような態度は、やめて下さいませんか」

「そなたが子供なのは、事実ではないか」

 王子が冷淡に言い返したため、険悪な空気が漂う。王子には残酷な面があると感じる瞬間である。

「まあ待てユバ。別にクレオパトラがそいつと姦通したでなし、そんな陰気な顔をせずとも……」

 ユルスが慌ててなだめた。

「アポロニオス殿が殺された。あの時に話し合いをしても無駄だろうから無理には質さなかったが、犯人がその男だとしても、君たちはずっと黙っている気なのか?」

 二人はそろって苦しげな表情をした。私の前でしらを切るだけの冷淡さは持ち合わせていないのだ。そして王子は二人を見つめながら言った。

「それに嫌な噂がある。プトレマイオス王が生きていて、ローマにやって来たというのだ」

 その名を聞いて王女が立ち上がった。

「そなたの異父兄、プトレマイオス・カエサリオンが生きている、というのだそうだ」

「嘘です。兄は死にました。殺されました!! アウグストゥスに、殺されました!!」

「それが生きている。会って話したという者もいるそうだ。あの男は、そのカエサリオンなのか?」

 私は王子を見た。

プトレマイオス十五世。通称カエサリオン。神君カエサルとの間に生まれたクレオパトラ七世の息子であり、夫であり、共同統治者であったファラオである。クレオパトラ・セレネ王女には異父兄になる。

 アウグストゥスがアレクサンドレイアを掌握すると、女王はカエサリオンをインドへ逃がすことにした。だがカエサリオンはロドンという家庭教師に騙されて引き返す。アウグストゥスは「カエサルが多すぎるのはよくない」と言ってこれを殺させたという。

 アレクサンドレイア人である私にとっては最後のファラオ、ムーセイオンの主である。

「お黙りなさい!」

 王女は声をはり上げた。さすがに小さな時から人に命令しなれている人間の口調だった。

「ユリウス家を継ぐために、あの男は私の兄を殺したのよ!? 自分がユリウス家を継ぎ、エジプト国王の地位を得るのに、カエサリオンが邪魔だったために殺したのよ!!」

 王女はユバ王子を睨みつけた。背丈の差のせいで、見上げる形になっている。

「場合によってはアウグストゥスに知らせなければならない事態だ。君たちが隠していれば、謀叛ととられかねないのだよ」

 ちら、とユルスが王女を見た。逆上した王女は、顔を赤くしてきっと口を噤んでいる。「お主もそんな、雲行きの悪くなるようなことをわざわざ言わんでも……」

 王女の機嫌が悪い時にしばしばユルスは「雲行きが悪い」と言った。セレネの様子が良かったためしはないが。ちなみに王女の双子の兄の添え名ヘリオスは太陽神で、なかなか洒落た命名だと思っていたが、王女以前にもクレオパトラ・セレネというシリア王妃がいたと王子に聞いた。

「じゃああの男は、誰だというんだね?」

 王子は眉根を寄せる。気難しげではあるが、それなりに整った顔立ちである。果して本人はそれに気づいているのだろうかと私は時折思う。確かに自分の横顔など知らなかろうが、ヌミディア人であるそれだけで、まるで芸術の対象にもならぬと思い込んでいるふしがある。

 王子はトガから銀貨を取り出した。

 それは、女王クレオパトラとマルクス・アントニウスの結婚記念の貨幣で、片面にアントニウスが、もう片面には女王の横顔が彫られていた。王子は「アポロニオス殿の死体を調べた時に見つけたものだが」と言った。

「アレクサンドレイアで造られたものだから、アポロニオス殿が持っていても不思議はないが。これが君たちに対して、随分と物騒な意思表示をしているとは思わないか?」

 王女の両親の肖像が入った銀貨。またしてもアレクサンドレイアがちらつく。



ユバ王は、発見した植物に主治医エウフォルブスにちなんで「エウフォルベア」という名前をつけます。現在でもユーフォルビアという学名に使用されてます。

ユリアのエピソードは時期は違うかもしれません。(『ローマ皇帝伝』 アウグストゥス 64)

銀貨はよく本に載ってますね。

クレオパトラとユバがちゃんと会話していたら、とっくに解決して話が終わるのに、と自分でも思います。

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