記憶障害
「記憶障害?」
ソフィアは先程からシャルルと医師にテストをされている。
「名前は?」
「ソフィア・ヤヒャエドーラ」
ーーードヤッ!
「では私の名前は?」
「…シャルル」
ーーーだよ…ね?
「正式名」
「……………ヒントを」
「ぶっ!ヒントなんてあるわけないだろ!」
思わず笑いだしたシャルルはまた彼女の頭をくしゃくしゃにする。
「だって!ケチっ!」
「ケ、ケチだと?!私は王太子だぞ!」
「私は病人でーす」
「そんな憎たらしい病人はいないぞ」
「そんな憎たらしい王太子もいないんじゃないですかね!」
もはや子どもがじゃれあっているとしか思えないような光景は、彼らに近い者にとっては今や見慣れたものだ。
「殿下、ソフィア様、それくらいで…恐らくあの夜の毒のせいでソフィア様の記憶に少し障害が見られるようです」
テストにあっさり不合格となったソフィアは医師にそう告げられた。
「そう…なんですね…」
ーーーーごめんなさい、そんなたいそうなものではありません。深くお詫び申し上げます、と2人に手を合わせた。
「ということで、当分まだここで過ごしてもらおうかと思うんだけどいいかな?君が記憶を取り戻さない以上、経過観察も必要だし」
「はい。すみません。いろいろとご迷惑をかけてしまって」
「気にしなくて良い。ちなみにご両親のことも覚えていなかった?」
「そう…ですね…」
「だよね、横で見ていてそんな気がしていたよ」
シャルルは必死で難しい顔をしていた。彼女をまだここに引き留めることができる。そばにいられる。それがたまらなく嬉しかった。
ーーー俺はいつからこんな腑抜けな男になってしまったんだ?やはり変わったのは俺の方か…
ソフィアにとって記憶障害という診断は申し訳ないがとても有り難いものだった。
偽らなくてすむからだ。
そしてもう偽る必要もないほど、自分が知らないことだらけだということをシャルルは気づいている、ということもわかっていた。
多少気をつけないといけないことはあるが、それでも「知らないことは知らない。憶えていないことは憶えていないと言っていい」
というシャルルの言葉は彼女の心を軽くしてくれた。
ーーーーーーーーーーーー
ソフィアは少しなら外に散歩に出られるようになった。
ナーラと散歩する日もあれば、シャルルが一緒のときもあった。
シャルルといると本当によく話し、よく笑った。笑い疲れるほどだった。ほんの少しの散歩だがソフィアにとってはとても好きな時間だった。
「さぁもう戻ろう」彼が言った。
「はい」ソフィアは特に意味もなく「ふぅ」と息を吐いた。
「どうした?疲れたか?」
「え?いや、べつ……に…キャッ!」
シャルルがいきなりソフィアを抱き上げた。
「なに?なに?なんで?」
「部屋までお運びいたそう、姫」
「だ、大丈夫です!歩けます!」
シャルルは彼女が真っ赤になっていることに気づいた。
「そんなに恥ずかしいなら顔を隠しておけ」
軽い気持ちで言ったはずが、いきなりソフィアが細い腕を自分の首にキュッと巻きつけて、顔を埋めてきた時には…全身が総毛立った。
ーーー待て!ソフィアが恥ずかしさに真っ赤だと?!あの高慢さが取り柄のようなソフィアが!そしてなんなのだ、この可愛さは!このまま奪ってしまいたい…
シャルルはソフィアを抱き上げたまま遠回りして部屋に戻った。
ーーーーーーーーーーー
そんな2人の散歩は天気の良い日にはよく見られるようになった。
ある日、ソフィアはずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの…」
「ん?」
「…………」
「なんだ?」
薔薇に囲まれたベンチにシャルルが先に腰をおろした。
ソフィアは何故か急に聞くのが怖くなってベンチの前で立ったまま言葉を探していた。
「どうした?」
シャルルが彼女の顔を覗きこんできた。
ーーー爆イケ近っ!
焦ったソフィアは顔を離しながら言った。
「あのですね!あの、私、ここにいさせて頂くのは、その…いいのでしょうか?」
「ん?」
「だって殿下と私って婚約解消したんですよね?それなのにいつまでも私がここでお世話になっているというのは…どうなのかと…あの、殿下の恋人の…」
するといきなりシャルルは彼女の腕を掴み自分に引き寄せた。
ーーーうぉっ!
「な、なんですか?」
ソフィアは彼の足の間で、腰を彼に抱かれ動けなくされてしまった。
座っているとはいえ長身の彼の顔は、立っているソフィアとほぼ変わらない位置にある。少し低い程度だ。
ーーー近い近い近い!
「で、殿下!」
「お前はどうしてそう都合の悪いことだけはしっかり覚えているのだ」
「い、いや、でも婚約解消したのは殿下ですよね。めちゃくちゃ怖い顔してましたし」
「それは、その…お前の態度が悪かったからだ」
「だって、あのとき、毒入れるの見たんですもん、そりゃムリですよ。それどころじゃ……んっ…!」
突然ソフィアは彼の口唇に口を塞がれた。
「え?なん…で?」
するとまた塞がれた。優しく長く…離れてはまた優しく、そして離れては強く…何度も何度も2人は口づけを重ねた。
「婚約解消は忘れろ。そしてあの女のことももう忘れろ。彼女は関係ない。もう二度と我々の前には現れない。」
そう言うと彼はまたソフィアの口唇を求めた。
ーーー離したくない。ソフィアが愛おしくてたまらない。
口唇を離すと彼は優しく微笑み、彼女を強く抱きしめた。彼女は力が抜けたとばかりに彼に身体を預けてきた。
ーーーこれくらいのことで…こんなことは初めてだ。こんなに誰かを欲しいと思うことがあるなんて。彼女が欲しい。彼女の全てがたまらなく欲しい。
「何も心配しなくていい。ここにいてくれ。私のそばに。」