押し付けられた残業は恋の始まり
何事も無ければ定時で帰れる!なんて考えていた3時間前の私に「係長と目を合わせては駄目」と言ってやりたい。
あの時、係長と目が合わなければ「月曜の朝イチの会議で必要だからよろしく」と資料をまとめるように言われず定時で帰れただろうと思う。
休日出勤か残業かで悩み、残業を選んだ事を少し後悔し始めた頃、同僚達は山積みの資料と格闘する私に憐れむような眼差しを向け、そそくさと退社していった…。
ようやく資料をまとめ終わり時計を見ると9時を回っていた。
疲れたなと思いながらボーッとコーヒーを飲んでいると背後からコツコツとヒールの音が近付いて来て「お疲れさま」と声をかけられた。
条件反射のように「お疲れさまです」と返事を返し、声の持ち主を確認しようと振り返り驚いた。
私に資料をまとめるように押し付け早々に帰っていった係長だった。
「こんな時間まで残業してたの?」
「あ、はい。でも、もう終わりました。」
「そっかそっかぁ、仕事押し付けたみたいになっちゃってごめんね」
押し付けたみたいに?みたいにじゃなくて押し付けたが正解でしょ!なんて考えたけれど言えるわけもないので
「こんな時間にどうしたんですか?」
と、質問するにとどまった。
「ロッカーにコレ忘れちゃって」
私に見えるようキーホルダーの付いた自宅のであろう鍵を振ってみせた。
いつもキリッとしている係長からは想像のつかない可愛らしい猫のキーホルダーの付いた鍵と係長の顔を交互に見てしまった。
「何よ?猫が好きなんだから良いじゃない!」
少し頬を染めながら言われても迫力が全くなくて思わず笑ってしまった。
「絶対キャラじゃないって思ってるでしょ!」
さらに頬を赤くしてそう言う係長にドキッとした。
怖いなぁなんて思っていた係長の意外な一面をを見て、実は可愛い人かもと少し考えを改めた。
「私そろそろ帰りますけど、どうされますか?」
「あー、私も帰るわ」
そんな会話の後、何故だか並んで会社を出る。
そしてそのまま駅まで並んで歩いている時に、私より3つ先の駅に住んでいると聞いた。
上司と一緒に帰るなんて気が重くなるのに、電車ではすごく自然に隣に座られてしまった。
「休みの日は何してるの?」
仕事の話が一段落したとき係長にそう聞かれた。
「休みの日ですか?本を読んだりDVD借りてきてみたりが多いです。インドア派なので」
「本好きなの?どんなの読むの?」
「そうですねぇ、ミステリーが多いです」
「へぇー、じゃあDVDはどんなの借りるの?」
「話題になってた映画とか、原作の本を読んで気になった映画とかですかねぇ」
「なるほど、覚えとくね」
質問責めされて覚えとくと笑顔で言われ、私は反応に困り微妙な笑顔で「覚えなくていいです…」と言うのが精一杯だった。
「あ、お酒はどう?晩酌とかする?」
「家ではほとんど飲まないです。駅前にショットバーが有るんですけど、たまに行くぐらいです」
「ねえ、そこに飲みに行かない?」
「え?今からですか?」
「どんな所で飲んでるのか見てみたいなぁ。それに、仕事押し付けて帰っちゃったお詫びもしたいし」
「いえ、そんな、いいです気にしないでください」
答えながら、やっぱり押し付けたのかい!と心の中でツッコミをいれた。
「いいから、いいから、遠慮しないでー」
遠慮してるわけでなく、早く帰りたかったので必死に断った。にも関わらず、当然のように私の後ろに付いて電車を降りて「さっき言ってたお店どこー?」とキョロキョロしている係長を見て、私はとうとう観念した。
そろそろ日付が変わろうかとしている頃、今だ帰れず駅前のショットバーで私と係長はお酒を飲んでいた。
「係長…そろそろ止めた方が…」
「なによぉ、酔って無いってばぁ」
「えっと…めっちゃ酔ってますよね…」
私はお店のマスターに目配せをした。マスターは私の言いたいことをわかってくれたようで、お水の入ったグラスを出してくれた。
面白かった本や映画の話をして普通に飲んでいるつもりだった。
係長ペース早いななんて思っていたら、あっという間にほろ酔いを通り過ぎた状態になっていた。
係長がお水を飲むのを確認しマスターに指で小さく×を作り会計を頼んだ。
その気配に気が付いたのか「私が払うー」と言って係長は財布から万札を二枚抜き取りマスターに渡した。
お釣りを受けとりフラフラとした足取りでお店の出口へと向かったので、慌ててマスターにお礼を言って係長の後を追った。
駅に向かいフラフラ歩いてる係長の横に並んだ。
「ごちそうさまでした」
お礼を言うと係長は立ち止まった。
赤い頬、潤んだ瞳で私を見つめている。
あれ?なんだろう?ドキドキする…。
係長の手が私の頬に触れた。
そして、私を見つめながらこう言った。
「無理言ってごめんね、話ができて楽しかったわ…」
「あ、いえ、私も楽しかったですし……」
触れられている頬が熱くて、心臓がドキドキして、なぜ頬を触られてるのかわからなかったし、思考も纏まらずそう答える事しか出来なかった。
「そう……そう言ってもらえて嬉しい……」
そう言った係長の顔が近付いて……え?
あれ?近付いてる??え?え?え?
私の思考はさらに混乱し、どうすれば良いのか判断できず動けなかった。
そして、キスされると思って身構えたけれど、予想と違い抱きつかれた。
ほっとしたような残念のような不思議な感情のまま、係長の体を抱き止めた。
「係長?どうしたんですか?大丈夫ですか?」
ドキドキしてるのを隠すため、必死に平静を装った。
「あのね…眠いの……」
「え?ちょ、ちょっと係長、寝ないで下さいっ」
「うーん…」
「起きて下さい。こんな所で寝ないで下さい!」
「……」
必死に呼び掛けたけれど返事は無かった……。
どうしようか思案した。
係長の家が3つ先の駅にあることはさっき聞いたけど、住所まではわからない。
かといって、ここに置き去りにも出来ない。
上司をお持ち帰り?冗談じゃない!今日まで仕事しか接点の無かった上司を?なぜ?意味がわからない。
だけど、完全に酔っぱらってる係長を見て、結局私の家に連れて帰るしかないという結論に至った。。
私は係長の体を少し強めに揺すりなんとか起こすことに成功し、肩を貸し家までの道のりをヨロヨロと歩き始めた。
手を離すとしゃがみこむ係長を何度も立たせ、1Kの狭い我が家のキッチンを通り、ようやく室内へ辿り着けた。
「係長、水です。飲んでください」
ペットボトルの水をローテーブル置いて声をかけた。
「んー…ありがと…でももう動けない…」
ぐったりと横になり手をパタパタと振ってそう言われた。
「飲んでください、明日二日酔いになりますよ?」
「だって動けないんだもーん」
隣に座り覗きこんでもう一度強めに「水を飲んでください」と話しかけた。
寝転がっている係長は、トロンとした目で私を見上げている。手が私の顔に伸びて来てまた頬を触られた。
「貴女が飲ませて…」
ドキッとした。反則だ。
「……じょ、冗談はいいですから、飲んでください 動揺を悟られまいと強めに言ったのに、クスッと笑い「動揺してるぅ」と言われてしまった。
「動揺なんかしてません!もぉ!いいですっ!!!!!!!!飲まなくて良いいいいから寝てください!」
「はぁい」
クスクス笑いながらその場で寝ようとしたので、上司を床に寝かせて私がベッドではさすがにダメだと思い「ベッドで寝てください」と声をかけ体を抱き起こした。
「んー」
抵抗の声を聞きながらベッドに座らせ、このままじゃスーツがシワだらけになってしまうと気が付いた。部屋着に使っているTシャツとジャージに着替えてもらおうと用意したのはいいが、既に寝転がっている……。
「着替え用意しました。スーツシワになるので脱いでください。」
「うん……」
そう答えるとノロノロと起き上がり服を脱ぎ始めた。
目の前の下着姿に目のやり場に困り、なるべく見ないように私も素早く部屋着に着替えた。
着替えたのを確認し「私は床で寝ますので、おやすみなさい」と言うと、一緒に寝ると言い出した。
「私は床で寝ますから、気にせずベッドで寝てください」
「ヤダ」
「あの…ヤダじゃなくてですね…」
「ヤダ、一緒に寝るもん」
「……」
「ねぇー寝ようよー」
「はぁ……わかりました……」
負けた…悔しいけど負けてしまった。普段の係長からは想像もつかない幼い口調に可愛いななんて思ってしまった。実際はただの酔っぱらいなのに何だか悔しい……。
仕方なくベッドに入り、係長に背中を向けて寝ることにした。動く気配がしたと思った時には背中から抱きしめられていた。背中に体温を感じ、さっきの下着姿を思い出し何故だかドキドキした。
打ち消そうとしても頭にちらつく下着姿にドキドキして今日は眠れないかもしれないと思っていたのに、私はいつの間にか眠りについていた。
翌朝、正確にはお昼前に目が覚めると、まだ係長に抱きしめられていた。
絡み付く腕をそっと外し、私はベッドから抜け出した。
たった数時間一緒にいただけで、今まで知らなかった意外な一面をたくさん発見したように思う。
「おはようございます。起きてください。もうすぐお昼ですよ」
「んー……うん……え?!」
「うわっ!?なんですか??」
ガバッと起き上がったのでビックリした。
「あ、え、えっと、あの……ここどこ?」
「私の家ですけど?」
「……なんで??」
「なんでと言われましても…」
「……あ……お酒……ごめん……迷惑かけたよね……」
「いえ、そんなことは……」
無いとは言い難かった。
「私、変なことしたり、言ったりしなかった?」
「あー……大丈夫です。酔っぱらって気持ち良さそうに寝てただけです」
「なんか微妙な間が……」
「本当に大丈夫ですよ、抱きついたり頬を触ったりぐらいですから」
「えっ?!ごめん、本当にごめん。迷惑かけてごめん」
「いいですって」
「良くない!迷惑かけたお詫びをさせて」
「うーん…そうですねぇ…」
「なんでもいいから」
「あ、今度お酒抜きで美味しいもの食べに連れてってください」
「そんな事で良いの?」
「はい、係長美味しいお店知ってそうなんで連れてってください」
「少しは知ってるけど……本当にそれでいいの?」
「はい、お願いします」
「そう、わかったわ、一緒に行きましょう」
「楽しみにしときますね」
そう言って笑うと、申し訳なさそうな顔から笑顔に変わった。
朝食を用意すると言ったのに、これ以上迷惑はかけられないと言って係長は帰ってしまった。
一人になると少し寂しく思った。係長と二人でいた時間は自分が思っている以上に心地よかったのかもしれない。
お酒抜きの食事の約束はきっと社交辞令だろうと思うけど、少しだけ楽しみにしている自分に気が付いた。
新しい発見が盛りだくさんだった金曜の夜を過ごし、係長って見た目より可愛い人なんだなぁなんて感想を持ったのも束の間、月曜日の朝にはいつものキリッとしたクールな係長がいて、やっぱりあれは幻だったんじゃないかと疑い始めた木曜の午後、係長に書類を提出して席に戻ろうとしたところ呼び止められた。
「狭山さん、ちょっと話があるからミーティングルームに」
いつものキリッとした係長の表情に内心ビビってしまったけど、何でもないよ感を醸しつつ「あ、はいわかりました。」と答えミーティングルームへ向かった。
「以前話していた件だけど、土曜のお昼頃はどうかしら?」
そう切り出されたけれど、何の事だかわからない。
「あの、えっと、えぇと……」
しどろもどろになりながら、頭をフル回転させ思い出そうとしていたけど、全く何も出て来ない。
「もしかして、忘れてるの?」
「あ、いえ、あの、その……すみません…」
係長の顔がこわ…いや、目が怖いので正直に答えた。
「この前、お酒抜きで食事に行こうって約束したじゃない?」
「あ、その事でしたか!はい、大丈夫です。」
食事の約束の確認でミーティングルーム使わないでよ、怒られるのかと思ってちょっとビビってしまったから。
それに、あの約束守ってくれる事にちょっと驚いた。社交辞令だと思っていたから。
「良かった、大丈夫なのね?じゃあ11時にあなたの家の最寄り駅の駅前待ち合わせでよろしくね。」
と嬉しそうに言ったその笑顔にちょっとドキッとした。あの日の係長はやっぱり幻ではなかったんだって思った。
「私コーヒー買ってから戻るから。」という係長と廊下で別れて、私は1人先に席に戻った。
席に戻ると、同僚達がチラチラと憐れむような目線を送ってくる。確かにちょっとミスして小言言われる事はあるけど、声を大にして言いたい、私今日は怒られてないから!ってまあ、実際には言わないけど。
ただの社交辞令だと思っていた食事の約束。どこに連れていってくれるんだろう?お洒落なランチかな?もしかして高級ランチとかだったらどうしようなんて考えながらワクワクしていたら、あっという間に土曜の朝。
何処に連れていってくれるんだろう?って事が気になりすぎて、土曜の朝に何を着ていけば良いんだろう?って事を悩む事態に陥った。
もし、高級ランチだったらラフ過ぎる格好は悪目立ちするだろうし係長に恥をかかせる事になるかもしれない、でも、お洒落なカフェみたいな所ならキッチリした格好は浮くだろうしなんてあれこれ悩んで、服を着ては脱いで着ては脱いでを繰り返しそろそろ小一時間たつと思う。
せめて何系の食事か聞けば良かった…。
刻一刻と迫る待ち合わせの時間に焦り、悩みに悩んだあげくウエストリボンのワンピースにした。
これで大丈夫でありますように。そう願いながら待ち合わせの場所へと急いだ。
駅前に着くと係長が既に待っていた。
係長の服装が黒のパンツスーツだったので少し意外だった。というのも、職場では明るい色のスーツしか見たことがなかったし、パンツスーツも滅多に着ているのを見たことが無かったので、黒色でしかもパンツスーツはとても珍しく、だけどスタイルが良いし、凄く黒が似合っていて、立っているだけなのに格好いいなと思ったし、実際駅前を歩く人の目を惹いていた。
「すみません、お待たせしてしまったみたいで……」
「ううん、私もちょっと前に着いたから大丈夫よ」
係長はニコッと笑って答えた。
普段のクールな表情とのギャップにドキッとした。その笑顔反則じゃない?って思ったけどなんか悔しいのでバレないように「じゃあ、行きましょっか」と駅の改札に歩きだそうとしたら「あ、そっちじゃなくてこっち」と言って反対方向に歩きだした。
この辺のお店に入るのかな?でも、係長この前あまりこの辺詳しくなさそうだったけどどこに行くんだろう?なんて考えながら後をついて歩いた。
駅前パーキングに入っていき、そのまま1台の車の前で止まった。
「今日は車で来たのよ。電車だとお酒飲んじゃいそうだったから」
ちょっと照れてはにかんだような表情に見惚れてしまった。それをなんだか勘違いされたようで
「あ、ごめんなさい。私確認してなかったわね。乗り物酔いとかする?もしするんだったら電車にしましょう。」
慌てて予定を変更しようとする係長に、綺麗だったので見惚れてました。なんて言えるわけもなく「あ、いえ、乗り物酔いはしないです。車運転されるのがなんか意外だなって思ってました。」と伝えた。
見た目クールな係長っぽくない可愛い感じの車だなぁって思ったけど、あぁ、そうだ係長可愛い物好きだったと思い直した。
「えー、私運転出来なさそうに見えるの?」
と不思議そうに聞いてくる。
「いえ、運転出来なさそうというわけで訳では無くて、あの、そのぉ、運転手付きの車に乗ってそうと言うか……」
つい本音がポロっと出てしまった。
「なにそれ?私そんなお金持ちじゃないわよ。」
なんて笑っていたので、仕事中の貴女は運転手に命令して移動してそうに見えますからとは口が裂けても言わないでおこうと肝に命じた。
助手席のドアを開けて、どうぞと促されたので小さな声で「お邪魔します。」と断って車に乗り込む。
小さめな車だと思ったけど、見た目よりゆったりと座れ乗り心地が良かった。
じゃあ出発するわね。と断りを入れた係長に「はい。」と答えた。いつもはちょっと怖い印象を持ってしまうけど、会社にいるときより少し柔らかい雰囲気を身に纏う係長は凄く綺麗だなって思ったし、運転する横顔はキリッとして格好いいと思った。
今までに読んで面白かった本や、お気に入りの映画の話なんかをしていたら港に着いた。
あ!海の見えるレストランでランチだ!お洒落だなぁ!とワクワクしてパーキングに止めた車から降りた。
「こっちよ」と言って歩きだした先にはレストランじゃなくて、あれ?どこ行くんだろ?と思いながら着いていくとクルーザーに乗り込んだ。
「このランチクルーズね、生演奏も凄く良くてゆったりとランチが楽しめるし、凄く美味しいのよ、気に入って貰えると嬉しいんだけど」
なんて説明されたけど、正直頭がパニックだった。
なにこれ?ランチクルーズって何?
てか、私が乗り物酔いするタイプだったらどうしてたの?周りカップルとか夫婦っぽい人達ばっかりだけど?これってなんだかデートみたいじゃない?!
あ、でも、少しは女性2人のお客さんもいるか。もの凄い勢いであれこれ考えた結果、なんと言って良いのかわからなくなって「素敵なところですね」と物凄く無難な事しか言えなかった。
食事は凄く美味しかった。生演奏も凄く良かった。だけど、それ以上に心を奪われたのは普段クールな係長からは想像できないコロコロと変わる表情だった。可愛いかったり素敵だったり格好良かったりしてずっとドキドキしていた。
私、どうしたんだろう……?
この前、なぜだか一緒にお酒を飲んだ時は、お酒も入ってたし、普段見ない係長の秘密を見ちゃったようなそんなドキドキだったような……あ、でも、普段と違って表情豊かなんだなって思った事を思い出した。
そして酔ってる係長を思い出し、色っぽくてドキッとした事も鮮明に思い出した。色んな事をぐるぐる考えながら、でも考えが纏まらなくて係長の顔をじっーっと見てしまっていた。
「そんなに見つめられたら恥ずかしいわ」
なんて頬を染めてちょっとうつむき加減で照れたように言われてしまった。
いや、もう、最高にドキッとして、そこからの事はドキドキして落ち着かなくてほとんど覚えていない。
あ、でも覚えてないっていうと嘘になるな、正確には2時間のクルーズが終わり、船を降りて車で送って貰ったって事は覚えてるんだけど、ドキドキして何の会話をしたとか覚えて無くて……返事はちゃんとしたと思う。たぶん……。
それにドキドキしてる事を隠したくて顔を見れなかったから係長がどんな表情をしてたのかわからないってだけで、別れ際にはちゃんとお礼も言ったし、楽しかったとも伝えられた。
家に帰ってきてからも思い出すとドキドキして、ふとした瞬間に係長綺麗だったなって考えている自分に気が付く。
私は一体どうしたの?
この気持ちはなんなの?
月曜からどんな顔して会えば良いんだろう?
あれこれ考えて、途中から失礼だったかなとか考えて落ち込んだり、不意に思い出してドキドキしたりで心の中は大忙しだった。
あぁ、でも、このドキドキは全然嫌じゃなくて、ワクワクしている自分に気が付いた。
あの日以降、私と係長は友達のような関係になっていた。
週末の仕事終わりに飲みに行ったり、休日に映画を見に行ったり、食事や買い物に行ったりするようになって、仕事中とは違う係長と過ごす時間は楽しかった。
公開されたばかりの観たい映画があった。
1人で見に行っても良かったけれど、きっと係長も好きな系統だろうなと思い誘ってみると、「行くわ!それ見たかったの!」と返ってくる。
映画は素直に良かったと思え、係長を誘って良かったと思った。映画を見た後は感想を話しつつ食事をしようという話しになった。
レストランでは食事を楽しみつつ、映画の感想をあれこれと話す。
映画を見た後の感想を話す時間は、感じ方や捉え方の違いがあったり、気が付かなかった事に気付けたりと毎回楽しい。
会話が一段落ついた時、突然係長が私の事を好きだと言った。
もちろん私も係長の事を尊敬しているし好きなので、私も好きですと伝えたけれど、友人としてではなく恋愛対象としての好きだと言われた。
急なことだったのでビックリして少し戸惑っていると、私が断る前提で話をどんどん進めているので慌てて止めた。
真剣に告白してくれたのだから、ちゃんと考えて返事したいと思ったので考える時間をもらった。
変な空気にならないようお互いに若干気を遣ったような時間が少しあったけれど、帰る頃にはいつも通りになっていたと思う。
あんなに不安そうで自信なさげな係長は初めて見た。
真剣に考え、ちゃんと返事をしたいと思う。
思い返せば、残業を押し付けられたあの日がなければ、私は係長の事を怖い人だと思ったままだったと思う。
仕事に真面目で完璧主義で少し冷たいイメージを持っていたので、怖く見え苦手だったけれど、話をしていくうちに、時々うっかりしているというような意外な一面を目の当たりにしたり、年上なのに可愛いと思える時もあったり、同性なのに見惚れるほど綺麗で色っぽくて内心ドキドキしてしまったりと、ことごとくイメージが覆された。
何回か食事に誘われるうちに、普通に誘われていると思っていたけれど、仕事中との表情の違いに気が付いた。だから、実は緊張しながら誘っているんだとわかった。
年下の部下を食事に誘う事に緊張してしまうなんてちょっと可愛いと思った。
私からも誘うようになったきっかけは、私が誘ったらどういう反応になるのかななんてちょっとした悪戯心だった。
一瞬照れたような嬉しそうな顔をしたかと思うと「ええ、行きましょう。楽しみだわ」と何事も無かったかのように返事を返され、可愛らしくて思わず笑いそうになってしまった。
怖がられている反面、憧れている人も多い係長の意外な一面を知っているのが社内で私だけかもと思うと、少し優越感を感じる事もあった。
係長の事を好きかと聞かれたら、間違い無く好きだと答えられるけれど、それが恋愛感情なのかと聞かれると、どうなんだろう?
もし、今みたいに食事に行ったり飲みに行ったりしなくなって、職場以外で会えなくなったら少し寂しいと思う。
それに、職場以外で話せなくなったとしたらそれも寂しいと思う。
じゃあ、私じゃない誰かを食事に誘っていたら?
あの照れたような嬉しそうな表情をしていたら?
うん、嫌だな。
綺麗だと思ったり、可愛いって思う事はよくあった。
表情にドキッとしたこともたくさんあった。
見つめられドキドキしたこともあった。
あれ?
もしかしたら、私無意識に恋愛対象として見てたのかも?
そう思うとストンと納得出来た。
あ、そっか、いつも誘われると嬉しいし、話をしていると楽しいし、帰るのが寂しいしもっと一緒にいたいのにと思っていた。
やっとわかった。
私は係長が好き。
自分でも気が付かないうちに、恋愛対象として好きになっていた。
月曜日、係長は普通の様子ではなかった。
不安そうな表情を時々しているし、凄く頻繁に視線を感じた。
視線を感じ顔を上げると、ふわぁっと視線をさまよわせてから、見てませんよって空気を醸し出している。
そんな様子の係長を見てしまうと、あまり待たせるのは悪いと感じた。
後一時間程で定時だという頃、係長は席を立った。たぶん自販機だろうなと思い、後を追いかけて声をかけた。
「すみません、係長」
ビクッとしながら「ん?どうしたの?」と返事が返ってくる。
「今日、残業ですか?」
「ううん、急ぎの仕事は無いし、定時で帰るつもりだけど?」
「良かった。今日、少し飲みに行きませんか?」
「え?今日?どうしたの?」
「あー、ちょっとお話したいことがあるので……」
「あ、うん、そうなのね、わかったわ。」
「ありがとうございます。いつもの所で待ってますので、お願いします」
自販機の前の係長にそう言い残し席に戻った。
定時きっちりに会社を出た私は、私の家の最寄り駅の改札前で係長が出てくるのを待つ。
少し慌てた様子の係長を見付け、早くもドキドキしてきた。
少し慌てながら「ごめん、待たせたわ」と言われたので「いえ、私も少し前に着いたのでそんなに待ってませんよ」と答え、近くの居酒屋へと向かう。
ぎこちない空気の中、とりあえずの空腹を満たし、微妙に挙動不審な係長に「一昨日の返事なんですけど」と切り出した。
「あ、うん、そう、答えが出たのね?」
「はい、真剣に考えました」
「……うん」
断ると思ってるんだろうな表情が暗くなる。
「これからよろしくお願いします」
「……え?」
「私、係長ともし会えなくなったらって考えたら、寂しいなって思いました。誰かの隣で笑っている係長を想像したら滅茶苦茶嫌でした。考えてから気が付くなんて、遅いと思いますけど、恋愛対象として係長の事が好きです。」
「え、え、え?ホントに?」
「はい、真剣に考えました」
「嬉しいわ、信じられない、ホントにありがとう」
泣きそうな顔で私の手を握る係長の目がキラキラしていてとても綺麗だった。
あの日、残業を押し付けられた私は素敵な恋人が出来ました。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。