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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

メイド喫茶のマーリーと作家ノラの恋慕情

作者: 歌井雅天

登場人物紹介

マーリー……メイド喫茶のアルバイト店員、主人公

スズメ、トマ、レム……メイド喫茶のアルバイト店員

風吹ノラ……小説家、WEB小説でのペンネームは「巻巻」

水草ボタン……女子大生、絵本作家を目指す

戸場ノノミ……CGクリエイター

新市萌々花……ノラの担当編集者

「お帰りなさいませ、ご主人様」


 店内に元気な声が響き渡り、七席あるテーブルは今日も一杯になった。どのテーブルでもメイドたちが愛想を振り撒きながら慌ただしく接客し、バックヤードでは店長と料理人がフードやドリンクの用意に大忙しである。


 桜が舞い散る春風が心地いい陽気、ここは秋葉原にあるメイド喫茶。そこで私はアルバイトをしている。広告代理店の事務員として働いていた会社は、不景気の波に呑まれ倒産した。資格を持たない私は正社員として雇ってもらえる会社がすぐに見つからず、少しでも生活の足しにしようとアルバイトを始めた。


 別に容姿端麗とかコスプレが好きとか接客が得意とかそんな理由ではない。秋葉原で働き先を探したら、ここで雇われただけの話だ。


 しかし受けた仕事は、全力で遂行(すいこう)する。メイド服なんて初めてだったけど頑張って着ているし、多少短いスカートでも恥ずかしいなんて文句は言わない。この聖地に訪れるアニオタたちの期待を裏切る訳にはいかないんだから。


 入って来るバイトの子たちは全員年下だった。若者言葉が理解できないときも正直ある。でも全力の笑顔と、全力の接客を続けることで、皆からはマーリー姉さんと親しげに呼んでくれるようになった。


「スズメです。今日から宜しくお願いします」


 また新しいバイトの子が入ってきた。スズメは新人ながら、すぐ皆と仲良くなれるコミュ力最強の美少女キャラだった。多少やりすぎな所作をするが、客を男女問わず喜ばせる能力に優れており、売り上げもすぐナンバーワンを奪取した。これには店長も大喜びで、店の評判がこの頃から急激に上がったのはまちがいなくスズメの功績だ。


 そんなスズメだが、バックヤードで偶然真顔(まがお)になる瞬間を目撃してしまったときは愕然とした。スズメの方もばつが悪かったのか、(にこ)やかな笑顔ですぐ否定したが、その笑顔が逆に恐怖を感じた。


「私、マーリー姉さんの事、信じてますから」


 意味深な台詞を聞いたその日からスズメは私にまとわりつくようになった。周囲からはスズメからも(した)われるマーリー姉さんとして私の評価も上がった。実際のところは誰かに告げ口しないか監視していたのではないかと思う。


「ご主人様もご一緒に、キュンキュン」


 毎回そんなやりとりをしたり、お客の無理な注文も笑いながら受け流すことを仕事と割り切ってやっていたが、スズメの視線も加わり精神的には疲弊していた。そんな時、スズメが一人の長身男性を連れ立って店に戻ってきた。


 男はスズメに手を引かれテーブル席に着くと、こういったお店が初めてなのか落ち着きの無い様子で何度も店内を見回している。


「トマです」


「レムです」


「マーリーです」


「ふ、風吹(ふぶき)ノラです」


 私たちは一見(いちげん)さんには自己紹介をしている。顔を覚えてもらうことでミニゲームに選んでもらい、結果収入アップに繋げるのだ。


 順番に挨拶すると、男も釣られて名乗りを上げた。今までそんな客を見たことがなかった私は驚いてトマやレムと顔を見交わすと、自然と(ほころ)びた。私は久しぶりに忖度なく笑った気がする。


 そして挙動不審の男性はスズメにお勧めされた『星の軌跡、夢盛りケーキ』を注文すると、スズメは元気よく注文を繰り返しバックヤードへ戻っていく。私たちも一旦戻るが、その男性の一挙一動が非常に気になる存在になった。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 彼が再び来店した時は、もう一人小太りな男性を連れてきた。明らかに秋葉原のオタク系であることは着ている服から察しがついた。そして何やら怪しい会話に仕事中にも関わらず、聞き耳を立ててしまう。


「うーん。巻巻氏、なかなかのプレイボーイですな」


 連れの男性は彼の事を、マキマキシと呼び夢盛りケーキをちょっとずつ食べ進める。


 なぜか私の中に苛立ちを覚えた。プレイボーイという響きが、頭の中で反芻(はんすう)しその情景を妄想する。


「そんなはずないわ!」


「ど、どうしたのマーリー姉さん」


 バックヤードで休憩するレムが私の急な言動に戸惑いながら声をかける。


「あ、いえ。なんでもないわ。ゴメンナサイ」


 私はいつもの癖で勝手な幻想を抱いてしまっていた。最近彼の事ばかり考えてしまう。


 スズメがバックヤードに戻ってきて、『夜空に輝く幻影の月』を二人前注文した。これは黒い皿に乗せた円形のオムライスだ。最後に客の前でケチャップアートを描いて完成である。


 この子は本当に賢い子だ。普通は客が注文するのを待つが、スズメは先んじて利益率の高い料理の注文をお勧めしている。それが店の売り上げに直結するのでスズメのやり方が、お手本のようになってしまった。かなり押しが強いが、スズメのぶりっ子キャラだと客に文句は言われない。スズメにとってこの仕事は天職なのかもしれない。


 それに比べて私はダメだ。彼の事を変に意識してしまって、ついあんなことやこんなことを妄想してしまう。


 結局その日、彼の前に飛び出す勇気はなかった。


 後日、私は報道で風吹ノラという人物を知った。彼は“ズームアウト”が今話題の小説家であり、突然引退宣言をしたという記事だった。


 私は驚いたと同時に心配になった。時の人が突然引退なんて裏で誰かの陰謀に巻き込まれたのではないか。それとも何か危険な状態に陥っているのではないか。そんなことばかり想像してしまい、その日は無理を言って店を休ませてもらった。


 SNS上に広がる風吹ノラの記事や噂から彼の住所を特定すると、早速電車を乗り継いで家に向かった。そこは住宅地が広がる団地の一角で彼の家は邸宅だった。そして既に多くの報道陣が集まり、カメラの前でマイクを持つレポーターが、家をバックにレポートしている。


 遠目からだが、道路の反対側には若い女性も何人か心配そうな顔でその様子を伺っている。ファンだろうか。あの中に彼をたぶらかした目狐(めぎつね)がいるのだろうか。


 よく見ると手に本を持っている。しまった! 私は彼の作品を何も調べず、図々しく家まで押しかけてしまったのだ。


 その後パトカーがやってきて、群がる取材陣たちに警官が退去するよう促した。このままいたら私も捕まるかもしれない。彼に迷惑がかかる。そう考え直して本屋へ向かった。彼の本を買い(あさ)るために。


 それからはバイト終わりや休みの日に、それとなく彼の家の前を通り、中の様子を監視した。その内、心配すぎて仕事に身が入らなくなり、新しい事を見つけたと言ってメイド喫茶を辞めてしまう。そして毎日監視を続けたが、一度も彼の姿を確認できないまま時は流れ、季節は梅雨に入った。


 ドン! 突然背中に衝撃が走る。今日の天気はジメジメして憂鬱な曇り空だった。そんな気持ちが災いしたのか、物陰から彼の家を遠目で見守る私はその場で失神した。


 気がつくと見知らぬ部屋のソファーの上で目が覚めた。体を起こすと愛しの彼がこちらを見て座っていた。


「ここは、キャッ。ノラ先生」


 慌てて飛び起きて深々と頭を下げる。


「あ、その節はお世話になりました。私、今は作家になるため猛勉強中でありまして」


 気が動転してしまい、彼に対して大嘘をついてしまった。しかし彼は首をかしげて返答に(きゅう)する素振(そぶ)りを見せる。


「あ、そうですよね。私なんか覚えられてませんよね。ほんの数回あっただけですし、スズメちゃんに比べたら私なんて地味だし」


「え? マーリー?」


 言い訳をするように独り言を呟くと、彼は私の事を言い当ててくれた。


「そうです! 私、ノラ先生に会えて感激です」


「ああ、あの子がマーリーって言うんだ」


 彼は言ってから両手で慌てて口をふさいだが、そんな反応にも何の疑いも抱かない。私の中ではマーリーと呼んでくれた事が最上の喜びであり至福の事だったから。


「まあどうぞ、楽にして。お腹すいてない? これよかったら食べて」


「ええ!? 感激です。いただきます」


 想像通りの優しい人だ。私は余りのうれしさでテンションが上がりメイド喫茶で働いていたようなスズメ譲りのオーバーアクションになってしまう。


「あら、気がついたのね」


 無心にをお(かゆ)(すす)っていた私は女性の声に手を止め顔を上げると、そこに立つ貴婦人を目にして唖然とする。


「綺麗」


 ダークブラウンの長い髪の毛と白い肌、薄化粧したスッキリした顔立ち。大人の色気を(まと)いつつ気品ある(たたず)まいに思わず感想を漏らすと、急に恥ずかしくなってソファーの上で平伏(へいふく)した。


「この度は手厚いもてなしを(たまわ)り、誠にありがとうございます」


 すると女性はゆったりとした物腰で言葉を返してきた。


「お粗末様です……あの、急に家の前で倒れたらしいんですが、お体大丈夫でしたか?」


 全く身に覚えがなかったが彼の冷めた視線を受けながら、賢明にその場を取り(つくろ)った。


「全然問題ありません。ハイ、この通り」


 私は腕をくの字に曲げて上腕二頭筋に力を込め、完全復活したことを女性にアピールした。女性は驚いた表情を見せると、口元に手を当て上品に笑いながら頷いた。


「ちょうどお風呂沸いたので、どうぞ入って」


(ノラさんとお風呂に?)


 なぜそう思ったのだろう。私は急転直下の衝撃にパニックを起こし、一言お礼を述べると逃げるようにその場を立ち去った。外は既に暗くなっており、朝からほとんどの記憶が喪失(そうしつ)していたことにためらいながらも、顔の火照りを感じながら家路を急ぐ。


 帰ってすぐに風呂場に向かい、冷水のシャワーを頭から浴びると、気分を落ち着かせるように髪をいつもより念入りに乾かした。


 バスローブを羽織りベッドに腰を下ろして、今日のやり取りを思い返す。すると彼にもお母様にも色々やらかしてしまったことに気づいた。毛布を頭から被りベッドの上で悶絶しながら、恥ずかしさの余り、また顔が熱くなってくる。


「クックック……」


 それと同時に少し彼に近づけたことがうれしくて、無意識に含み笑いを漏らしていた。




 私は改めてマキマキシについて調べた。するとWEB小説『小説家になろう』で彼のペンネームであることを発見する。サイトを覗くと、そこには彼の愛情が注がれた作品たちに、ユーザーからの思いが寄せられていた。


(もっとノラさんのことを知りたい)


 私は力の限り作品を読み漁り、全力で感想文を書いた。あまりに書きすぎて長文になってしまった。


 彼の(そば)にいる為には、作家になることが一番手っ取り早いと考えていた。妄想癖も相まって仕事も恋も全力で彼に捧げる覚悟だった。そこで私は、作家になるべく専門学校に通うことにした。彼に言った手前、素人の付け焼き刃では示しがつかない。私は二十五歳にして学生生活を送ることになった。


 そんなある日、愛しの彼からダイレクトメールが届いた。内容は先日家に招かれた件だった。あの日の出来事を思い返し夢心地に(ひた)る。


 確認したいことがあると言うが、これはもしかして私へのプロポーズ? いきなり同居する話? お母様に気に入られたのかしら。式場はどこがいいかしら。子供は何人くらい欲しいのかしら。そんな妄想しながらも、まずは仕事のパートナーとして、いえ、それより大事なことは私の事を知ってもらうことだわ。その前に雑誌で連載が始まった作品についての感想を……。


 頭の中で悪魔の私と天使の私が取っ組み合いのケンカを始めた。それが結果として彼に長文のダイレクトメールを返信することになった。




 彼から指定された場所は、元勤め先のメイド喫茶だった。別に毎日家の前を(とお)っているので、家に呼んでくれてもよかったのだけど、まずは二人でということかしら。


 そう思いながら、こんな日のために用意したワンレンボディコンの洋服を身に纏い、久しぶりのメイド喫茶へ向かった。


「あ、マーリー姉さん久しぶりー、その服……凄いね」


「ありがとう」


 スズメは驚きながらも、笑顔で迎えてくれた。他の皆も元気そうだ。しかし私の普段見慣れない私服姿に目が点になっていた。ひとまずメロンソーダを注文し呼吸を整える。今日は興奮の余り約束より三時間も早く着いてしまった。待ってる間、入って来る度に客の視線を浴びることが少し鬱陶(うっとう)しかった。


(私はノラ一筋なんだから。ノラ以外には興味ないわ)


「あ」


 入口から長身男性が入ってきた。私はテーブルに手をついて腰を浮かせる。するとその後に続いて若い女性が入ってきた。どうやら彼の連れらしい。その格好からビジネス関係と思われる。


「あれ、もう来てたんだ、お疲れ様」


 私の向かいにノラが座る、そして隣に恐縮しながら女性が腰を下ろし新市萌々花(しんしももか)と名乗った。現在連載中の小説の担当編集者だという。


 担当が女性だったなんて。私は自分が派手な格好をしてい事を思い出し、戸惑いながらいい訳をする。


「担当の方も一緒だなんて。普段はこんな格好じゃありませんから」


 このタイトな勝負服姿は普段着では無い事をアピールしたかったが、萌々花は逆に申し訳なさそうに頭を下げて萎縮させてしまった。ああ穴があったら入りたい。


 そんなことはお構いなしにノラは早速質問してきた。


「メールのことなんだけど、何で家の前にいたのか覚えある?」


 ちょっとは容姿の事に触れて欲しかったが、視線がチラチラ胸元に向くのに気づいたので身体をくねらせ、私としては珍しく責めてみた。何だか今日はいつもと違う高揚感に包まれている。


 隣の萌々花は顔を赤らめて視線を逸らした。彼女はもう理解している。私としては恥ずかしさより彼に気に入られたくて、こんな服装で会っていることに。


 そこへスズメが注文を取りに来たので、ノラがコーヒーとフライドポテトを、萌々花がバニラアイスを注文した。今日はごり押ししないのか。


 二人の反応を探りながら一拍おいて返答する。


「家の前はたまに通るんですが、あの日は急に背中を押されたような気がして、そしたらノラ先生の家におじゃましていて、自分でもよく覚えていないんです」


 本当は家の前を毎日通っている。しかし疑う様子もなくノラは頷くと次の質問をする。そのタイミングでスズメがフードとドリンクを持ってきた。


「何時ごろ、家の前を通りかかったのかは覚えてる?」


「夕方四時過ぎだったと思いますけど」


 本当は朝の九時過ぎだ。スズメは話に入りたそうに「家? 家に行ったの?」と問いかけるが、ノラは手で追い払った。スズメは口をとがらせ不満げな表情で他のテーブルの接客へ向かった。


「あ、これ皆で一緒に食べよう。ほら萌々花も」


 そう言ってフライドポテトの皿をテーブルの真ん中に置いた。私は笑顔を作ったが、萌々花を名前で呼んでいることにちょっと嫉妬して、つい不満を口にしてしまった。


「担当になると、作家さんといつも行動するものなんですね」


 萌々花はアイスを一口頬張って幸せそうな顔をしていたが、私に質問されて目が点になった。そして手を小刻みに振り否定してくる。


「そ、そんなことありません。たまたま、今日はたまたま一緒に居るだけで、普段は原稿受け取るだけなんで月一回会うくらいです。ハイ」


「萌々花にはちょっと意見を聞きたくて、一緒に来てもらっただけだから」


 萌々花はほとんど会わないことをアピールしたが、ノラは意味深な事を付け加えた。私はなんでこんなにイラついている? 彼女はもうわかっているのに当てつけのような真似をしてしまった。大人げないと反省する。


「マーリーさんが危ない人? ただのキレイなお姉さんだと思うけど」


 突然ノラから告白された。何の脈略もなく綺麗な人だと。私はそれを聞いて周りの景色が飛んだ。そしてノラに向かって口が勝手にしゃべり出した。


「私と付き合ってください!」


 店内にどよめきが走った。スズメ、トマ、レムが集まってきて興味津々な顔をする。ノラは驚いた顔で固まっている。


「マーリー姉さん、こんなおじ……殿方(とのがた)が好みだったの。超クール」


「凄い、マーリー姉さん、格好いい!」


「ねえねえ、ご主人様、その返事は? どっちですか?」


 スズメ、レム、トマはノラに詰め寄り、客からもヤジが飛ぶ。そして……。


「受、け、ろ。受、け、ろ」


 一人の男性客が手拍子し始めると、瞬く間に店内は受けろコールが広がった。私は手を堅く握って、心臓が壊れてしまいそうなくらい動悸が襲い、焦点がぼやけてきた。萌々花は隣で口を手で押さえ放心状態になっている。


「いいよ」


 長い沈黙のあとノラの声を聞いた私は涙腺(るいせん)が緩み大声で泣いた。弾みで椅子から崩れ落ちるがスズメたちに支えられながら祝福の声を掛けてくれる。私はうれしくて何度も頷いた。客たちからも拍手と指笛で私たちに祝福してくれた。


 スズメはバックヤードから店長を連れてきた。事情を聞いた店長は驚いた表情を見せると笑顔でこう宣言した。


「二人の門出を祝して全員に夢盛りケーキをサービスいちゃいます」


 皆が一斉に歓喜して喧騒が大きくなった。


 ノラが私の隣に回り込み、パーティーが始まった。私は涙で崩れたメイクも構わずスマホカメラに向かって半笑いでピースサインを送っていた。




 昨日は夢のような時間を過ごした。ずっと憧れていた彼と付き合うことになったのだ。うれしさの余り私は電話をしようと思ったが、ノラはスマホを持っていなかった。


 ノラについてまだ知らないことがたくさんある。その発見は私にとっての幸せであり、巡り合わせに感謝した。


 私は早速最新スマホを取り寄せ設定した。勿論翌日には家に届けた。これでいつでも彼と話ができる。彼は話が苦手らしく、口数が少ないが無言でも一緒の時間を過ごしているようで私は毎日電話を掛けた。


 お母様とも仲良くなった。最初は色々失敗したが、緊張する私に優しく接してくれて、次第に自然と会話できるようになった。


 水草(みずくさ)ボタンという女子大生とも仲良くなった。彼女はノラと一緒に小説を執筆しているそうで、絵本作家になる勉強をしているという。私もまだ始めたばかりだが小説の勉強をしている事を話すと、戸惑った様子を見せたが一緒に頑張ろうと応援してくれた。


 もう一人、戸場ののみというCGクリエイターがいる。ライトノベルのキャラクター原案担当だという。前にメイド喫茶でノラに連れられて見たときにオタク系だと判断したが、プロの絵師だった事を知り驚きと同時に反省した。人を見た目で判断してはいけない。それにノラと知り合いなんだから、小説に関わる人であることは想像しておくべきだった。週に一回程度しか顔を見せないが、動きだけでなく話も面白い人で、無口なノラがツッコミを入れる様は新鮮で見ているだけで楽しかった。




 もちろん最初はそれでもいいと思った。性格だからしょうが無い。しかし次第に一方的に電話やメールすることに疑問を感じるようになった。家でも会えるしメールや電話も対応してくれるが、素っ気ないというか心ここにあらずというか。


 家で会うことが多かったので、どうしても二人きりになりたかった私は連載中にも関わらず無理にお願いして外に連れ出すこともあった。しかし泊まりがけでもホテルに行ってもノラの態度は変わらず、残暑も落ち着いて風が冷たく感じられる季節になっても男女らしい進展は始まらなかった。


「なんで何もしてくれないの? なんで相手にしてくれないの?」


 私は小さな喫茶店でノラに詰め寄っていた。付き合う意味もわからないほど若くもないのに、ノラはそれでも無口で頷くばかりだった。


「他に女がいるの? いるのね、誰なの? まさかボタンとか萌々花とか言うんじゃないでしょうね」


 私の中には不安があった。毎日のように顔を合わせるボタンはまだ大学生、担当の萌々花は私より一つ年下と年齢が若いし、二人とも可愛いのだ。私はお姉様キャラなので好みが全く違うはずだが。


(ノラだって男の子だもん。可愛い系にも興味があるのは否定できない。でも今付き合ってるのは私よ。出会ったのは最近だけど、手料理もお母様に教わりながら少しずつレパートリーを増やしたわ。ノラの好きなピーマンの肉詰めだって覚えたのになんで心を開いてくれないの)


 そう思ってはいるが本人を目の前にして、そんな愚痴は言いたくない。するとノラはため息をついてつまらなそうに返事をした。


「そんなことは絶対無い。マーリーは綺麗だし、母さんとも上手くやってくれるし助かってるよ。でもしょうがないんだ。それが嫌なら別れればいい。そんな事の為に呼び出したなら俺は帰るよ」


「いや、そんなつもりじゃ、ゴメン」


 折角二人きりになれたのに、こんなケンカ別れみたいなのは嫌だ。私の中でノラへの未練が絡みついてくる。彼は優しい。それはお母様も話していたが言葉と態度がズレていることも、この数ヶ月付き合ったことで思い知らされた事だった。それにしても二人と私との態度は微妙に違うことは感じていた。それが何なのか、私じゃダメな理由がわからない。わからない故のモヤモヤがここ何日かずっと頭の片隅にこびり付いて離れない。


「あの二人にあって、私にないものって何? 私一生懸命頑張るから、もっと私も大切にしてよ」


 私はノラに懇願(こんがん)した。答えが見えない問題から一刻も早く脱出して、ノラと幸せな家庭を築きたい。それは私に限らず、世の女性なら思って当然のことだと思う。思っているのにノラの中ではその問題すらもわからない様子だった。


「何言ってるかわからない。もう帰るね。原稿書かなきゃ、もう締め切り落とせないからさ」


「あ、待って」


 ノラは立ち上がり、一度振り返るが伝票を手に取り、レジに向かって歩き出すと会計を済ませ、そのまま店を出て行ってしまった。




 その後ろ姿を見てマーリーの意識の中で何かが割れた。それは粉々に砕け散り、砂のように舞い上がって消え去った。修復は不可能だと引導を渡されたようだった。


 マーリーは(うつむ)きながら立ち上がると、ゆっくりと出口の方へ向かって歩き出した。店を出る間際、大きな壺に刺してあったピンク色のビニール傘を抜き取り外へ出る。


 ノラが家に向かったであろう方向を(にら)みつけると、身体(からだ)をバネのように反動を付けて、全速力で後を追いかけた。


 この喫茶店からノラの家までは約二十分、走れば十分もかからず追いつけるはずだ。そして目標物を捉えると、まるでスポーツ選手が乗り移ったようにスパートを掛ける。


「風吹ノラぁぁあ!」


 マーリーの怒号に気づいたノラは振り返ると、凄い勢いで迫ってくるマーリーの姿に驚き身構える。


 マーリーは走りながらピンク色のビニール傘を持ち直すと、ノラの腹部めがけてフェンシングのように突きを繰り出した。衝撃と共にノラは上体をくの字に曲げて後方へ吹っ飛ばされる。


 ノラは苦悶の表情で腹を押さえながら、くの字に倒れたまま咳き込んだ。その様子を見下ろすマーリー。息は上がり髪は乱れていた。その表情は眉間に(しわ)を寄せ、(まゆ)がつり上がりまるで般若(はんにゃ)のように殺気立っていた。




 私はその場で立ち尽くした。そして目の前で倒れたノラをじっと見つめていた。ノラは何度も咳き込みながら(うめ)いている。右手の感覚が戻ってきた。今までに無いような強烈な痛みが手首から肘、肩に掛けて電流が流れるように襲ってきた。


 あまりの痛みで手に持つ傘をその場に落とし左手で腕を押さえた。右手が意思に反して痙攣(けいれん)する。必死に押さえながら前方に顔を向けるとノラは上体を起こし、腹部を手で押さえながら私の事を見つめていた。その顔は苦痛で歪み額からは血が滲んでいた。


 私は必死に右手を押さえ、首を左右に振りながら訴えた。


「違う、違う、私じゃない、これは私じゃないわ」


 その声が聞こえているのか、ノラは息を整えながらも無言だった。その目はいつも感じていた無慈悲な眼差しだった。


「嫌ぁぁああぁぁ」


 私は逃げた。絶叫しながらその場から逃げた。おぼつかない足で必死に逃げた。ノラは追ってこない。それはわかっていたが、その目が追ってくるようで怖かった。私は大変なことをしてしまった。私は大変なことをしてしまったのに逃げてしまった。もう会えない。もう会わない方がいい。もう会いたくない。


 頭の中は混濁(こんだく)していた。あの日、突然失神した時、あの時も何かあった気がする。何か自分とは違う得体も知れない何かに乗っ取られたような記憶が、断片的に頭の中に流れ込んでくる。


 無我夢中で電車に乗り込み、なんとか自宅に駆け込むと急いで玄関ドアの鍵を閉めた。そして膝から崩れ落ち、放心状態でしばらく身動きがとれなくなった。




 季節は巡り、外は雪が降りそうな寒さだった。あれから一度もノラへ連絡することはなかった。勿論、ノラからの連絡も無い。悶々とした気持ちを抱えながら、毎日自分の気持ちを整理していた。今までの行動は全て夢だったんじゃないかと。ノラという存在も本当は居なくて、私はメイド喫茶で今も働いている。


 しかしノラの本が本棚に並び、小説家になる為の参考書が机の上に置いてあった。だいぶ現実に向き合うことができている。


 寝ていても体が痛くなるだけなので、また専門学校へ通い始めた。料理のレパートリーもネットで調べて増やしている。これはノラの為じゃなく自分のためだ。自分自身の未来のためだ。そしてもう一つけじめを付けなくてはいけない。


 私は決心して電話を掛けた。長くコールしたがノラは出てくれなかった。あんなことをして今更、連絡してくるなんてと怒っているのかもしれない。でも面と向かって話せる自信は無かった。電話でまずは済ませたかった。


 連載で忙しくて手が離せないだけかもしれない、まだ自分の中で都合のいい、いい訳が出てきた。明日また掛けようか。そうやって今までずっと逃げてきたのに。


 ダメだ。今日中にやらなきゃダメだ。私の中で決心した。次は出るまでコールしよう。そして精一杯謝ろう。


 私の心はノラへの未練がまだ残っていたが、そんな事を今更言える立場ではない。暴行罪に問われても仕方が無いことをしたんだから。


 二時間後、スマホを耳に当て反応を待った。その間、無意識にコール音を数えていた。……3回、4回、5回


「あ、もしもし? お疲れ様」


 いつもと変わらない調子、いつもの声。ノラだ。私は拍子抜けした。そしてたわいもない会話をして、まだ付き合えるのかと錯覚した。


「なあマーリー。俺たちもう終わりにしよう」


 ノラは唐突に別れ話を切り出した。


「そうだよね、やっぱりそうなるよね。うん、わかった。でもたまに会ったり電話してもいいかな? 友達感覚で」


 私はダメ元でノラに尋ねると、すんなり了承してくれた。やっぱりノラは優しい人だ。それは今までも、そしてこれからも変わらないだろう。そして私はノラのような作家になると心の底から誓いを立てた。




 後日談――なぜ飛ばされるほどの攻撃を受けて軽傷で済んだのか。それは防弾ベストのおかげだった。私が失神した日、本当に操られてノラを襲ったんだと聞かされた。その事はまったく疑っていないという。それからは体型に影響しない防弾ベストを着用するようにしたので、不幸中の幸いだったとノラは笑った。


 何かノラは私に隠し事をしている。しかしその事を追求する必要はないのだ。もう二人の間に恋愛関係は存在しないのだから。

あまり深読みはしないで頂きたい。パラレルワールドですから。

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