第九話 お前は皆から嫌われている、という呪いの言葉
誰しも嫌な言葉を吐かれた経験はあると思います。私の場合は、聴力のことと内向的な性格、かつ、不美人だったゆえ、たくさんあります。
一番哀しかったのは母の言葉が都度違うこと。その中で一番嫌だったのが「それやからあんたは嫌われる」 ということです。いじめにあった時も母は何もしなかった。黙っていてにこにこしていれば、それでいい。一生その子とつきあうわけではないからというだけでした。
時にはいじめられて俯いて歩いて帰る私が、歯痒かったらしく「もっとしゃんとしないと、もっといじめられるよ」 とげきを飛ばす。が、自己卑下感がある幼い私に「しゃんとしなさい」 と言われてもどうにもならない。同居の実妹zは人気者だったので、「お姉ちゃんは耳も悪いから、皆から嫌われちゃって」 と言われていました。私も反撃してもZは平気だ。友だちの数では負けるのは自覚している。当時のZは私よりもふくよかな体型だったので「白豚」 というだけで精いっぱいでした。妹はバレエと新体操をしており、そのうちに見た目を気にするようになりました。いじめっ子からいじめられっ子になり拒食症になりました。親や私への暴言暴力がありましたが、親はおろおろするだけです。現状を理解し、先にすすもう、解決しようとは一切しない。崩壊していました。
Zは食べ物を家族の分まで食べそのあと吐くようになった。過食嘔吐です。精神科受診を勧めたのですが、母が家系に泥がつく、縁談に差支えがでると拒否しました。当時は心療内科という耳障りの良い言い回しはなかった。世間体第一の母にとって精神科は異世界。
そのわりには母はZが暴言を吐くと「きちがい! 病院へ行け」 と叫び返す。泥沼です。そうやってZの嫌がる呪いの言葉を吐いて、暴言の仕返しというかウサ晴らしをしていました。数十年たった今は、母とZの力関係は逆転し、体力の衰えた母に向かって「あの時はきちがい扱いしやがって」 と呪いの言葉を返していた。
家庭内の暴力と暴言は表に出る、つまり警察や児童相談所などの介入がない限り、「そのままの状態で膠着」 します。解決は絶対にない。誰かが家から出るしかない。実家はそれがなかった、それだけ。
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しかし、縁あって結婚したらいいけれど、やはり夫婦喧嘩はあります。私は田舎暮らしがなじめなくて、特に昔から義父と不仲だった人とは、常会で表立って嫌がらせされたので爆発しました。以来常会と婦人会は抜けています。同居人=夫は気持ちはわかるからといいつつも、やはり村の行事には参加してほしいらしく、「年をとったらムラで生きていけない、どうするんだ」 といいます。
ある時、夫をなにかで言い負かしたらなんと、「きみはそんなだから皆から嫌われる」 と怒鳴りました。私はぎょっとしました。彼は母の口調など知らぬはずなのに一言一句そのままの口調でした。この私がそういう言葉を「引き寄せた」 と思ったぐらいです。ショックでそのまま自室で過ごして就寝しましたが、翌朝夫は吐いた言葉を忘れたように「おはよう」 と言ってきました。人は忘れるのです。言葉を。相手を傷つけた言葉を。
思い返せばZも母や私を言葉で虐める時には「お前はみなから嫌われている」 という言葉を繰り返していました。元々母が私にそうやって吐いた言葉です。Zは言葉で斬り込むように母の耳元で「嫌われ者、嫌われ者」 と連呼する……ということは、Zにとっても皆から嫌われることが一番怖いことと自覚していることに他ならぬ。
逆に私は皆から嫌われているという状況を甘受した。こういうものだと思っている。
現在私は叔母Jの嘘を信じた親戚中から嫌われているがまったく平気だ。皆から嫌われているという状況でもない、真実を知る私は悪いことをしていない。叔母Jとその周囲を軽蔑するだけ。
言葉を吐く人間は口の中に斧を持っている。もちろんその斧は人の心を傷つけるがためのもの。
同じく人間は口の中に華を持つ。美しい言葉、勇気づける言葉、感動する言葉を紡ぎ出すのも同じ。呪いの言葉もすべてが思うがままだ。
そして生きている間はそれの効果がどうなるかは誰にもわからない。死後だってわからない。言葉は狂気、そして凶器。同時に言葉で良い印象だって作り出せる。
人間の底知れぬ凶器と幸福を体の一か所から出せると言うのは稀有なこと。