第八十二話・ 急死した故人への追慕 >>> 認知症の状態で長生きした故人への追慕
>は、不等号のマークです。大なり。表題をわかりやすく言い換えますと、
何らかの事故や病気で急死する >>> 近親者の認知症
で、遺族の死人に対する追慕の感覚がまったく違う話です。
」」」」」」」」」」」」」」」」」
繰り返します。
何らかの事故や病気で急死する >>> 近親者の認知症
もうおわかりかと思いますが、思いでの余韻というか、よすがの大きさを示しています。よすがとは、「心のよりどころ」や「頼りになる手段や方法」などを表す言葉です。日本語は語彙が豊富でいいものですね。いや、今回はそんな話ではなく、現実的すぎますがこの定型版みたいな話を目の当たりにしました。当たり前の話じゃないかと思う人は読まなくてもいいです。私は共感を得ていただける人と、もやつく感情を共有したい。
医療職をしていると、週に一度、もしくは月に一度、もしくは数カ月に一度、もしくは薬は出ないが検査だけのために一年に一度、という感じで定期的に会う人がいます。業務上のことなので、この人は誰などパッと思いつくわけではない。ただあまり出ない医薬品を使う人だと、名前を見ただけで顔より薬品名が出るというのはある。
この話に出てくる患者さんをRとします。Rさんは、薬の名前で覚えてしまう人ではなく、「家族の態度」 で覚えました。
そもそもRさんは、まだ若いのに、認知症になった。同じ年の奥さんに物忘れがひどいからと引っ張られて病院に通院をはじめました。令和現在は認知症は治る病気ではありません。進行を抑える薬のみあります。
で、最初は心配そうにRさんに寄り添う奥さんの態度が明らかに変化していく。
「この薬の飲み始めは吐き気が出たり食欲が落ちると聞きましたが、胃の弱い主人に飲ませて大丈夫でしょうか」
↓ ↓ ↓
「主人は物忘れがひどくなり、仕事ができず会社を退職しました。かわいそうです。ワタシが支えてあげないと」
↓ ↓ ↓
「主人は常にいらいらしてワタシに暴言を吐くようになりました。そのため精神安定剤も追加で飲ませることになりました」
↓ ↓ ↓
「……」 無言で薬をひったくって持っていく。
この時点で奥様はRさんを見限ったと思う。次に病院に来たのは奥様ではなく、社会福祉協議会の人です。その次は施設職員さんでした。Rさんは施設に入所したのです。つまり認知症の進行が早く奥様の手に負えなくなった……これは誰が悪いわけでもありません。Rさんも奥様も精いっぱいのことをされました。
話がそれますが救急にいると、患者の家族の嘆きを直に見ます。医療職だとそれも日常です。彼らは病棟や患者待合のすみで固まって、医師から呼ばれるのを無言で待つ。亡くなられた場合も担当医師や看護師も家族の応対は事務的なもので遺族の心のケアまでしません。酷な言い方ですが業務外です。しかし、亡くなられた人の家族にとっては非日常で一生忘れられないことでしょう。
認知症は本当に惨い病気で、患者にとって過去と現在と未来がつながりません。それはどういうことかというと、人間関係がぶちんと切れてしまう。
家族や友人などつながりのあった人は患者を忘れないのに、忘れられてしまう。症状によって心配している家族や友人に暴力や暴言がでる。金銭的に迷惑をかけたりも徘徊もある。排泄問題もひどくなると一緒に暮らせない。手に負えない。家庭が壊れてしまう。その期間が長ければ長いほど、亡くなったときは嘆くことはありません。やれやれという感覚でしょう。
急死、事故で即死……日常いた場所に急にいなくなった。その方が故人の追憶や偲ぶ思いが永遠に続く。認知症はじめ精神疾患の一部は本当に惨い病気です。見た目ではわかりませんので、個人情報の根っこを知るものとして、認知症は恐ろしい病気だと思っています。




