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第七十九話・司馬遼太郎の優しさがわたしの転機と黒歴史になった

 日本を代表する著名な歴史作家といえば故・司馬遼太郎。ベストセラーが多数あり。特に竜馬がゆくは令和4年現在、なんとトータルで「2125万部」 の売り上げ。100万部どころか1000万部越え多し。日本史を題材にとった小説なら、この人の作品が一番わかりやすい。司馬遼太郎をご存知ない人はいないかと思いますが念のためにウィキペディアを貼りつけておきます。なお、文中は敬称略します。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E



(著者注・以下の話はすべてパソコンが浸透しなかった時代と思ってください。メールもありません)


 書物を整理していたら、司馬遼太郎からの葉書が出てきた。印刷物ではなく、本物の直筆でわたし宛のもの。保管が悪いので紙に細かいしみが湧き、黄ばんでいる。青インクは受け取った当時はもっと鮮やかだったが、それもくすんでいる。捨てたいが捨てられない。だからどこかに押し込めていたのにまた出会ってしまった……わたしは司馬遼太郎からの手紙をあらためて読む。数十年ぶりに味わう、このきまりの悪さ……いや、司馬遼太郎は全然悪くない。悪いのは100% ⇒⇒ わたし。

 通常ならあの巨匠からの葉書だと威張れます。でも全然違う。改めて読み返して、これもまたわたしの人生の転機になったことを実感した。今回はその話。


 消印は布施郵便局で30年近く前。93と読めますので1993年に投函されたものです。司馬遼太郎の生年月日は公表されていますのでそれと照らし合わせると、当時70歳。わたしは20代後半の独身、実家住まい。

 この葉書を到着した日のことを覚えている。仕事から疲れて帰宅してきたわたしに、母が怖い顔で葉書を渡してきた。昔から母は、わたしあての郵便物でも先に封を切っていた。葉書だから封を切る手間もなく当然のように先に読んでいる。

「司馬遼太郎から葉書がきてる。あんたはまあ、みっともないことをして」

 母は怒っている。わたしはどきっとする。司馬遼太郎から葉書が来る心当たりがあるから。でもその時点では、葉書の内容は知らない。母からひったくるようにして葉書をうばい、部屋に行く。母はわたしを追いかけてくる。当時のわたしの部屋は和室で鍵がないので、母、そのまま突入。

「あの司馬遼太郎の手を煩わせて、なんてこと。でも断られてるやん、あはははは」

 母はわたしが、巨匠の司馬遼太郎に葉書をかかせるという手間をかけさせたことに怒っている。次に内容について嘲ってくる。しつこい性格なので何度も繰り返す。娘のわたしは母の言いたいことはすべて聞いてあえないといけない。


 で。その母の怒りと嘲笑を引き起こした葉書の内容がこちらです。天下の司馬遼太郎にこんな文章を書かせてしまい、若気の至りとはいえ恥ずかしすぎて書き写せない……下の画像を拡大しながらお読みください。



画像))))⇒ ⇒ こちらでは画像は載せられないので、見たい人はお手数ですがNOTEを見てください。登録不要で無料で閲覧できます。(見たら記念に文末の♡マークを押してください)

https://note.com/1fujitagourako1/n/n3e55584bc399



 そうです。わたしは天下の司馬遼太郎に「小説を書いたので読んでください。OKならご自宅に送らせてもらってもいいですか?」 という手紙を出しました。いきなり作品を送りつけなかったのは、他の作家のエッセイで作家志望者の無遠慮ぶりに怒っているものを読んでいたから。田辺聖子、佐藤愛子、遠藤周作、その他漫画家もいたはず。目当ての作家の自宅に押し掛けて自作の小説を読めと言う自信満々な作家志望者たち。段ボール箱一杯の小説を持参して読めとか。わたしは本職が困ることをしたくなかった。

 だから手紙で司馬遼太郎に、わたしが書いた小説を読んで欲しい、ついでに感想が欲しいと書きました。

 司馬遼太郎先生はきっとお忙しいでしょうが、それでもヒマな時に読んでくれるなら作品を送らせてもらいますが、いつ頃がいいですか? という手紙……これでも十分厚かましいけれど、直に家に行くよりずっとマシなはず。結果、司馬遼太郎から断りの葉書をいただいた。拒否の意を律儀に書かれた。しかもこの時に読んでほしかった作品は、歴史ものではなくホラーだったし。


 司馬遼太郎からの葉書を読み、バックコーラスならぬ母の嘲笑を聞いて今更ながら自分のしたことに青くなる。あんな忙しい作家の手を煩わせて、確かにわたしはアホだ。

 しかも日付を見ると4月の3日。手紙を出したのは3月下旬の年度末、そして投函時は年度初めで忙しかったかもしれないのに。

 司馬遼太郎の家の前には、よく朝日新聞社の日章旗を飾った黒塗りの立派な車が止まっていた。だからこの葉書を書くときには、年度替わりの役員交替とかであいさつに来られていたかもしれない……アポなしで司馬家に乗り込むよりはマシだが迷惑だった。ウィキにはこの年に司馬遼太郎は体調を崩し始めたとあるので、知らなかったとはいえ、なおさら申し訳ない。


 」」」」」」」」」」」


 どうしてわたしが司馬遼太郎に自作を見てもらいたかったのかというと、実際に会ったことが何度かあるから。でも会話はしていない。今でもそうだが内気すぎて、見かけても声がかけられなかった。一番最初に会ったのは、司馬遼太郎の家から少し離れたショッピングセンターのアーケードの下。当時高校生で学校帰りに見た。テスト帰りで2時過ぎぐらいだった。周囲に人はいなくて向こうから司馬遼太郎が来た。普通の白いYシャツ、普通のズボン。一目でわかった。当時はあのタンポポの綿毛拡散前みたいな真っ白ではなかった。

 女子高生のわたしは立ち止まる。司馬遼太郎は少し歩調をゆるめながら困惑していたように思う。わたしがじっと見ているだけだったから。あきらかに司馬遼太郎を知っているのに、サインもねだらないし、話かけもしないし、キャーともいわない。すれ違う時にわたしがわずかに頭を下げたら、向こうも下げた。それで終わり。

 帰宅後、司馬遼太郎に会ったと母に言った。専業主婦の母もよく会っていた。

「万代あたりによく会うよ、あのへん司馬遼太郎の散歩コースやし」

 母は占い以外の本は読まないが、テレビはよく見ていたので司馬遼太郎の顔もわかる。というより、当時司馬遼太郎の家がある小坂、八戸ノ里近辺に住んでいるのに司馬遼太郎の顔を知らなかったらモグリだ。近所の人も「お~い司馬先生~」 と自転車の上から手を振ったら恥ずかしそうにうつむかれたと自慢していた。総じてシャイな人というのが皆の感想だった。わたしも司馬遼太郎の文庫本にある自己紹介で馬賊にあこがれていたと書いていたのはウソじゃないかと思っていた。明るい性格だったと今でもウィキにも書いているが信じられない。

 そういうわけで近所で見かけたことがあるという理由で、自作の小説を読ませるのは司馬遼太郎一択だった。この葉書は母の嘲笑を受けてどこかにしまい込んだまま……今改めて読み返してみると、やっぱりつらい。この話は母自身も恥ずかしかったらしく、同じく近所に住んでいた叔母たちにも言わなかった。わたしの成績自慢、職業自慢は過度にするが外聞の悪い話は一切しない人だから。郵便物を先に見る件では、先回りして行動するところがあり、学校や検定の合格通知はもちろん、不幸の手紙が来たときも因縁解除の祈祷をしたうえで「石切さんでお払い済みやから安心しぃ」 と塩と一緒に渡された。

 でも過保護がすぎた。少しでも残業すると心配して駅の改札口で待っていた母。服を買うのもカバンを買うのも母。わたしが選ぶと必ず文句をいう。結婚相手は次男か三男で大阪の人で国立大学卒の高収入の人にしなさいという。どこにそんな人いますか? 小説を書くと頭がおかしくなると本気で諫めてくる。すすべてにおいてソレで有り難いがめんどくさい。司馬遼太郎葉書事件をきっかけにわたしは目が覚めた。母に内緒でお金をため、父の協力もあって一人暮らしを決行した。全部用意したうえで母に告げると「あんた、長女のくせにわたしから離れるやて、この親不孝者」 と泣き叫ぶ。父に抑えられながらも母はわたしに呪いの言葉を吐いた。

「あんたは絶対に地獄に落ちる、あんたの来世は人間やないで。絶対にウシかウマやで」

「お母さん……地獄に落ちてきます」 

 以上思い出話でした。


 司馬遼太郎は若い作家志望者には優しかったと思う。漫画の同人で司馬遼太郎が書いた幕末キャラが気に入った人が「漫画にしてもいいですか」 と手紙を出したら「OK!」という返事が来たらしい。司馬遼太郎は筆まめでいつでも葉書の束を書机のわきにおいていた。でもわたしに限っては、住所からして近所だし家に来たら困ると思って急いで返事を書いたと思う。

 そう、当時はまだ個人情報がゆるゆるで、電話帳にも堂々と著名人の住所と電話番号が書いてあった。司馬遼太郎の葉書にある電話番号をパソコンで検索したら亡くなられてずいぶんと立つのに未だにヒットする。なので、途中まで画像で載せておきました。

 司馬遼太郎と実際に会えたわたしは光栄に思う。この葉書は黒歴史だが、人生の転機にもなった。というわけで、記録としてUPしました。終わります。








文中補足

万代 ⇒ まんだいと読みます。スーパーの店名、現在は別店舗になっています。

石切さん ⇒ 石切劔箭神社いしきりつるぎやじんじゃのこと。お百度参りや祈祷といえばココでした。

司馬遼太郎の家 ⇒ 司馬遼太郎記念館になっています。司馬遼太郎ファンの聖地。

https://www.shibazaidan.or.jp/


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