第七十四話・いきなり殴られるということ
わたしが小学生時代の話です。三年のとき。
掃除班で一緒だった同級生に頭めがけて殴る男の子がいました。わたしを始め、周囲が気に入らないと殴ってくる。Dとします。もちろん、嫌いでした。今でも嫌いです。
ただDは、Dなりの主張を通すために殴った。一応理由はあった。たとえば、ぞうきんを水の入ったバケツにつけ、絞る。ただそれだけの動作でも、絞りかたが甘いといって殴る。ろう下の拭き方も気にいらず、ただ殴る。こうやって掃除しようよ、ではなく、「なにやってんのや」 と、頭をぽかっと殴る。それだけ。手首にスナップをきかせるので、非常に痛い。
痛いからDの手を逃れるも、Dと目があうと続けて殴ってくる。何度もやられて、わたしはDとなるべく距離を取りながら掃除をしたものです。周囲も身構えていました。Dの卑怯なところは、相手を選んでやっていたこと。
運動神経の鈍いわたしのようなおとなしい子を狙っていた。もしくは小柄な男の子。人の痛がる姿に快感を感じるタイプではなかったと思うがそれでも怖かった。理由付けが必ずついているのも、怖かった。
大人になった現在、Dは多分家の中で親からそうやってしつけられていたと推測できる。しかし、当時は痛いから、ただ怖がるしかない。
当時の担任は中年の男性でしたが、まったく頼りにならない。そうじ時間でも黒板の前にすわって作業をしていたが、生徒の様子がおかしいのも、平気だった。頭を押さえて涙を流すわたしと目があっても、動じなかった。見てなかったというよりも、興味がなかったのだろう。
昭和時代の男性教師は男子生徒をすぐ殴ったものです。少なくともわたしの担任はそうだった。Dもよく殴られていました。女の子は殴らない男だった。それでも、Dに殴られるのですと訴えても無駄だという感覚でした。
この担任すら少々呑み込みの悪い、指導に面倒な子どもを分類してみなの面前で罵倒するような男だったし、わたしの動作の鈍さを皆の前であげつらい、わたしの背中やおしりをたたく人だった、極めつけは、動作がにぶいことを成績表に延々と書き連ねる嫌な人間だった。わたしはDにも担任にも、やられっぱなしだった。解決はしていないし、今なお納得していない。
その時の味わった無力感は半世紀近く立とうとしても消えない。人生やったモノが勝つ、という感覚が小学生ですでに芽生えていました。
ーーーーーーーーーーーーー
数十年後、わたしは、Dと駅のホームで会った。遠目ですぐにわかった。Dもなぜかわかったようで、「あっ、マルマルや」 と言いました。わたしの名前を呼び捨てです。あいかわらずです。
わたしは勤務帰りでスーツ。Dはえりがヨレヨレのジャージ。いや、ジャージ姿でも何でもいいですよ。Dがなにを着ても関係ないし、どうでもいい。
わたしは、とっさに他人のふりをしました。Dは「もしかして忘れてるかなあ」 と照れ臭そうに話しかけてきました。私は聞こえないふりをして、さっさとその場を去りました。
わたしの頭を何度も殴って……あんな不条理な殴り方をしていたくせに、「懐かしい」 とわたしが笑顔で言うとでも思うのか。
Dの神経が今もってわからない。
二度と会いたくない。
いじめっ子がいじめた相手の心理を思いやることがないからこそ、何をやったかを全部忘れて懐かしそうに語りかけることができる。平気で。
こんなのも生きていける世の中なので、各自で各々の心の中で抹殺しておくしかない。ちょうどツイッターやフェイスブックのブロック機能を心の中で使うわけです。それしか方法がありません。
大人になれば、前触れなく頭を殴るのは犯罪ですから、それはさすがのDもしないでしょう。だから被害者はもういないとは思うけど……それだけです。
繰り返しますが、わたしはDのことが嫌い。いじめを許す人がさも偉い風潮がありますが、だったらわたしという人間は偉くともなんともない。それでいい。Dなんか大嫌い。
Dよりも当時の担任の方がもちろん
もっと嫌いです。罪深いと思います。




