第六十七話・子どもの合格通知書
過日、子ども宛に速達が届きました。某学校の名入り封筒です。赤文字で親展、重要、合否通知書と書かれています。ちょうど子どもが在宅していたので、私は部屋をノックして寝ぼけ眼の子どもに渡しました。
そのまま、私あての通販のダイレクトメールを眺めていたら、子どもが部屋から出てきた。笑みを浮かべて「合格した」 と言う。
私は祝意を示し、合格通知を見せてもらい、学費のご案内の用紙をチェック。この子は滑り止めは受けないのですぐに入学金を用意すると言いました。
子どもは来春からの新生活が楽しみらしく、殊勝気に「お願い」 と言いました。さてここから本題です。このやりとりで胸のうちが、もやもやする。なぜだろうと考えていました。
原因がわかったのは、同居人の帰宅後に子どもが同じく合格通知を見せにきたこと。それでやっと思い出せました。
⇒ ⇒ ⇒ 過去、私は合格通知も就職の通知も受け取った経験がない、封書を自分でハサミを入れてあけた経験がない。
子どもは親に隠し事をすべきでない……そういった理由ですべて私あての郵便物はすべて母が開封していたこと。
忘れていた。実に数十年ぶりに思い出した。
受験の合格通知も就職試験の通知も全部。年賀状も先に見ていたし、封書もすべて開封されていたことに。
今の若い人は幼少時からメールやラインを使いこなしているので、多分私の想いが理解できないかもしれません。人生の岐路にあたる合格通知は開封させてもらえなかった。
しかし、私はちゃんと子どもには未開封の状態で渡せた。それでよかった。
私はこの話を夕食時に子どもたちにしました。
「あなたの祖母はそういう人間で、私はそれを反面教師であなたの自主性を重んじたことを喜んでほしい」
同居人や子どもたちは、ご飯を食べながら「当たり前」 と言うだけ。
ええ、その通り。
でも私は当たり前じゃなかった。
私の知らない都合の悪い封書、例えば不幸の手紙も届いていたがそれも母が隠していた。お払いしておいてあげたから、の言葉で知ったりはあった。でも、それは思いやりからではない。子どもを所有物扱いしていたことの表れだ。
「封書を封書のまま、宛先人に渡すのは当たり前」
そうだけど、私がその話をするのは、当たり前じゃない。それをわかってほしかった。でも、わかってもらえなかったので、イラクサが生えました。それでエッセイがまた誕生しました。終わります。
 




