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第六十三話・母と知的障碍児



 母は因果応報を信じている人間ですので、障碍児を見ると、「前世で悪いことをしたから」 と言っていました。それは明治生まれだった誇り高い祖母の思考そのままで、祖母もまた表だって言わないものの、部落差別などをしていました。小学生の頃に、被差別部落出身の友人とつきあうなと言ったのも母と祖母。私には友人が少なかったのにひどくがっかりしました。幼かった私は世の中はなんという複雑で怪奇な世界なのか、私は大人になるまで生きていられるのかと思っていました。

 さて、従兄弟の一人に知的障碍児がいます。Aとします。いわゆる見た目問題的には関係ないが、対人関係がスムーズにいかない。特性として、こだわりが強く、何かあるとパニックになります。そこらへんのものを乱暴に扱ったり、奇声をあげたりで抑制がきかない。冠婚葬祭で会う程度の親戚ですので、事情がわかっている周囲は常に穏やかに接するように心がけていました。

 さて私の母はこのAのことを会うたびに、ほめちぎりました。粘土細工でも絵画でもなんでも上手ねぇ、なんて賢い子なのと。Aの親は大げさなほどほめる母を、曖昧な笑顔で受け止めていました。お小遣いをあげると、「ありがとう」 と言えるのでそれも「礼儀正しくて本当にイイコねえ」 と満面の笑顔で褒めます。

 褒めるのはいいことですが、問題は家の中では言いたい放題だということ。読者の皆様には想像がつくと思うのであえてここで書きません。

 すでに成人していた私は医療従事者でもありますので、あまりにも母の態度の落差がひどく、たまりかねて言いました。

「褒めるのはいいよ。でも、どうしてなの」

 母はものすごく怖い顔をして黙りました。若かった当時の私は母の操り人形同然の娘でしたので、人形同然の娘から問われてびっくりしたというのはある。ずっと無言でいた母は、その場を立ち、台所に行きました。台所は母の聖地です。料理中の母には娘の私といえども、タッチできません。

 鈍い私はやっと理解しました。

 要するに母は、Aとどう接していいか、わからない。何か言わないといけないと思って褒めまくる。本人が理解しようが、本人の親がその場にいるから、何か言わないといけない。本当にただそれだけ。

 もちろん母に悪気はないのはわかっている。

 Aの親から医療職にある私は、Aの普段時や頓服の処方薬の内容を聞いており、アドバイスを求められたら答えていました。しかし、母のような人にはどうにもできない。

「Aみたいな子供を持ったら苦労するわ。私の子はあんなのでなくて、よかった。だって一生苦労したくないもん」

 母の本音はそれで、Aに対する同情こそあれ、最後には必ず母の産んだ子供(私やZのこと)が通常でよかったと母の話に持っていく。

 表と裏の顔を使い分けして、ついさっきまで笑顔で話していた人間を、罵ったり嘲る人間をどうすればよいのか。

 障碍者とその家族へ注がれる視線は、昭和時代と違って現在はまだマシになっていると思います。パラリンピックはオリンピックの後にひっそりという感じでなくなった。新聞の一面にパラリンピックのニュースが出る。テレビでもトップニュースでやる。

 障碍者でも一律弱い立場にいるべきという考えはもう古い。なんでも助け合いがあってこそ。人類は共存へとすすんだと思いたいです。

 しかし母のような人は一定の数はいて、その性根は治ることはない。もう仕方がないというあきらめの境地を持って無視するしかない。




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