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第六十二話・パラリンピック選手たちの競技を見て

 先月下旬から左下奥歯に、じくじくとした違和感が出ていました。そのうちに歯科に行こうとおもいながら、突然急激な疼痛に進化してしまいました。こんなコロナ禍で外出は自粛していたいところですが、仕方がありません。すぐに予約を取り歯科に。

 たまに行く程度の歯科ですが、コロナ禍の状況では受付も様変わりです。ぶ厚いシールドがあり、受付の人の顔もビニールで歪んで見える。マスクも当然つけられているので、感音性難聴者の私にとって相手の声が聞きづらいことこのうえなし。先に手首にて体温を計測され、家族や職場に感染者はいないか、体調に異常はないかなどのアンケートを取られる。幸いすべての問いに「いいえ」 にマルをつけられ、アンケート用紙を返却するときに「聴力が悪いので聞こえてなかったら何度も言ってください」 とお願いしました。

 …聴力が悪いので……、このセリフ。私は、最近になってやっと、気負わずにこれが言えるようになりました。そしてやっと文章でも書けるようになりました。





 歯科待合の天井からぶら下がっている液晶テレビにはパラリンピックの競技中です。明らかにどこに障碍があるかわかる人々が競技をしている。私は視聴しながら、現在施設にいう実母もこの競技を見ているはず。彼らのことを、どう思っているか問いたいと思いました。実母は私の聴力が劣っていることを非常に恥じていたから。


 以下は私の子どもの時の話です。


「何度も聞きなおすな。みっともない」


 質問されて聞こえなかったら聞き直すのが当たり前のはず。しかし、外出時に母の面前で私がそれをしたら、帰宅後に叱られました。その時母は、何度も聞きなおしている私の顔真似をします。顔をしかめながら。

 母の目には、聞こえぬ耳を突き出して聞きなおす私の仕草が嫌でたまらないようでした。事実、みっともないと言いました。ならば、私はどうすればよかったのでしょう。とにかく母は私が人に対して耳を見せて、聞きなおすことをすごく嫌がりました。

 聴力が悪いことを恥じる親に育てられた子は、やはり聴力が悪いことを恥じるようになります。その時期が幼少時から開始されると、「聴力が悪いことを自覚しない」 子に育ちます。

 大事なことなので、もう一度書きます。

① 聴力が悪いことを恥じる親に育てられた子は、やはり聴力が悪いことを恥じるようになる。

② それが幼少時であるほど、聴力が悪いことを自覚しない。


 そう、私は耳が悪いという自覚がまったくありませんでした。聞きなおすことが悪いことだと認識した私は、なるべく人前に出ないように、目立つことはしないように、と慎重に行動する子どもになりました。

 聴力の悪さを自覚するようになったのは、耳鼻科の通院がはじまった小学校三年生の三学期からです。でも自覚をするようになっても、対人関係にどんな悪影響があるかが理解していませんでした。成人になってもその状況が続きました。

 初対面の人には「はじめまして」 だけあいさつして、聞こえていれば会話は続くが、聞こえていなければ聞き直すこともせず、曖昧な笑顔をするだけで、知らぬ顔。最初は笑顔で話していた人がいつのまにか私を避けるようになる。学校でもお稽古事でも職場でも。

 恐ろしいことに私はその理由が理解できませんでした。対人関係がうまくいかないのは、内向的な性格のせいだと思っていました。それもあったのでしょうが、自己紹介で聴力が劣っていることを話すべきだという思考が皆無でした。

 いやもう、愚かが過ぎる。これはひとえに私の母の啓蒙による。母は一度も働いたことのない人で家の中でだけ絶対的な権力を持つ。母のおかげで私の人生でどれほどの対人的な損失や相手に気まずい思いをさせたのか。


 我が子の聴力が悪いことを恥じる母が悪い、とわかったのは、成人してからです。加えて母が毒だとはじめて認識したのは、本当につい最近の話。実母が倒れて私が引き取ってから。

 この話をすると、私の同居人は言いました。

「きみの母親はきみが聞こえてないとわかると、かわりに返事してた。あわててな。きみはそれに気付いてなかっただろう。わざわざ指摘するまでもないことだから、周囲も黙っているだろうし」

 ……そうだったのか。私はそれも知らなかった。私は知らずして何百回、何千回、何万回と恥をかいていたのだな……すごく落ち込んだ。


 パラリンピックの出場者や協力者たちには、その背景にドラマがある。でもそれは間違いなく、

 ↓ ↓ ↓

「できないことを明確にカミングアウトしてから始まった」 

 ↑ ↑ ↑


 私はそれ以前の問題を抱えていた。そして聴力の悪さにずっと罪悪感と劣等感があった。母の植え付けた思想に私はずっと毒されていた。歯科の待ち時間中、奮闘する選手たちのひたむきさを視て、私は涙が出るのを必死になって抑えた。

 パラリンピックの出場者たちの真剣な顔はどれも尊かった。家族や仲間の応援を信じてやまない彼ら。それぞれに障碍への理解者が多いからこそ、この場で堂々と競技ができる。その競技ができるということは、障碍ごと受け入れられているということです。


 五体満足で当然、欠陥があることはみっともないから、隠す。そうやって育てられた子どもは、長じて還暦前に、老いて弱った母とその一族の悪事をバラシて嘲笑う人間になった。

 ……やっぱり歪むよね。



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