第六十話・身近な心霊スポット
今回は納涼話、二つあります。たまにはイラクサ外の話をします。
私の住居から少し離れたところに、心霊スポットがあります。トンネルですが、夜中に親子の幽霊が出るらしい。結構有名らしく、古い実話系本にも掲載されている。しかし、当地に嫁に来たときに地元民に聞いたら、みんなそんな幽霊なぞ、見たことも聞いたこともないという。同居人は私より蔵書の多い人で、その話を知っており、無責任なライターが適当に書いたと怒っている。その本は地図も読者が行きやすいように? あったが、その地図のトンネルの場所自体思い切り間違っている。だからその件に関しては私も創作だと思う。そもそも幽霊自体、存在が確認されてないので、若い人たちの探求心を刺激するだけで終了するタイプかな。
ただ、昭和時代のトンネル開通工事中に、落盤事故が起こり、作業員が亡くなられた話はある。元々古い街道だし、お化けやキツネに騙される民話も残っている。
そのトンネルの周辺に人家はない。幽霊話として広まる素地は一応はある。しかし、作業員ならともかく、親子というのは、やはりライターの捏造だろう。ただ、Xさんという私より一回り年上の人から聞いた話で、もしかして話の発端はここからではないかと感じたことがあったので書いてみます。
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Xさんも村内在住の人。現在はとっくに子育てを終えているが、子どもが幼い時はすごく病弱で大変だったという。四十年ぐらいの前の話。発作が起きると、例のトンネルを利用して大きい病院に連れて行く。ある冬の時期に子どもが発作を起こした。かなり強めの発作で、点滴をしてもわらないといけない。村内には診療所が一か所だけありますが、夜は今でも無医村です。村はトンネルを利用しないとどこへも行けない立ち位置です。大雪だろうが台風が来てようが、子どもを病院に連れて行かないといけない。しかも当時は消防署が遠すぎた。救急車を呼んで待っている間、悪化を心配するぐらいなら、自力で行く。(著者注:現在は中継地の小さな消防署があるので、十五分ぐらいで来てくれる)
で、Xさんも救急車を待たずに子どもを自家用車に乗せて大雪の中、病院に向かった。そして例のトンネルを抜けようとしたら、車の調子がおかしくなった。どうにかして出口の待避所に車を寄せ、当時は携帯電話なぞなかったので、待避所の端にある公衆電話まで膝まである積雪をかき分けながら目指して助けを呼んだ。雪は結構重いので、私はXさんに同情する。
「大変でしたね」
「もう無我夢中でした。子どもが死んだらと思うと……雪の海を泳ぐように歩いて、公衆電話を目指す。あの感覚は忘れられない。しかも真夜中です。トンネルの出入り口は人家もないし、助けも呼べません。ただ数台の車が思い切り減速して、こちらの様子をガン見されたのは覚えています」
Xさんが助けを求めたのは救急車ではなく、家に残っている夫。すぐにかけつけてくれ、夫が持ってきた車に乗り換えて、子どもを無事病院に連れていくことができた。そして夫は事故車と共に残り、夜明けを待って整備業者を呼んで処理をした。
小さな子供を抱いて事故車のそばで心細そうに立つXさんを見た人は多分忘れられなかった。それがまわりまわって、あんな時間に親子がいるはずがない、もしかしてあれは幽霊……というわけで、話が広がったとも考えられる。
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二つ目。
私もこの村に早くも二十年ぐらい居住している。トンネルの幽霊は見たことがない。ただこのトンネルはちょっと変わっていて大きいカーブがあるので、前後に他の車がなく、暗いライトの中すすめるとき、不気味に感じることはある。耳が悪いのでよくわからぬが、気圧の関係か荒天時にトンネル四方から「おおおおん」 と聞こえたりが何度かある。そして私は一度だけ理屈にあわない経験をしている。子どもが四才と二才の時。時刻は朝。保育園に連れていく途中。
トンネルの中で、後部座席にいる子どもが二人とも折り重なるように窓の外を熱心に見ている。というよりか、窓にへばりついている。不思議に思い、運転しながら「どうしたの」 と聞くと「お兄ちゃんがいる」 という。
しかし、よく考えてほしい。今トンネルの中にいるのは私の車だけで、追い越しをされるなら運転中の私もすぐにわかる。もちろん前後にはもちろん誰もいない。
「お兄ちゃん? どんな人?」
「うん。バイク乗ってる」
バイクなんか影も形もない。トンネルを出てすぐ横にある例の待避所で車を止めた。子どもは今度は横の窓ではなく、後ろの窓を眺めている。そこからはトンネルの出口が見える。私は聞いた。
「まだ見える?」
「今消えたよ。お母さんが聞くまで、バイクに乗ったまま、こっち見てた」
トンネルの出口でバイク止めたままだと危ないだろうが。子どもが二人とも嘘をついているとは思えない。私は子どもに実話系幽霊話や心霊番組などを聞かせたり見せたりはしない。だから見たままを言っているはず。私は質問を重ねる。
「お兄ちゃんはどんな顔だった」
「ヘルメットかぶってたからわからない。でも笑ってた」
二人とも本物のお兄ちゃんと思っている。しかし、私は見ていない。その後二人を保育園に預け、仕事をして夕方引き取り、夜に同居人にこの話をする。同居人もあのあたりに過去のバイク事故はないし、その類の話も聞いたことがないという。同居人はお風呂に入りながら、二人に話をあらためて聞いた。確かに嘘をついている気配はない。大人の私には見えなくて、子どもには見えたバイクの男。笑っていたなら、子ども好きな人だったのだろうか。
翌朝も私は例のトンネルを通って通勤する。運転席はじめ四つのドアポケットにそれぞれ荒塩をいれて清めた。以来、怪しいことは起きていない。解明できぬ話なので、それでこの話は終わりです。
あのトンネル辺りの山に平成の時代でもキツネに化かされたなど奇妙な話がいっぱいがある。地元民に身バレしても平気なぐらいの有名な作家になれたら、そういうのも書いて村を有名にしてやりたいです。
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