第五十八話・授業崩壊体験
クラス崩壊ならぬ、授業崩壊を経験していますので今回はその話。
中学校の現代国語、略して現国の先生でした。大学を卒業したばかりで背が低くて小さくて、ショートカットでもくせ毛がはねている、かわいらしい女性でした。V先生とします。大きな眼鏡がトレードマークでよく似合っています。しかし教壇に立つにあたって、V先生には致命的な欠点がありました。極端に声が小さかったのです。
私は自分から(母に内緒で)聴力の悪さを担任に打ち明けて、席を前にしてもらっているにもかかわらず聞こえづらい。私だけかと思っていたら他の人もそうらしく、「聞こえませーん」「何を言ってるのですかー」「わからーん」 と後ろの席の人から不満の声が出た。
声を振り絞るように話す先生。のどに手を当てながら一生懸命話されているのはわかる。でも理解できない。それがため、後ろの席ではおしゃべりが増え、笑い声まであがると、私の耳はよけい混乱して聞こえない。先生はおしゃべりする生徒を「静かに」 と言いますが声に迫力がないせいかおさまらない。一カ月もたたないうちに、現国の授業だけ崩壊しました。
V先生は一人で話をし、板書し、ときたま、「みなさん、お静かになさって」「お願い。どうかお静かに」。
私は今、先生の年令を越え、あの時の先生の心境を推察します。大学卒業して生徒たちに現国を教えるのをどれほど夢みておられたか。前の席でしたので、V先生の上品なブラウスの着こなし、動きはわかるので、良い家のお嬢さんだったのではないかと思います。しかし当時の私を含めたクラスメートは授業にならず、自由時間のようになっています。
先生に対しては当時はやった「ぶりっこ」 と面と向かって揶揄するクラスメートもいる始末ですが、先生の性格で怒ることがどうしてもできなかったようです。とうとう隣のクラスの先生が「うるさい」 と叱りにきました。その時はおさまりますが、またすぐ元に戻る。私のクラス以外でもそんな状況になり、とうとうV先生の授業には教頭先生たちが後ろで参観されるようになりました。すると騒音はなくなるが、寝てしまう生徒もでてくる。
ホームルームで当時の担任から「あの先生は身体にちょっと問題があって大声が出せない。みなさんはそのあたりを配慮してあげて」 という注意が来ました。
でも授業崩壊は納まらずその授業は別の先生が担当されるようになりました。一学期をもたず、V先生は休暇を取られその後退職されました。
数年後別の先生から人づてにご病気で亡くなられたと伺いました。享年二十三歳。優しい笑顔をされる人でしたが、最後の授業は下を向いてずっと黙っておられました。
私も年をとってきたせいか、どんな気持ちだったのだろうかと思います。望んで教職についたとはいえ、内気すぎて向いてなかった。それなのに、なぜ教師になったのだろうかとは今でも思います。
理想にほど遠い現実を見て、どんなに心が折れたでしょうか。どんなに哀しかったでしょうか。私を含めた生徒たち全員を憎んで亡くなられたとしたら、誠に申し訳ないし、お気の毒にと思います。
 




