第五話・置引、万引など犯罪系の誤解イラクサは一生心のどこかで生え続ける
私は財布を落として拾われたことがあります。地下鉄に乗っていて気付いた……あわてて落とし物センターに行くとすでに拾われていました。どんなにか嬉しかったことか。当時は拾った人も電話番号も教えてくれた時代ですので、すぐにお礼の電話をかけました。相手はお互い様ですよと話され、重ねてお礼をいう。
逆に私が駅で眼鏡と財布を拾ったら、相手は子供でその親から自宅に電話がかかってきてお礼を言われる。今では信じられぬでしょうが、昭和はそんなのどかな時代でした。
でも、落とし物を拾って嫌な思いをしたので、それを書いてみます。想像がつくでしょうが、泥棒だと疑われました。二回ある。
一回目、京阪京橋駅の切符売り場での隅っこに男性用の黒いポーチがたてかけていました。すぐに窓口にいる駅員さんに渡そうとポーチを取り上げたら、戻ってきた持ち主の人にひったくられました……私になにか言う前にすごい顔をしてにらみ、去っていかれました……私は映像記憶保持者なのでその時の持ち主の表情も忘れられません。背が高く細めで髪は短髪。よれよれのスーツだった。今でも似顔絵モンタージュかけるわ……。
二回目、はじめて行った本屋さんで万引きを疑われ、注意されました。売り物の本が棚の上に置かれ、それを元に戻しました。落とし物でない。誰かがその本を買おうとしたが思い直してやめたという感じです。その下にある本を見たかったので私が戻した。それが不自然に思えたのでしょう。そこは小さな本屋で、いつもは駅前で買っていたが買い忘れがあって初めて利用したところでした。学生カバンと体操服入れを持っていたせいもあり、万引した商品を入れやすいとも思われた。店主の男性がついて歩き「盗るなよ」 と言われました。
もちろん私にはそんなつもりはない。不快ですぐに店を出ました。しかし、振り返ると店主はまだ睨んでいる。私はとてもショックでその晩はご飯も食べられず、ずっと泣いていました。以後、その店の近辺には迂回して寄り付きませんでした。
中高時代の私は本が大好きで下校時には各駅前にある本屋それぞれよく入り、安い文庫本を物色していました。でもその本屋だけは、悪印象が強く、数年後につぶれたと聞いたときはよかったと胸をなでおろしました。今でも胸が痛いです。そして忘れられない。
だから私は冤罪で犯人にされた人の気持ちはよくわかります。特に超エリートの立場から国家的に罪を着せられた村木氏の態度は尊敬に値する。しかし村木氏と比べ私はこの程度ですんでよかったとは思わない。やってもいないことに疑いをかけられることに、大きい小さいもない。一生忘れられぬという意味では一緒だ。
私はこういう村木氏のように罪を自ら晴らした人の存在を心の支えにしています。
ご参考までに・以下は村木厚子氏のウィキペディアです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E6%9C%A8%E5%8E%9A%E5%AD%90