第四十六話・ヒプノセラピー体験談
セラピストは女性を選びました。男性にしなかったのは、私の個人的な好みです。そもそも医師でもない初対面の人間に己の深い思いを伝えるには、同性どうしがやりやすい。口コミで男性セラピストの悪評を読んだこともあります。営業妨害をするつもりは毛頭ないですが、施術は会話がどうしても必要でその流れ的に性的な話になって不快になったというのも。こうなると、やはり怖いです。男性セラピストから施術前なのに、あなたはレイプなどの事実を思い出すかもしれないと断言された人もいます。絶対に怪しいです。
私として本来の性格や想いの根源を見る以上は、セラピストの選択を失敗したくない。ブログなどの文面と行間、プロフィール、経験年数を読み取ったうえ、この人ならだいじょうぶだろうと決めました。他人に秘密にしたい個人情報を知り得る職業が長い人は、自然と上から目線の人になるタイプもいます。セラピストに限らず医師や占い師に多い。私はそういう人は嫌いなのでそのあたりも厳選したつもりです。逆にヒプノセラピーに多大な期待を寄せるのもタブーですので、私の根源的な心情がどこから来ているのか知りたいと申し込みました。前世には興味があるが、見ることのできない人の方が多い。だからできたらでよいと。メールでのやりとりの結果、Fさんに決めました。
予約を経てFさんと直接対峙した私は、正直に幼児期の記憶がほぼないこと、聴力に関して自罰的な思考を植え付けた母親に対して複雑な思いを抱えていることを話しました。すると彼女は私に関してうまくやれる自信がないといいます。どうしてですかと驚く私。断られるとは思わなかった。料金設定が明確なところだったので、私はお試しコースです。もしかして数回通わないといけないのかと聞くとそれも違うという。感情が突出して強く出る場合はやりにくいそうです。やっては見るが、満足できない可能性があることを言われました。そこまで言われるのはめずらしいのかどうかも私はわかりません。ただFさんが正直に言っておられるのはわかりました。仮になにも得ることはなくても、こうして時間をとっていただいたことに対して料金は払うこと、クレームはつけないことを確約しました。クレームに関してはFさんも良いのと悪いのとばらけていますが、目安にしている程度です。こんなものだと思っているので気にしてない旨をあらためて伝えました。
さて、横になってリラックス。ゆっくりと時間がすすみます。でも想像力豊かなはずが、まったく想像ができない。Fさんの誘導に従って深呼吸をし、想像上でのお花畑と階段を降りたりはありますが、あくまでも想像。ただ色彩がなく、灰色がかっているのが印象的です。山はありますかと聞かれて、低い山ならあると返答しました。このあたりで多少は催眠にかかっていたと思います。川があるはずですというので、あることにしましたが、自信なさげな小さなちょろちょろした川です。が、水量は結構多く数多い魚影が見られます。灰色の光景の中、視界に入る部分だけが色鮮やかです。ちょうど探し物ゲームで、道具をつかってよく見えるアイテム使用中という感覚でこれは不思議だった。Fさんが川の上流を目指すと子供がいるはずです、というので子供がいることにしました。Fさんはそれが私の過去、もしくは私の子供時代らしい。Fさんは質問を続けていく。
「その子はどんな様子ですか、笑っていますか。泣いていますか。どちらの方を見ていますか」
私は困る。少女の私は銅像のように突っ立っています。私が近づいても嫌がりもしないが笑いもしない。実際私は喜怒哀楽の感情をあらわにする子ではなかった。私の実妹Zと正反対の性格です。川を覗き込みもせず、まっすぐ正面を見据えている。
「その子を抱っこしてあげてください。頭や背中をなでてあげてください」
撫でたつもりですが、銅像をなでている感覚です。でもこれは確かに私の過去だと思いました。その瞬間、私は理解しました。Fさんに告げる。
「今全部わかった。私は生まれる前に感情を自らの意志で置いてきました。そうでないと、あの母に育てられると潰されるから。実際に潰されかけていました。幼かった私は母の自慢になる良い子を演じました」
自分の口からでるその言葉に私はぎょっとする。これがヒプノセラピーの神髄だろうか。現実的な感覚と己の内面深くに隠されていた怒りと諦念の感情が混ざっています。生まれる前に感情を置いてきた……そこまで想像はしたことがなかった。でもそういう話が出るのも、実に私らしい。
Fさんは続けます。
「その子をこのまま置いておきますか。それとも連れて帰りますか。どちらでもいいです」
私は無表情のもう一人の私をつくづくと眺めました。服もきちんと着てはいますが、全部灰色です。ちゃんと見ているのに色鮮やかにならない。足元の川に目をやると、そこの部分だけ色鮮やかで美しい光景が見えるのに、不思議です。私は想像とはいえ、この子をこのままにしておくにはあまりにもかわいそうだと思いました。
「連れて帰ります」
私はもう一人の私と手を繋いできた道を引き返しました。こうして書くとうそのような話ですが、己の深い心から来たものです。幻影でもなんでもいい。普段は自覚もしてない心の底でそんなことを考えていたのか、幼かった私をあらためてかわいそうに思いました。誰が悪いのでもなく、そうしないと生きていけなかった小さい私に。
自己防衛のための喜怒哀楽を捨てた子どもを空想にしろ、幻影にしろ見たのは想定外でした。目を覚ますと知らずして私は涙を流していました。
Fさんは、やりにくかったと正直におっしゃいました。かからなかったという。私がちゃんと、かかっていましたよいうと、首を振る。専門でやっているヒプノセラピストさんから見たら違うのかもしれませんが、私はもうこの一回で納得いきました。Fさんには心からお礼をいって去りました。
結論からいうとヒプノセラピーを受けたとしても内面は変わりません。母に対する怒りが増幅しただけです。今後は母の呪縛を自らはずし、自ら好きな道に飛び込んでいこうと改めて決めました。これを書いている今も、無表情の小さな少女時代の私が心の中にいます。我が子同様にかわいがってあげようと思っています。




