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第二十一話・怒ることができる人、怒ることができない人、怒らない人、怒れない人

 どれも似てますが微妙に違います。今回はある政治家のエッセイを読んで思ったこと。まず当選して議員の仕事に着手したとします。迎える部下の職員は立場上いろいろな議員を見ています。で、この新しい議員は

① 怒ることができる人 か、

② 怒ることができない人 か、

③ 怒らない人 か、

④ 怒れない人 か、

 ……のどれだろうという話になるそうです。

 書き手の彼は当選した政治家側であったが、受け入れる部署は下っ端の一年生議員を受け入れる側でもあり、一緒に仕事をしやすいか評価する側でもあったと。

 私はこれを非常におもしろいと思いました。人の上に立つ人は常に注目される。下の立場にいる人も頭を下げつつも、どんな人だろうと観察する。昔と違い議員先生だから自我を抑えて恭しく仕えてさしあげる、つまり滅私奉公というのはない。これを思えば、現在の政治家は対人関係に強くならないと、成り立たない。いわゆるコミュ障はなれない職業ですね。


 さて、怒るべき時に怒れる人はいい人か。

 怒るべき時に怒れない人は悪い人か。絶対怒ることのない人は善人か。

 時と場合による。それで評価が逆転する時もあろう。普段から怒らない温和な人で、それが良い人間かといえば政治家の場合は違う。なかなか難しいものです。相手方の態度に腹が立って、怒鳴ることで怒りを伝える人もいる。しかし、感情的になると相手にされなくなるのは、どの業界も同じ。立場上、怒りを表せぬ人は数年後に折をみて仕返しもする。時には相手が身を滅ぼすのも見る。

 まあ、普段から喜怒哀楽の怒りの感情をどの程度まで表現するかは、また相手によって加減するのはどの人もやっているでしょう。


 ちなみに私は幼いころから怒りを表現できぬ人間でした。人前どころか人と話すことができませんでした。聴力に障碍があることを恥ずかしがった母から人前でしゃべるなと言われて育ったせいです。成人後は母のおかしさに気づき、自分なりに努力して今は仕事上では大勢の人の前でも話せるようになっています。

 優しい虐待をされて育った私は奇妙な遠回りの人生でした。損をしたなあと思います。実妹Zは、私と正反対の性格で気に入らぬことがあると、すごくよく回る舌でもって感情を爆発させることができました。私は屁理屈ばかりいうZにあきれながらも、うらやましいと思っていました。でも簡単に怒りの感情を出すことは下品です。Zの感情に黙って聞き入れた両親はZがいないときには、いつもZの悪口をいっていました。

「普通に育てたつもりなのに、どうしてあんな子に育ったのか」

 今となってはZの正常さがわかります。当時のZは子供だったので母の対応のおかしさが理解できず、ただ怒りの感情で対抗するしかなかった。でもZは数十年後、一人暮らしになった母を虐待し借金まで負わせた。母はZを「親でもなければ子でもない」 と恨み、一方Zは母に対しても私に対しても連絡しない。

 私の実家は、ばらばらです。この私がキーマンになって動く気すらありません。昔からZから面と向かって死んでほしいと言われ、幼い子どもたちの前で裸にされて、髪をつかまれ背中に傷を負わせられた相手になぜ姉として愛情を注げようか。姉妹仲が悪いのも元をたどれば母のせいでもあったのですが、母はZの生まれつきの性格のせいだとします。そして私に対しても勝気だったからと言う。母は昔も今も被害者ぶる。まったく己が悪いと思ってない。これが機能不全家族のなれの果てです。

 怒りの感情を表すことは下品だが、必要な時もある。しかし愛のムチは私は無知からきていると思っている。結果オーライで美談になりがちだけど、一歩間違えたら事件になる。それはムチをふるう人間が相手を一番わかってないから。


 政治家は大変です。怒らねば舐められる。怒る時の正当性と結果を見せないと見下げられる。その上、人脈と金脈が不可欠です。私はその回顧録で単なるおぼっちゃん政治家、二世政治家だと思っていた彼の苦労がわかりました。その人の父(一世政治家)は後継者の彼に何も言わない人だった。その人もまた息子さん(三世政治家)が地盤を引き継いだ時にそうしたという。その人は他人に理由なく怒らぬ温和な政治家だったようだ。

 が、このコロナ禍で引退済みの元政治家なのに、息子通じて現場への指揮を取り始めたと聞いた。今、その人は世の中の流れに違和感を感じて怒っている。

 政治家としては世間一般的な著名人ではないが、回顧録を通じて率直に書き手の人間性を理解できるときもある。元々家柄が良く金の亡者になる必要のない人だが、政治家になって良かったとはっきり書いている以上、良い政治家だったのだろう。

 過去、怒ることのなかった政治家は現代を憂えている。怒るのなら今じゃないかと思うが、引退した以上そうもいかぬでしょう。そのあたりを今回のイラクサに取り上げさせてもらいました。

 世の中に動ける人、動かせる人はもっと怒ってもいいと思う現象があちこちにあります。無名の人は自由だけど、日本人はのんびりしすぎだとも思います。私の実家は機能不全家族。日本は敗戦国。でも言論は一部を除いてまだ自由がある。だからまだ救いがあると思っている。終わります。


(当該エッセイは自費出版でしかも匿名でした。そのため、こちらでも非公表とします。)





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