第二十話・老いとアンチエイジング
アンチエイジング。今回は見た目を若くしたいという願望にまつわる話です。
誰しも年を取りたくない。体力を落としたくない。でも日々を重ねるごとに体は老いていく。少しずつ、じわじわと。真綿で首を絞められる感覚……首の代わりに健康と若さですけど。
ある日突然鏡を見て己の容貌の劣化に悲壮感を味わったり、昔の写真を見て「こんなに若かったのか」 とショックを受けたりです。特に地下鉄の窓に映っている己の顔が一番醜いように感じる……とにかく老いを感じる場面はいろいろです。私は三十代で老いを意識し、四十代で老いによる体力低下を意識しました。五十代で筋力も弱り、六十代で……と続く。
若いということは、それだけで特権階級ですよ。それなのに、太いの細いのキレイの不細工のって、なんであんなしょーもないことで、くよくよしていたのだろうかと今にして思う。悩むうちが花とはいうものの、もっと外の世界に目を向けたかったなあとも思う。今となったら見てくれなんかどうでもいい。
私が初めて老いを意識するようになったのは、白髪の発見です。三十代後半でした。それまではストレートパーマのかけすぎによる、枝毛で悩んでいました。
さて、白髪の出始めは目立つ。バレエやフラメンコをしていたのですが、シニヨンでまとめると、短い白髪だけ一本、ぴょこんと飛び出てくる。まるで抜いてくださいと差し出すように。
当時の私は見つけ次第、白髪を手で一本ずつ抜いていました。年を経るごとにそれが増えていく。私は髪によいとされる海藻類をせっせと食べるようになりました。それでも、四十代で出産をすると焼け石に水の状態になりました……あきらめて定期的に毛染めをするようになって現在に至ります。
若さというものは若い時ほどその価値がわからぬもの。皮肉なものです。若返りたいと過去の権力者、魔女たちはどんなに努力したか、それでもどうにもならなくてみんな死んだ……人生そんなもの。
老いを自覚しはじめると、できるだけ若く見えるように化粧などを工夫します。どうにもならなくなるとお金持ちは美容外科に走ります。顔面の皮膚を引き上げるような処置をするなど……腕の良い医師だとそれこそ数百万かかる。美容外科医に頻繁に通院できる人は間違いなく金持ちです。例の親戚の一人がそうで、彼女は八十代後半なのにシワひとつない。全部美容にぶっこんでいる。一般人はそこまでは到達できぬ。
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老化現象の歯止めがきかなくなると、あきらめの境地になる……のか。今のところ、危ういけれど総崩まで到達していないので、わからないです。でも、毎朝毎晩たるんだ顔面と下腹部を見る都度に己の現実を見る。若返るのはもう絶対に無理だとわかると、また別の道が開けてくる。今は陰徳を積むこと、笑顔を心がけています。結局私にはそれしかない。もしお金持ちだとしたら、また変わってくるだろうか。
でも還暦を前にすると、若いころは美しさを武器に要領よく世間を渡っていても性格が悪い人の末路がわかってくる。美人だから生涯幸せとは限らぬ。人間は中身だと思っても、でもある日突然、見慣れた己の顔の己のしわの深さに改めて焦る私がそこにいる。愚かとでも浅はかとでも凡人とでも。仕様がないなあと呆れもするが、マッサージを必死で始める己をも滑稽に感じている。
でもそれもすべてあきらめたら、己の外観なんてどうでもよいと、もっと穏やかに過ごせるかも。実はそうなりつつあるので、あまり身なりにかまわなくなるのも困るけれど、ちょっとその分心の中が整理しやすくなったと感じている。
世の中の売り場を大きく占領している化粧品や洋服、それらはみな外観を飾るものが多い。若い人向けが大半であることを見るにつけ、年を経た買い手は寄り付かなくなる。きらきらとしたあの場所にかつて、買う側にいて店員と話をして試着もしていた時期もあったのに。もう売り場全体が拒否されているような感覚で近寄りがたい。そして本当にすべてをあきらめるようになったら、穏やかな死を迎えることになるのだろうね。
 




