第十六話・ぶりの話
昔の家にとっては嫁取りは一世一代の行事でした。結婚式場はそこらになく、家でやりました。
私は昭和時代の生まれですが、大正後期、昭和初期生まれの人からいろいろな話を聞いています。そのうちのひとつを書いてみます。
」」」」」」」」」
私が嫁いだその年の冬、義父は「お歳暮に、ぶりをおくらねばいけん」 と言いました。
「ぶり? 魚のぶりのことですか? 私の実家にですか」 と私。
私は、そういう風習があるのを知らなかった。よく聞いたらぶりは切り身ではなく、いっぴき丸ごとそのままの姿で送らないといけないそうだ。
「そんなのスーパーに売ってませんよ」
「海の漁師から直接、買い付けるんじゃあ」
「……いや~、気持ちは有り難いですけど、私の母は魚が捌けない人です。魚の切り身ばかり買います」
暗にいらないよと断ったつもりだが、「決まりじゃけん」 と義父はきっぱりという。
山奥の僻地にする人々にとっては、魚はとても貴重だ。昔は魚売りがリヤカーを引いて山を越えて売りにきていたそうだ。しかし生魚はない。干し魚、もしくは、いか、たこの燻製。だから嫁ぎ先では生魚の刺身をすごく喜ぶ。その中でぶりは特に貴重だという。出世魚というだけではなく、単純に大きくて見栄えよく、しかも美味しいからだろう。
ちなみに実家では魚は鯛が最高級品とされていたから場所柄もあるかと思います。
」」」」」
結果として大きなブリが私の実家に届きましたが、案の定母は捌くのに苦労したらしい。「もう送らないで」 と言ってきました。縁起物なのに縁起の悪いことを嫁ぎ先に言う母……義父は嫁を取った年のくれに贈るものです。つまり一度限りですので安心してくださいと言いました。
義父は正式には直参、直接嫁の実家に行って品物を差し出して口上を述べるべきだったといいます。その持参のぶりを包む縄の網目も決まっていた。縁起ものの縄目というものがある。今はもう誰も知らぬ。
昭和初期の結婚の時は、海に一番近い山を一日がかりで越えて、漁師に買い付けていた。今ではトンネルもバイパスもありますので、車で二時間もかからないが、時間をとって行動する時代でもあった話です。そもそも健脚でないと生きていけなかった。昔の話を聞くたびに異世界に思えてきます。
さて山奥の寒村で秋の収穫が終わると農家の人たちは「ぶりつきつあ~」 と言うのに参加します。最初聞いたときは何のことかわかりませんでした。
正解はブリ付きツアーですね。日帰りもしくは一泊旅行に言って、お土産にブリが丸ごと一匹持って帰れるツアーのことです。
私は、そういう旅行名すら耳新しく、珍しかったです。義父母たちは農作業が一段落ついた晩秋の楽しみでした。毎年行っていました。これも農家を廃業したところも多く、村地区単位でのブリ付きツアーも無くなりました。
今回はこの話もいずれ消えてしまうだろうので書いてみました。消えゆく文化の一つでもあります。文化は生まれて消えるもの。守るべき文化もあるけれど、文字に書きつけるなどして時折思い出せたらそれもよいと思います。




