少女と赤鬼
フールは空を眺めていた。キラキラと輝く星に大きな満月が添えられたような神秘的な夜空は、涙を流すには違いすぎた。
そんな彼女に近づいてくる影は二つあった。一つは老人の、もう一つは少女の影だった。そんな二つの影に気付いていたかのようにフールは振り向いた。
「竜牙さんに、朱鳥ちゃんか……」
「フールよ。あのレインがオーガを殺したが、もしあの場に居なければわしが殺したであろうし、誰かが死んでいたのは事実じゃ。あの者一人だけを責めるではないぞ?」
「お爺ちゃん!」
「良いんですよ、どうせ人と魔物ではこうなるのは分かっていましたから……」
そして、フールが思い出したのは一つの懐かしい思い出。それは大鬼と少女が出会った時の思い出がフールの頭によぎった。耐えきれなかった、堪えていた涙が、まれでダムから流れ出るように出てきたのが、この涙はフールには堪えきれなかった。
それが死んだ事実を突きつけてくるように悲しく、そして、辛かった。そんなフールを二人は見ることだけしか出来なかった。そんな自分に苛立ったのか、朱鳥は握り拳を作っていた。それは時間が経つごとに力が強くなり、血が滲み出てきていた。
「あのオーガと会ったのは、四年ほど前のことです」
フールは語り出したあの戦大鬼、当時はまだ大鬼だった頃に会った話を。
フールは父と母をこの村の人間だった者に殺されて、いつ自分が殺されるのかと怖くなっていた。それは本当かと言えば、それは嘘になるだろう。彼女の勝手な妄想だが、目の前で殺されたという事実はそれほどまでに恐怖を与えていた。
そんなフールも夜に逃げ出せば確実に死ぬことが分かっているため、昼に逃げ出してきたのだ。しかし、そんな彼女に不幸が訪れた。
フールは転び、その目の前には大鬼がいた。左目には大きな傷のある大鬼で、父とは違った戦士という雰囲気を纏っていた。
(あぁ、ここで死ぬのかな?)
彼女は父と母と同じ場所へ行けると思ったのと同時に怖かった。一人で死んでいくことが。残酷――この世界は世界の住人に無慈悲な現実を突きつけてくる。
子供とは、この世界でもっとも死にやすい生き物だ。だからこそ、成長するまで親の巣から出してはいけないのだ。そして、親が死んだ子供はいつもひっそりと何処かで死んでいる。それは才能がある子供でも同じ事が言えるだろう。
「お父さん――お母さん」
大鬼が棍棒を振り上げ、彼女へ向かって振り下ろそうとした瞬間、もう一体の大鬼が棍棒を振り上げた大鬼目掛けて丸太のような木を頭に振り下ろした。
メキメキという音と共に丸太をぶつけられた大鬼の首が胴体へとめり込んでいる。首が折れて、口から、いや、口の下が少し裂けてそこからドパドパと血が流れ出していた。力を失った大鬼は後ろへと倒れて、痙攣した後、動くことはなくなった。
彼女の危機を救った大鬼は一度だけ彼女を見ると、興味を失ったように振り返り元来た道を沿って歩いて行った。
「……助けてくれた?」
彼女の頭は目の前の大鬼が助けてくれたということだけで、その他のことが考えられなくなっていた。足が勝手に動いて、その大鬼の後を追っていく。もし、気が変わり丸太をぶつけられるかもしれないのに。
しかしそんな事はなく、彼女が真横で歩いていても気にもしない、それどころかその少女に気を払っているようにも見えた。それは普通ならそれはありえない光景だった。しかしそれは単純な原理だった。
その大鬼が初めて見た戦いは、捜索隊と仲間の戦いだった。そして捜索隊の戦い方にのめり込んでいった。そんな大鬼は異能〈知能上昇〉というのを持っていた。それでも大したことのない知能だったが、見よう見まねで身につけて、そして新たな異能〈武士道〉までも手に入れた。そんな大鬼だが、彼女を助けたのは気まぐれだったが、〈武士道〉の効果だったからかもしれない。
「ココ……危ナイ。来ルナ」
「オーガさんは喋れるの?強い個体?それとも特殊なマジックアイテム……じゃ、なさそうだね」
マジックアイテムと言った時の彼女の顔はとても晴れやかなものになっていた。しかし言葉の意味が分からない大鬼は首を傾げるだけだった。
少し経ったら木で囲われた場所へと来た。そこだけ小さな草原のようになっており、隅の方には丸太を削ったであろう石と木クズがまとめられるように置いてあった。そこで寝ている跡が見えた。
「ボク……剣ツクル」
そう言った大鬼は丸太のような木を削り出していた。それは作るというよりも削り出しているだが、その作業には真剣なものがあった。ボクが一人称なのには少し可笑しいかもしれないが、この大鬼の知能ではそれが限界だった。彼女はその光景を見ているだけで何故か心が落ち着いたようになり、色々な事が考えられる余裕が出来た。それでも恐怖を忘れることは出来なかった。
彼女の紫に輝く目を見て気味悪がられた時、そこから出て来たのに親を殺された時、そのどちらも自分の責任だった。彼女はそれから逃げたかったのかもしれない。
そこから彼女はその大鬼と会うようになり、刀の振るい方を――あまり分からないが――教えたりした。それは彼女にとっての黄金時代で、そこから村のみんなとも少しづつではあるが、話せるようになっていった。
「そう言う事だったんですか」
そこに現れたのはレインだった。ずっと木の陰からフールの話を始めから立ち聞きしており、その話が終わるまでの間ずっと隠れていたのだ。そして、それに一番驚いたのは竜牙でその次にフールと朱鳥の二人だった。その瞬間にフールの目には憎悪が宿ったが、それをすぐに消した。さっきの竜牙に言われた言葉を思い出したからだ。
「なんじゃ?お主……此処を出て行ったのではなかったのではないのか?」
「いや、あの大鬼の事が気になったんですよ。……それともう一つ」
そう言ったレインの雰囲気が少しだけ変わってしまった。それは戦士でもないフールにですら分かってしまった。
「あの行動をとった自分に責任が取れますか?あの大鬼、オーガは狂乱状態、俺が助けなければ竜牙さんに他の人が死んでいたのかもしれないんですよ?」
「……そんなの分かってますよ」
事実レインがあの大鬼を殺さねければ村人、道場見習いまでもが死んでいた。レインは〈予知〉でそれを見た、だからこそ助けに行ったのだ。例え村人が死んだとしてもレインの〈捕食者〉、〈強者〉の進化した異能が感情を左右した後に、“当然だ”という言葉が頭にストンと入っていただろう。
そんな確実な死の運命をレインは救ってみせた。
「私が……私がフールの友よ。だから友が犯した過ちは、いえ、家族の為に行った行為責める気は無いし、次があるのなら私それを手伝うわ」
「だったら、年寄りが先にその行動を示さんといかんな」
レインはそれを聞いて、今装備している装備を本気で戦う時のものに一瞬で変えた。銀の会社服――スーツにも似た龍銀の糸で作られた遺産級マジックアイテムに装備した。その上からコートのような闇の、動く漆黒のオーラを上から羽織った。その姿は異様と言ってもいい程“恐怖”“畏怖”それが入り混じった存在だった。
歴戦の武将であった竜牙ですら、その姿に戦慄を覚えて足が小刻みに震え、自身の腰にぶら下げている聖刀老白を掴み取りたい衝動に駆られた。そして戦場を知らない二人にはそれ以上のものが襲った。フールは全身の魔力を周りに囲むように出し、朱鳥は武器を持っていない為後ろへと飛び退いた。
それを見たレインは唯一変えなかった鉄の刀をフールの首元に当てた。それに竜牙、朱鳥は反応すら出来なかった。
「今此処で俺が暴れましょうか?」
フールは少しでも抱いていた憎悪は簡単になくなり、そして一度でも抱いてしまった恐怖は爆弾が起爆するように膨れ上がっていった。腰の力が抜けて地面にへたれ込んでしまう。竜牙はそれを見て殺す気はないと悟った。朱鳥は足が震えて一歩も動けずにいたが、足の向きだけはフールへと向いていた。
「さっきの言葉に嘘は無さそうですね。あの大鬼に名前は?」
「レットと私は呼んでいました。あの子は分かっているか分かりませんでしたが……」
レインはそれを聞いたら三人に背を向けた。そして木陰、夜の小さな光と木に隠れて何も見えなかったが、何かを掴んだのはガサッという音で分かった。
そこから出て来たのは百五十センチ程の少年、小柄な体に大きな布を巻いただけの服――と言えるかが分からないが――着ていた。赤い髪に赤い両目はまるで大鬼に似ている。それは正解だった。額には、大鬼程ではないが小さな二本角があり、左腕にはミサンガを二重にして付けてあった。
「レッ……ト?」
「は……はい」
フールはすぐに目の前の少年がレットということに気がついた。フールは目から大量の涙を出しながらレットへと抱きついた。そんなフールになされるがままになっているレットも我慢しきれずに泣き出してしまった。
「死者の蘇生!?」
「そうですよ。成功して良かったですが、レベルが下がってしまうのはゲーム時代と同じでそのままでしたので、種族進化をさせました」
「な、なんという事じゃ……。お主は一体何者なんじゃ?」
「そうよ。死者の蘇生は龍王以外に出来るなんて聞いた事がないわよ!」
フールとレットは今だ泣いている為、この話を聞いているかは分からないが、竜牙と朱鳥は目の前にいる“何かに”大きな何かを感じざるおえなかった。
この世界においての一般的な常識として〈死者蘇生〉は普通ではあり得ない事だった。もし、使える者が居るとするならば、聖ノ魔法使いが集まる聖国、圧倒的な戦士を抱え込んでいる冒険者ギルド、魔法研究科のある帝都学園などが挙げられるが本当にいるかは分からない。噂単位で出回っているだけのものだが、いるとするならば国家機密に認定される程のものだろう。
その噂の中でも最も現実味があるのが、朱鳥が言った龍王だろう。彼らの中でも聖に属する龍がいれば人間とは測りきれない程の魔力、力を持って死者を復活させれるのではないだろうか。龍王、それはかつて世界を後一歩のところで支配していたかもしれない龍の子孫に当ては存在かもしれないからだ。
「フールさんにこれを。一人で見るようにと言っておいてください」
レインはそう言うと一冊の分厚い本を渡した。それはこの世界でも珍しい皮以外で出来た本で、その厚みからすると金貨数枚はする程だろう。竜牙はそれを持つと了解の意を示した。
レインは魔法の〈飛行〉を無詠唱で発動すると、ふわりと地面から離れて通常の二倍はあるだろう勢いでこの場を去って行った。それを見ていた二人はフールが泣き止むまでの少しの時間を待っていた。
フールが泣き止んでから力がなくなり、今日の朝まで寝ていた朱鳥と竜牙はフールとレットと共に過ごしている家の中に居た。そしてレインから頼まれた本を渡してみればフールは勢いよく倒れ込み気絶した。フールがその目で見たのは本から発せられる魔力を見てしまったからだ。レインが付けていたマジックアイテムよりも、高密度で大きいものだった。三宝と呼ばれる王国にあるという秘宝に匹敵するのではないかというような、そんなマジックアイテムだった。その名前は〈魔物使い見習いの書〉というゲーム時代では一般的なアイテムで、職業を増やす時に使われたいたものだ。
しかしこの世界でそれは有り得ないもので、職業を増やしたければ、才能、努力しかないと言われている程だ。この書一冊で家族が一生安泰して暮らせる金額になるのは間違いないだろう。
「そこまでの本とはのぉ〜」
「あいつ一体何者よ」
「――あ、あいつとか言っちゃダメです!!」
朱鳥がレインをアイツ呼ばわりした時にレットが急に声を荒げ注意をした。それはまるで彼の本性、存在に気付いているようだった。それを見た三人は一瞬キョトンとして、レインを知っているのではという言葉が頭によぎった。レットは種族が〈鬼人〉になったことで、言葉が流暢に話せるようになっていた。
「あの人は僕達を統べることができる魔王様なんですから!!」
「「「魔王!?」」」
「そうですよ!他の魔物とは違って僕は知能が高く、その人の強さ、オーラを見ることが出来るんですが、あの人は絶対に魔王様です。僕の眼がそう言ってるんです」
そう断言したレットの言葉に嘘があるようには思えずに三人は納得した。その力を見ていたからこそ信じれるのかもしれないが、レインの強さに底がまるで感じ取れなかった竜牙は薄々レインが怪物だというのには気づいていた。
しかしそれでもそんな怪物が今まで居たと言われると身震いしてしまう程のものだった。朱鳥は身震いではなかった。戦って見たいという好奇心が勝り、フールはマジックアイテムやレットのお礼をしたいといった、恐れのない感情だった。