荊棘の魔王-5
レインは仮面越しで視界に映るものを見渡して、騎士、魔法使い、メイド、皇女の順番で見た。その顔が酷く怯えているようにも見えるが、皇女を守ろうとする強い意思も分かった。下を向くと倒れ伏しているサラが、微かに息をしているのが分かる。
右肩から左脇腹に掛けて切り裂かれたところから、大量の血が噴き出ていた。ステータスを覗くとHPがほとんど底に尽き掛けており、レインもそこで止めを刺そうなんてことはしなかった。ただ闇の再生が遅れていたら、腹に大きな穴を開けていたと思える技を喰らっていただろう。
レインは開いていないか腹をさすって、この場を立ち去ろうとしていた。しかし、そこへ声がかけられたのであった。
「サラ様は死んだのですか?」
「……殺してはいませんよ。まだ息はしていますし、生命力が元に戻る前に此処からは出て行くつもりですがね」
「爺、サラ様の回復を」
「……はッ!!」
そう呼ばれた魔法使いの老人は、回復魔法をサラに掛けるのであった。緑の小さな粒の集まりがサラの身体にへと降り注いで、サラの身体にあった傷を少しずつだが治していった。
サラが起きる前に逃げようと考えていたレインからすれば迷惑なことだが、それを遮るようなことをするつもりはなかった。レインは帰ろうと背を向けたが、それをシルクが呼び止めた。
「――あなたは、この世界で何をするつもりなのですか?今の時代の人間に、あなた達を止められるすべは持っていないに等しいのです。国を相手にするなら、多少の手傷を負っては貰いますがね」
「怖いですねぇ。それを笑って言えますかね……こっちは何もするつもりはないですよ」
「いえ、この帝国の皇女として聞いたんですよ?別に宣戦布告をしようなんて考えは一切ありませんし、サラ様を殺さないでくれて感謝をしているんですから」
「…………同じ仲間のような人間ですからね」
レインは少し顔を向けて言い残すと、また歩き出そうとしたのだったが、すでに時は遅かったようである。傷は治っていなかったが、意識を回復したサラは跳び上がるように起き上がって、その細剣を左腕の力だけで振り放った。
「――サラさんッ!!」
しかしシルクの一声で全身が固まったように動きを止めた。その細剣はレインの首、スレスレで止まっていた。今、この場は三人の人間により支配されていることは明白であった。
それはシルクという第二皇女を慕う兵士、騎士のような従順さで動いているように見えた。サラは耳に付けていたピアスへと命令を下す。キラリと小さく輝いて、その効果により斬られた腕が回転しながら元の個所へと引っ付く。
レインはいつでも応戦できるように刀を握り、臨時の戦闘態勢へと移行したのであった。二人にしか分からないほどの威圧だったが、シルクはそれを少しだが感じ取っているようであった。レインとサラの戦闘に巻き込まれたら真っ先に殺される存在が、だ。
この場の雰囲気が一段階上がった。緊張感というのがこの場の全員に伝わって、そこで口火を切ったのがシルクであった。
「サラ様を殺さなかったのですから、今回は逃げしてもいいのではないでしょうか?」
「シルクちゃん……何で……様付け?」
「サラ様?言いつけを守らなかったのはどっちですか?」
「……シルクちゃん」
振り向いたサラが、まるで絶望をしたような顔をシルクへと向けていた。聞き間違えたかのように、何度も目をパチクリさせ驚いていた。ふるふると剣先も震えだして、すでにレインなど眼中に入ってすらいなかった。ただ許しを請おうとする子犬のようになっていた。
「レイン……さん……すまなかった。勝手に、攻撃を……してしまって」
シルクの意志を理解したかの如く、サラは――歯切れが悪いものの――レインに向かって謝罪した。その光景に満足したのはシルクだけでなく、二回目の戦いにならずに済んだレインもほっとした。
サラはそれで許してほしそうな顔で、チラチラとシルクの顔を伺っていた。それだけなら可愛い女性と見られるだろうけど、その手に持った細剣がまだ首から離れてはいなかった。しかし。後ろに数歩も下がれば、意識が明後日の方向に向いているため、簡単に間合いからは抜けることが出来た。
サラは、レインが逃げようとしているのに気が付いて、頭に過ったもの――それは昔過ぎて忘れかけていた事――を伝言として伝えた。その言葉は小さく、口パクで言ったようにも見えたが、レインにだけは聞こえる声量であった。
その言葉を聞いた後は、これ以上留まる気はないと、レインはこの場から出て行った。
「まさか……魔王に……」
レインが――レベルや異能で強化されているだろう――耳を疑ったのは初めてであった。サラから聞いた話はこうである。「少し前に感じたのだが、大きな魔力が……五つ以上だな。私達に匹敵するドス黒い魔力を感じた。少し気を付けていた方が良いかもしれないぞ?」と、そんな魔力を感じ取れたのがサラということも問題であった。
サラは特殊な部類に入る職業、守護騎士を獲得してある。それは守る人間――後ろに自分よりレベル的に弱い仲間を――を連れて置くことで、何倍にも強くなれるというものである。その守護騎士の最も警戒すべきは、強さでも、防御力でもない。
どんな小さな悪意にだって敏感ということである。
その職業は守ることを意識した構成であり、職業〈勇者〉の下位互換であることは間違いないだろう。そして、守護騎士が気付いたのであれば、今知っている勇者の一人も気付いている可能性が高い。
レインはすぐに今後のスケジュールを変更する決心をした。胸騒ぎ、というものか。レインの奥底で警鐘を鳴らし、更にはそれが核心に近い何かを感じ取ってもいた。それが職業の〈魔王〉から来るものかは分からなかったが、レインは小さく歯ぎしりをした。
無意識的にレインが歩く音は、地団駄を踏むように大きくなり、無法都市の位置を思い出しながらこの帝国を飛び去った。
(ゲームが終わり辺りが暗くなり、すると訳の分からない異世界に転移して、もしもそれが誰かの差し金によるものだとしたら?だとしたら魔王と同じ……)
〈飛行〉によって飛んでいるレインは、風を切りながらそんな事を考えていたが、一度そのことから思考を逸らそうとしたのだが。
(魔王と同じではなく、もしかしたら神なのかもしれませんね……)
自分が呼ばれた理由が気になる、そしてもし呼ばれたのだとしたら何故という疑問が生まれる。そう考えこんでしまうのが人間であり、微かにも元の世界へと帰れる手段を考えるのだ。どんなに悲惨な現実だった世界だとしても。
魔王の豪速とも言える飛行能力は、すぐに帝国を見えなくしてしまった。前の時よりも欠けた月がレインを照らして、その光だけで草原が見えた。人が通っているようには見えないが、それでも一人――盗賊や野党と呼ばれる、暗闇に蠢く影すらも――も見えないのは、魔王としての五感を疑ってしまうほどだ。
その小さな違和感は、次第に――無法都市へ行くごとに――大きくなっていった。いつもならすぐ近くにあるという感覚であったが、遠くにあるという違和感までもあった。
「んッ!?」
レインは咄嗟だったため、自分に何が起こったのか分からなかった。自身の身体に――効果の終了を伝える――光る光量が点滅し、レインは空から勢いよく墜ちていって、その速度のまま地面に激突した。地面に小さなクレーターを作った。
ダメージはなかったものの、これまでの魔法ならもっと効果は続いていたはずだと、レインは精神的なダメージ、困惑というものを感じていた。
咄嗟に起き上がって魔法を発動させようとしたが、魔法を封じ込める結界が煌めいたのが見えた。
「これ程の封印結界……ゲームでは見たことがありませんね」
レインはとても強い結界と思っているが、それはこの世界特有の、新たな魔法を作ったり技を作ったりする新たな力である。
封魔結界という、魔法を封じ込めるためだけに開発したようなアイテム、いや、もしかしたら封魔の異能であったかもしれない。だが、魔王ですら抵抗できない力というのが恐ろしかった。
レインがそれで辛いとは思わず、戦闘能力、その中でも物理攻撃力が高いため〈飛行〉と同等のスピードで走っていった。そこまで距離が離れていなかった。そしてすぐそこまでやって来ると、その無法都市の壁が見えた。
いくつもの黒煙が焚かれて、いくたもの火が広がっていたのが分かった。ズズンッという地鳴りが聞こえてきて、レインがそれを聞いて一気に速度を上げていった。
頭の中に一人の少年の顔が浮かび、ポツリと額から汗粒を流した。そして偶然か、レインが来ている方向に無法都市の集まりが見えた。
「あッ……レインの兄ちゃん!!」
それはレインが思い浮かべていたフォンであった。煤だらけの顔で黒くなり、その周りには同じ神殿の子供達が固まっていた。その横にシスター、マーガレットの姿が見れず、それをフォンに聞いたら「神殿で治療をしている」と言った。
レインは神殿と思って、すぐに壁の中だということが分かった。そして子供達が悲しんでいると顔に浮かべていた。すぐに行こうとしたら、誰かが腕を掴んだ。
「行ったらいけないのさ。これは無法都市の運命なんださぁ、皆覚悟ができてたのさ!燃えている都市に入るのは自殺なのさ!!」
「無法都市の勇者、此処で何が起こったんですか?」
「何も分からなかったのさ………急に都市が火の海になったのさ」
手が緩んだ瞬間にレインは振り払うと、人間を越えた脚力で城門を越えたのであった。フォンは少し唖然としていた。
神殿では大量の髭を生やした老人と、骸骨が施された十字架を携えたシスターがいた。老人が腹に抑えられた布には大量の血が吸っていた。シスターは回復魔法を持続的に掛けていた。しかし、その魔力がもう尽き欠けていて本来の効果が発揮されていなかった。
「もう……長く生きましたわい。姫……申し訳ない」
「何を言ってるんですか!あなたは本当の主を探さなければならないでしょ!」
「ほほほ……」
「おじいちゃん!!」
その老人はすでに息をしていなかった。それはシスターのせいではない。老人の身体的にも問題があったし、その腹に受けた傷の深さから、即死しなかっただけ強かったと言えるだろう。シスターはその脇で啜り泣いてしまった。
その老人は齢三百歳を超えていた。黒い――呪いでも受けていそうなくらい――、漆黒の全身鎧を付けていた。大きなタワーシールドを持っていて、巨大なグレーターソードを装備して戦っていた。彼の二つ名は〈死護〉、その名の通り“死後”から来ている。
老人が初めに死んだのは六十の時、大切な姫を貫かれた後に殺された。それは老人の職業〈守護騎士〉として恥ずべき死に方で、悔やみ続けながら死んでいった。しかし、職業の効果が現れた。
蘇ったのだ。アンデットではない。騎士として蘇ったのだ。
職業も〈守護騎士〉から〈不老騎士〉となってしまったが、老人は新たな生を授かったのであった。
それでも蘇ったのは、数十年後であった。老人が起き上がると見えるのは樹林ばかりで、大国であった国の面影も残ってはいなかった。そこから老人は自分の人生を変えることとした。嘗ての姫君の面影を持つ女性を、それを姫の血縁者だと思い。老人は戦ってきた。
それももう終わりだ。最後は瓜二つの姫を助けることで死んだ。
「おぉ、姫、よ。……今行きますぞ」
老人は自身を包むような眩い光の向こうに、嘗て助けることのできなかった姫が微笑んでいるのを見た。それでは死に間際の、走馬灯、幻覚だったのかもしれないが、老人は、最後は、自分も姫と同じ場所に行けたことに微笑んだ。
レインは、倒れた老人に向かって啜り泣くシスターを見つけた。そっと近くに歩いて行って、その老人の復活が無理なことに悟る。少しずつ灰となってゆく老人を見て、すぐにシスターの方へと振り返るのであった。何が起こったのかを聞くために。
シスターは泣きながらも、今の現状について話し出したのであった。そして聞き終わると、レインはすぐさま走り出してこの神殿を後にしたのであった。シスターが教えてくれた最終決戦に選んだ場所へと。そこに勇者と四人の冒険者が戦っているそうだった。