一話 暗殺者と科学者
二〇三〇年四月
快晴の空の下。少年が一人、学生服に身を包み通学路を歩いていた。
唐突だが、少年は悩んでいた。
『悩み』から物語が始まるのは鉄板ではあるのだが、彼は年齢相応の悩みをしていたのだから当然であろう。
少年の名前は南雲トオル。身長は平均の少し上、目にかかりそうな長めの黒髪。
魔法陣をデザインしたLSを付けている。
近くの中学校に通う中学三年生の男の子だ。
思春期真っ盛り!
話を戻して……。
トオルの悩みというのは『進路』である。つい先日中学三年生になったトオルは、進路について考え始めていたのだ。
有潜在者であれば中学卒業後に能力科の高校に進学。というのが一般的であるこのご時世。
有潜在者であるトオルも能力科への道を考えていたが、トオルの能力は強力すぎるので他の人間には隠していた。
だから周りからは無潜在者であり、進路も能力科以外の普通科や商業科などだろうと思われている。
能力科か、普通に進学か。他の進路にニートという道があるらしいが……それは考えていない。
この選択で彼はとても苦労することが目に見えていた。
何故なら勉強ができないのである。
苦手。と言えば聞こえが良いだろう。だが著しくできないのだ。分かりやすく成績を言うのならば学年で下から両手で数えられる程だ。
因みに、トオルの学校の三年生の総人数は二一七人である。
これは酷い。
「あぁ……進路、どうしようか」
情けない声が自然と漏れた。
「兄さん、声漏れてるよ?」
いつの間にかトオルの隣に制服姿の少女がいた。
「ゴメンゴメン」
「まだ三年生になったばっかりなのに……情けないなぁ」
そう言いながらも微笑むのは、南雲レナ。トオルの妹だ。
小柄な体格に、腰まである長い金髪。端正な顔立ちに藍の瞳が煌めく、中学一年生の超絶美少女である。
耳には金の三日月のデザインのLS。
「ところで、レナは中学生活慣れてきたか?」
兄として妹の心配をするトオル。
「んー、特に何も変わってないかな。小学校の延長みたいな?」
レナはつい先日中学生になったばかりである。まだ中学生活を実感できていなくとも無理はない。
「部活は入らないのか?」
「帰宅部でいいかなって」
「楽しいから入っとけば?」
「帰宅部の人に言われても説得力無いなぁ?」
「ごもっともで。じゃあ勉強も余裕か?」
「兄さんは私の心配よりも、自分の心配をした方が……」
トオルの歩みが止まる。表情は苦悶に満ちている。
「……」
とどめの一撃だった。妹からの心配はとても嬉しいだろう。だがしかし、心に刺さることもあるのだ。
「兄さーん?」
「勉強かぁ……あああぁぁぁ……!」
トオルの口から嘆きが溢れる。
「ホラ! 止まってると遅刻しちゃうよ?」
二人は再び歩き始めた。
レナは兄の心配をしながら。トオルは進路の心配をしながら。
数時間後。
トオルは社会の授業を受けていた。
内容は『超能力』の顕現と、それによる有潜在者の功績を学ぶというものだ。
「俺は過去を振り返らない!」
先週、家でそんなセリフを放ったら父親に笑われたりした。
そしてそのカッコいいセリフのおかげで世界史最下位という、母親にこっぴどく怒られる成績を叩き出したのである。
段々と授業の内容が頭に入らなくなってくる……。
睡魔が襲ってきたのだ。
トオルの意識は現実から引き剥がされ、夢へと誘われるのであった。
◇
西暦二○○○年。
世界は狂乱に包まれた。
事実から述べれば『人間のリミッターが機能しなくなった』ということだ。
つまりは肉体、精神の崩壊が起こった。
ある者は頭部を内側から破裂させ、
ある者は右腕で自分の心臓を穿ち、
ある者は家族全員を殴殺した後に壁にめり込むようにして、
ある者は突然空に現れ落下して、
……死んだ。
これらの目を背けたくなるような怪死は連日起こった。
その最中、十五歳の少年が原因を突き止めたのだ。
そして『超能力』の顕現とその存在に関する情報を公開した。
少年は『超能力』の性質と特徴を熟知し、利用方法までも完全に理解していたのだ。
世界の国々はその利用方法を共有した。
正しく超能力を理解したことにより、人間はLSを開発し、LSによって超能力を自在に操るようになった。
当初のLSの機能は身体強化を行った際の崩壊を防ぐ程度のものであり、それ以上の超能力発動の際の崩壊を防ぐことはできなかった。
しかし、それだけでも十分であり人間の生活は豊かになった。
……こうして世界は新しい力を手に入れ平和に過ごし始めま――
――せんでした。
単純な話だったのだ。
強大な力を持てば、それを多く求めて争いが始まる。それだけの事だ。
超能力顕現から十四年。大戦が始まり、有潜在者を利用した戦争は激化した。
限界を引き出した有潜在者による多次元的な戦場。
一人一人が英雄と呼ばれるに相応しい兵士。
翌年の二○一五年、超能力による怪死を止めた少年は大人になり、科学者となっていた。
科学者は大戦を止めるべくLSの新たな利用方法を公表した。
それは有潜在者の超能力をさらに引き出させることであった。有潜在者は基本、身体能力の強化であるが、その能力をさらに強化させたのだ。
個人の奥底に眠る超能力の覚醒。
これにより大戦は終結した。
この偉業……異業を成し遂げた科学者の名前は、
『南雲 康二郎』
トオルの父親だ。
◇
「……オル、トオル?」
トオルは眠りから覚めようとしていた。
「トーオールー? 起きてー!」
誰かが呼んでいる。
「お昼だよ! トオル!」
トオルは声の主を認知し、勢いよく起き上がる。
教室の机に突っ伏し、熟睡していたトオルは霞む景色を眺める。
天使がいた。
一目惚れしてしまったか?
「天使かよ……」
目の前にはアネル・クラインがいた。
「何言ってるのさ? もうお昼終わっちゃうよ?」
身長一七二㎝、すらっとした体。金色の長髪は後ろでゆったりと一つに纏められている。
青い瞳、整った顔立ち。世の男性は一目惚れ間違いなし。
美しい。を体現している。
トオルは「付き合おう、アネル」と言おうとしたが現実を思い出し、言うのを止めた。
アネルはトオルの母の兄妹の子供。従兄弟である。つまりは……男なのだ。
(待て、もしかしたらアネルは女の子かもしれない)
思考回路がショートしたのだろう。トオルは通常の思考を保てなくなっていた。
「アネル」
深みのある声で凝視する。
「なっ、なに?」
アネルは緊張している(かわわ)。
「お前……本当は女の子なんだろ?」
(さぁ! 答えてくれ! 『そうだよ、僕は女の子なんだ。でも、みんなには内緒にしてね』という言葉を! そして二人で……グヘヘェ……ヒエッフゥ……)
誰が聞いてもキモイと言いそうな残念な思考。
「何言ってるのさ? 僕は男だよ?」
トオルの期待は切り裂かれた。
現実は甘くありません。彼は男です。ひーいずぼーい。
「なんっ……だとっ?」
「そんなことより! お昼が終わっちゃうよ!」
「あぁ……そうだったな、お昼にしようか」
そしてトオルはアネルと二人、お弁当を開き食べ始めるのであった。
放課後になり、トオルは帰路に就いていた。
「そういや、アネルは進路どうするんだろ? 無潜在者だし進学かな?」
自身の進路も決まっていないのに、他の人の心配をしていていいのか……。
「まぁ、俺もアネルもそのうち決まるだろ」
楽観的な考えで乗り切ることにした。
家に着き、ドアノブに手をかける。
それと同時に背後からの声。
「お兄ちゃん」
幼い女の子の声。
レナだろうか? その疑問はすぐに否定された。
レナはトオルのことを『兄さん』と呼ぶのだ。
では、一体誰だ? そんな思考とともに、声の主を確認するためにトオルは振り向いた。
そこにいたのはレナと同じくらいの背丈の女の子だった。
服装はボロボロのローブであり、顔がよく見えない。
フードから金色の髪が垂れている。
「どうしたの? 迷子かい?」
『お兄ちゃん』と呼ばれたことは無視し、少女に問いかける。
「お兄ちゃんはさ、その能力を隠しきれると思う?」
「その……能力?」
「うん。お兄ちゃんのその特異な能力だよ」
「なっ!」
なぜそれを? という言葉は出てこなかった。
少女の毅然とした表情から威圧を感じる。心臓を締め付けられるような……苦しさが離れない。
「大戦の残り火を消す者……悪魔ね?」
「っ!」
トオルは甦る過去を振り払おうと頭を抱える。
「終戦後、世界の裏側で十二年間続いた真の大戦」
「どうして……それを?」
脳裏に浮かぶ殺戮の過去。
生まれながらにして悪魔と呼ばれた過去。
その力はもう失われたが、記憶は失われることはない。
「ふふっ、まぁいいわ」
笑みを咲かせる。際限なく放たれる圧迫感が少しだけ薄れた。
しかしそれはわずか一瞬の出来事であった。
「死ね、異端者」
言葉と共に視線がナイフの様に刺さる。
蛇に睨まれた蛙。その言葉が最も適した状況だろう。
身は竦み、喉がやけに乾く。春の温かい風が不快に感じられ、汗が止まらない。
「お兄ちゃん? 聞いてる? 反応がないならこのまま殺しちゃうよ?」
無垢な笑みとは真逆の、混沌に満ち、相手を陥れ嘲笑うかのような狂人の笑み。
ローブの袖から鉄の杭が数本落下する。
テントなどを止める時に使う釘のような、太く頑丈で、先端が鋭くなっているものだ。
(何を……?)
「舞い遊べ」
杭は少女の指の動きに合わせ宙に浮かぶ。
「踊り狂え」
脳からの命令は少女の精神に深く干渉し、侵す。
LSはそれを引き受け、障害なく超能力を発動させる。
念動の力が目覚める。
少女の指はトオルを指す。杭は対象に向かい高速で飛翔する。
トオルは『死』の恐怖をその身に感じた。
突如訪れた『死』を拒絶する。
(死にたくないっ!)
意思に応え、トオルはLSを起動する。
引き出される超能力は使用者の体と精神を崩壊させようと動く。
LSはそれを防ぎ、超能力を負荷なく行使させる。
「万能の能力を以て主を導け」
自然と紡がれる言葉。それに応えるLS。
『奇跡』の力が目覚める。
トオルは頭の中に流れるイメージを膨らませていく。
強固な盾。万物から身を守るための、戦士が身を任せる防具。
「イージス!」
展開される盾は、あらゆる災厄から身を守る盾。
盾と杭は向かい合い、衝突する。
激しい金属音。
鼓膜を破らんとするその音は、宙に舞った火花と同時に消えた。
「あーあ。防がれちゃったかー……どうしよ? 康二郎博士に聞いた方がいいかな?」
「康二郎?」
(なぜ父さんの名前が?)
疑問を確かめる間もなく、少女を言葉を続ける。
「とりあえず、もう一回作戦立て直すから帰るね!」
フワッ、と宙に浮いた少女は後ろを向き、友人の家から自分の家に帰るように、とても気楽に帰ろうとした。
さすがに帰すわけにもいかないと思ったトオルは、
「グラビティ」
超能力を使い、少女を宙から叩き落した。
「きゃっ!」
先ほどまでの威圧は何処へやら……。少女は可愛らしい声を漏らし、気を失ってしまった。
脳内で「女の子には優しくしなさい」という母の言葉が何度もリピートしたが、正当防衛的なヤツだからやむを得ない。と言い聞かせる。
だが、少しだけ心配になり顔を覗き込むと、レナによく似た顔がこちらを向いていた。
父の名前が出た以上、何か関係しているのだろう。
そう思ったトオルは、少女を小屋へと運ぶのだった。
小屋に着き、電気をつける。
近くにあったパイプ椅子に少女を座らせ、縄で腕を縛る。
多少なりとも縛ることに抵抗はあったものの、あの威圧感を思い出し動けないようにして損はないと思った。
フードを外し顔を見る。
レナによく似ている。レナからおっとりとした雰囲気を取って、勇敢な凛々しい雰囲気を足すとこんな顔になるのだろうか?
少女の顔を凝視していると、ゆっくりと少女は目を覚ました。
「ん……んん」
「おう、起きたか」
「ひゃっ! あわわ! にゃんでそんなに近くにいるのよ! バカ!」
開口一番罵声を浴びせられる。
マゾならば喜んだのだろうが、生憎トオルにその趣味は無かった。
「妹に似てたからだよ。それよりも、君の名前は?」
真っ赤にした頬を膨らませながら小さな声で答える。
「ルナ」
「名前も似てんのか……ややこしいなぁ。んじゃ、なんで俺を襲ったんだ?」
「お兄ちゃんは自分の能力をどう思ってる?」
「この能力か? 魔法みたいだと思ってるよ。ただあまりにも強力過ぎるのが欠点かな」
実際にトオルの超能力は魔法そのもの、奇跡だ。
トオルの想像できるものは全て作り出すことができる。
しかし、物体は長時間実体化することはできず、すぐに消えてしまう。
「いい答えね。そう、強力過ぎるのよ」
「十分わかってる」
「じゃあもし、戦争が始まったらお兄ちゃんはどうなると思う?」
「戦争?」
「えぇ、戦争よ。十五年前に……いいえ、三年前にお兄ちゃんが終結させた大戦の続きが始まったら」
「それ……は」
十五年前の戦争。
その真実の終結方法を思い出せば、どうなるかなど容易に想像できた。
「お兄ちゃんは最強の兵器、悪魔として再び戦争に駆り出されるわ。そして敵を何千、何万と殺して英雄になるのよ」
英雄。その言葉はトオルにとって一番遠いものだと思っていた。
誰かに讃えられることをできるとは思っていないし、成し得るとも思っていない。
「俺……が?」
「えぇ。じゃあ問題よ。敵は貴方のことをどう思う?」
冷徹な視線がトオルの心を冷やしていく。
「仲間……殺し。最悪の存在」
「正解。じゃあ、その最悪を先に殺せたら?」
「っ! まさか!」
「気付いたみたいね? そのまさかよ。私は貴方を殺しに来た……暗殺者よ」
現実か? 悪い夢だろう? そう思うしか正気を保てない。
十五歳には重い、その言葉はトオルの身体を凍り付かせた。
「でも安心して。私は今日で暗殺者を辞めるの。そしてお兄ちゃんを殺しはしないわ」
「……どういうことだ?」
「だってこの暗殺作戦は康二郎博士が考えた、私を消して日本に戻すための作戦だもの」
「その康二郎って……」
「南雲康二郎。お兄ちゃんのお父さんよ」
「は? なんだよそれ……暗殺? 父さんが関係している? なんだよそれ!」
溢れる情報を処理しきれず、感情が噴き出る。
「お兄ちゃん落ち着いて、私はお兄ちゃんを殺すつもりはないの。暗殺は嘘よ」
「わかんねぇよ……一体何なんだよ!」
恐怖からか、父の謎の行動からか、思考が停止し理性を失ったトオルはルナに問う。
「やめて……お兄ちゃん……いたいよ」
トオルはルナの肩を強く掴み、言葉を叩き付け、混乱する。
その時だった。
小屋の扉が中の状況を知らずに、いつも通り開いたのだ。
「兄さん、母さんどこにいるの……か?」
レナが小屋の中を窺うように入る。
静寂がトオルに平常心を取り戻させた。
思考の回転が戻る。
「兄さん……何して」
想像力は通常の倍以上になる。
レナから見た光景を瞬時に想像する。
兄が少女を連れ込み縄で縛り襲っていた。
「通報……」
「レナ?」
「然るべき機関に通報しないと」
「レナ! 違うんだ誤解なんだ!」
携帯端末を取り出したレナは、カシャと写真を撮った。
カシャ。
「レナ!」
カシャシャシャシャシャ。
「ちょっ、連写」
カシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ。
「証拠……これで兄さんは……」
レナの目からは光が失われ、人間を見る目をしていない。
「違うんだって! これはそういうのじゃないんだ!」
まるで浮気がバレた時のような言い訳。
「何か言うことは?」
ここで理由を説明するべきだろう。
しかし、レナからの視線に耐えられなかったトオルは両手を挙げた。
「……ありません、許して」
半泣きだった。
「状況説明……しよっか?」
とんだ茶番劇を縄で縛られながら傍観していたルナが声を出した。
「貴女は?」
「私の事よりも、この状況から説明しないとね」
ルナは状況を説明しようとする。しかし、トオルは妹に超能力の事を隠している。
このままではバレてしまう! と思い身を乗り出す。
「レナ! 俺が説明する!」
「兄さん?」
視線が心臓を貫通した気がした。
ノックダウンしそうになるが、なんとか堪える。
「父さんが関係しているみたいなんだ?」
「なんで疑問形なの?」
鋭い一言。トオルの心はボロボロになっていく。
「でも、父さんの仕事なら……何でもあるから……いや、でも……」
ブツブツと独りで呟いたレナは一度頷いた。
「それじゃ、父さんが帰ってくるまで私が二人を監視するから」
「え?」
「兄さんが『悪い事』しないようにしないとね?」
「えぇ……」
正直、トオルは不安で仕方なかった。
有潜在者の少女が何をしてくるか分からない状況で、妹を守れるのだろうかと不安だったのだ。
◇
………。
時を同じくして、康二郎の研究所。
康二郎は腕時計を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。
そして彼は言った。
「みんな、すまないが私はもう帰らせてもらう」
そういうと周りから、『お疲れ様でした』という声が発せられ、それを聞きながら彼は研究所を出る。
とても、楽しそうな顔をしながら……。
こんにちは。
下野枯葉です。
ワケあって書き直しです。
恥ずかしい限りですね。
とりあえず頑張っていきます。
では、今回はこの辺で。
最後に、
金髪幼女は最強です。