洗礼
ブラフマンさんに連れて行かれたのは、階段出口から暫く歩いた場所にある遺跡のようなところだった。
幾本かの石柱に取り囲まれており、地面には精緻な文様が描かれた石版が、石畳のように隙間なく埋め込まれている。
そしてそのどれもが淡い燐光を放っており、とても神秘的な空間を作り上げていた。
(神殿の入口でも見たけど、綺麗だなぁ……)
ブラフマンさんが何事かを呟くと、文様が彫り込まれた場所から光が滲み出るようにして分離し、空中にまで様々な文様が浮かび上がる。
「おぉ……」
思わず感嘆詞が口から漏れてしまった私に、微笑みながら人差し指を唇に当てて「静かに」とジェスチャーで伝えてくるブラフマンさん。
謝罪の意味を込めてペコリと軽く頭を下げると、彼は満足そうに頷いて洗礼の準備に戻る。
先程は光が浮き出てきたことに驚いて気が付かなかったが、彼は既に色々な物を特定の場所に置いていっているようだ。
指輪、剣、盾、杖、鏡、盃などを一定の間を置いて一つずつ丁寧に置いていく。
最後の一つを置き終わったのだろうか、彼が遺跡から離れていった。
(確か中心の窪みに私が玉を置くんだったっけ)
移動する間に大まかな流れ等を聞かされていた私は、中央にある一段高くなった石版の窪みに渡されていた黒い玉を置く。
すると先程ブラフマンさんが置いていた周囲の物から光が伸びて、置かれた玉に吸い込まれていき……。
(あれ……? なんか赤くなってブルブル震えてるんだけど……)
何か間違えたかと思い怖くなって少し離れたところにいる彼を見ると、満面の笑みで頷かれた。
(え……これでいいの? ホントに? すっごい危なそうな雰囲気がするんだけど??)
今はもう光の帯でよく見えないが、空中に浮かび上がった赤熱した玉がクォォォーンという変な音を出しているのが聞こえる。
これはホントのホントに大丈夫なのだろうか?
もう一度確認しようとした時、玉が浮いていた辺りから光が一瞬で伸びて私の体に当たった。
「!?」
(あの爺さんいいかげんにしろよ! なにが「一筋の光が身体に吸い込まれていきますが、なんともありませんですじゃ」だよ!)
圧力すら感じるほどに強くなっていた光の塊から、大量の光がうねりながら私に入ってくる。
しかもものすごく熱い!
(「マトモナゴハンダ!」に、逃げ……え、あれ? 動かない!)
逃げようと思ったが、気づけば体中が痺れだしていた。
いつの間にか膝立ちになっていた私は意識が飛びそうになるのを必死でこらえるが、もう数秒も保たない気がする。
(「オイシイ。モットモット」あ……これ、ダメかもしれない……)
諦めかけた瞬間、最後に一際強い衝撃があったかと思うと、私は仰向けに倒れていた。
(あー「オナカイッパイ」……空が青い……じゃなくて、助かった?)
身体は未だ動かないし、痛いし、焦げ臭いしで酷いものだ。
(見えはしないけど、これ絶対火傷してるよね。シュウシュウいってるし、煙出てるし……)
二歳にして全身大火傷とか、笑えない。
てかあのブラなんちゃら、いくらなんでもやりすぎだろう!?
下手したら死んでた自身あるよ?
(ぐすっ、誰でも良いからさっさと助けて~)
死ぬ思いをしたからか、なんか涙出てきた……。
(あれ、なんか身体が勝手に起き上がってく……)
身体は動かなかったが、起き上がれたことで周囲の様子が見える。
そこには爆心地のように砕け散っている祭儀場と、いつの間にか見渡す限りの緑が広がっていた。
「ゴタンジョウ、オメデトウゴザイマス」
(今、この木喋った!? ブラフマンか?)
一番近くの木がざわざわと葉の擦れる音をさせながら顔を上げ……顔!?
その木は幹が人の形をしており、服も身体も植物だが確かな知性を感じさせる。
「うぇ!? いったいダーレ?なんだ!?」
(!?)
今私が喋ったのか?
いや、さっきから何か違和感を感じる。
「ドリュアスデゴザイマス」
「ドリュアスー? ナニカ誰!? 勝手にヨージ?口を使わないで」
くっ……自分で喋っていないのに口が勝手に喋っている。
わけがわからない。
「オハズカシナガラ、オンミノソンザイヲ、サキホドマデシラズ、イソギハセサンジタシダイ」
「ンー? ヨクワカンナイヤ。ジャア、バイバイ?」
身体が勝手にバイバイをしだす。
彼らが話していると私は上手く喋れないので、会話が終わるのを待つ。
「オマチクダサイ。オンミモ、ヨリシロモ、マダオサナキミユエ、ドリュアスヲ、フタリホドオツレクダサイ」
「ウン、イーヨ」
「カレラガ、オンミヲオマモリイタシマス。ソレデハ、シツレイシマス」
話しが一段落したのか、その二体の植物人間以外がざわめきだし、蜘蛛の子を散らすように凄まじい勢いで消えていく。
「ウ~~ン、セマーイ!」
そう私の口が喋ったかと思うと、体の中の何かがスルスルと背中から出ていく感じがした。
それにつれて体の支えが無くなっていく。
さっきよりもだいぶ体の感覚が戻ってきているが、まだうまく動かせない。
(倒れる……!)
支えが無くなったと思った瞬間、背中を誰かに支えられた。
「キャッ」
後ろで小さな悲鳴が聞こえたかと思うと、ゆっくりと寝かされた私を覗き込む影が三つ。
「ビックリシタ。ダイジョウブ?」
一番小さな影が不安そうな声音で聞いてくる。
身体は急速に調子が戻ってきており、暫くすれば動かせそうだ。
「ええ、すみません。もう少しすれば動けそうですので大丈夫です」
「ソッカ、ヨカッタ! ネエネエ、ナマエ、ナンテイウノ?」
そう言って顔を近づけてきたその人物は……緑色の幼女だった。
「…………」
プニプニとした多肉植物のような髪の毛が印象的な彼女は、さっきまで居た植物人間たちとは明らかに毛色というか、雰囲気が違う。
多肉幼女に驚いて固まっている私の頬をペチペチと叩きながら、彼女が催促をしてくる。
「ネーッテバ、ナーマーエ、オーシーエーテー」
「あ、ああ、えっとジェイムス・コルトーです」
「ジェイス……ヲルトー?」
惜しい!
ではなくて、彼女は外見通りの幼さなのだろうか。
とりあえず呼びやすそうな呼び名を教えておこう。
「あー、ジミーで構いませんよ」
「ジミー?」
首を傾げる仕草は人間の子供のようで、とても可愛いな。
「そうそう、ジミーです」
「ジミー……ジミー、ジミー。ウン、オボエタ! ワタシワ、ミスティ。コレカラヨロシクネ、ジミー」
(んん~~? これからよろしくとは? まるで一緒に生活するみたいな……)
と、彼女の言葉の意味を考える間もなく、誰かに抱き上げられる。
見ると先程沢山いた植物人間みたいな人だった。
「ココワ、カラダニサワリマス。ヒカゲマデ、オツレシマショウ」
「は、はあ……ありがとうございます?」
「トウゼンノコトデスノデ、オキニナサラズ。アナタワ、アノカタノ、ヨリシロナノデスカラ」
そう言って多肉幼女を見る植物人間さん。
というか、依代って何のこと?
「アアソレト、モウシオクレマシタガ、ワタシトモウヒトリワ、ドリュアスデス」
「ドリュアスさんとドリュアスさんですか?」
依代という言葉が引っかかったものの、体の消耗のせいもあって思考が途切れてしまう。
「フフ、イイエ。シュゾクデス。ワレワレニ、ナワアリマセンカラ」
「そうなんですか……」
(ドリュアスねぇ……。種族で呼ぶのってなんか抵抗あるな)
「ドリュアスさん」と言うのは、人で言うなら「人間さん」とか「ホモサピエンスさん」って言うのと同じだろう。
そう考えると語感が悪く、非常に呼びづらい。
「ヨビニクイヨウデシタラ、ジミーサマノオスキナヨウニ、オヨビイタダイテカマイマセンヨ」
「うーん……」
二人を観察する。
どちらも体の膨らみからすると女性のようだ。
私を抱き上げているドリュアスはスタイルの良い肉感的な体で、肌の模様が特徴的だ。
もう一人は細身で、頭の上に冠みたいなところがある。
「じゃあ、トローネさんとガレットさん……と言うのはどうでしょうか?」
運んで貰っている方がトローネさんで、少し離れて多肉幼女の相手をしているのがガレットさんだ。
異種族の、それもおそらく年上の女性に、初対面で呼び名をつけると言う高難度ミッションの結果を知るため、恐る恐る二人の顔色を窺う。
「ステキナナマエヲ、アリガトウゴザイマス」
「アリガトウゴザイマス」
彼女たちはそう言って微笑んでくれた。
表情を見るに、そこまで嫌がられている感じはしない。
たいして呼び名に頓着しないのかも知れないが、私としてはそれでも良かった。
(よかったぁー……)
「ズルイ……」
「え?」
ふと見ると多肉幼女がガレットさんに脇の下を持ち上げられて、こっちをジト目で睨んでいた。
いかにも不機嫌ですと言わんばかりに頬を膨らまし、腕を組んでいる。
「どうされました?」
そう言ってガレットさんと幼女を交互に見る。
「ズルイ、ズルイ、ズルーイ! ワタシモ、ナマエ!」
「えぇ……」
一難去ってまた一難。
しかも今度は彼らの親玉っぽい幼女……。
(変な名前つけたら、どうなっちゃうんだろう……)
だが色々と消耗した頭では多肉幼女の名前など出てはこない。
(多肉……幼女……多肉、多肉かぁ……)
「じゃあ……ルチア、というのはどうでしょう?」
「ルチア……ルチアカ……ウン、ルチア。キニイッタ! ワタシワ、イマカラ、ルチアダ!」
ガレットさんたちに向かってニコニコと嬉しそうに自慢し始めた。
二人は「ハイ、ステキナオナマエデスネ」と言ってルチアの相手をしている。
(なんとかなった……かな)
気に入ってもらえたのと、あと名前の由来を聞かれなくてよかった。
三人共名前の由来は言いづらいというか、説明しようがないので聞かれても困るのだ。
彼女達とそんなやり取りをしていたら、気づけば崖の淵にまで来ていた。
「あれ、階段はあっちですよ?」
そう言って階段の方を見ると……兵士に羽交い締めにされた姫様がこっちに向かって何か叫んでいる。
(んー……どうしたんだろう)
「アチラワ、キケンナノデ、コチラカラオリマショウ。ソレニ、コチラノホウガ、ハヤイデスシネ」
そう言うやいなやトローネさんは、私を抱いたまま崖を飛び降りた。
「え? えぇぇぇぇぇぇ!!」
行きはよいよい、帰りは……怖すぎるでしょ!