勇姿2-2 ドレス? 武器を隠すのにちょうどいいけど
高速で飛ばしたせいか、夕刻前には地の果て……と言われる魔国に着くことが出来たわ。私としては果てしなく着いて欲しくはない場所だったけれど、到着してしまったものは仕方がない。
魔国周辺に着いて初めに驚いたのは、伝説と呼ばれている竜があちこちに飛んでいたこと。
初めは山奥だし、黒い鳥か何かだろうと思ってたんだけど、近付くにつれてハッキリとしてくるその雄々しい姿に息を呑んだ。でもそれは私だけじゃなかった筈よ、目の前にいるアルヴィアの顔色も悪いもの。でも流石エルネスタ王国一の女剣士ね。驚いた表情は一切見せない。だけどダークブルーの瞳が不安げに揺れていたわ。
それからは促されるままに宙吊りの小部屋を降り、案内されるがままに城内に入った。そこは古びたお城だけれど、石で出来た城壁は良い色にくすんでいて、悠久の歴史を感じさせたわ。
上空から見たそのお城は鬱蒼とした森の中にあったわ。しかも森の真ん中に大きな岩山が突き出していて、その上に築城されている。
三方を高い崖に守られた天然の城砦ってわけね。それこそ竜でもいない限り、辿り着くのは不可能そうだもの。
でもこの辺一帯が他の場所よりも緑が濃いのはなぜかしら? 緑が深すぎて黒々と見えてしまうくらいよ。まぁ自然は嫌いじゃないから良いんだけどね。
そんな事をあれこれと考えていたものだから、目前に大きな扉が迫っていることに気が付かなかったわ。
「……姫様、こちらが式場となっております」
そう声を掛けてきたのは知らないおじさん。白髪交じりの濃い緑色の髪は丁寧に撫で付けられ、緑の清々しい香りがしたわ。でもなぜかしら? どこかで聞いたことがあるような声なんだけど……?
じぃっとその姿を見つめていると、そのおじさんは困ったように薄く笑った。目じりのしわに味が出てて良いわね。
「……私はこの城の行事などを執り仕切っているグレイムと申します」
「こちらこそよろしく、グレイム……さん」
落ち着いた声に引き込まれるように挨拶を返していたわ。でも私、この時重大なことを忘れていた。それは「どうしてこの魔国に人間が居るのか」ってこと。それは後から分かることなんだけど、あまりにも自然だったからここでは思い付かなかったわ。
ギギギ……と唐突に開かれた扉。同時に流れ始めた音楽は聞いたこともないけど荘厳な曲だった。後から知ったことなんだけど、魔国では婚礼の時に使われる有名な曲だったらしい。
「あ……」
グレイムさんに手を引かれながら歩いた白い絨毯は、清らかな花嫁にのみ許された道らしいわ。ゆっくりと息を詰めて歩いていくと、覆面をした大勢の参列者の中にアルヴィアの心配そうな姿があるのに気が付いた。
この国の人って本当に覆面が好きなのね、おかげで彼女を見付けやすいんだけど。でもアルヴィア、そんな目で見ないでよ、私は大丈夫だから。あなたこそ顔色悪いんじゃない?
そう思っていると、祭壇の前まで辿り着いた。そこには大きな竜がお互いに見詰め合うレリーフが飾ってある。きっとこの国の夫婦の証なんだろう。
目の前の人は神父様……なのかな? さっきから何か言ってるけど言葉が分からないわ。古い発音みたいだから、この国の古語なのかしら?
そう思っていたら、今度は私にも分かる発音でゆっくりと言葉が紡がれた。
「汝、この者、リーナ・ノア・エルネスタを神竜の御名の下、一生の伴侶とすることを誓いますか?」
「……誓います」
そう答えた声は、結構私好みの低く落ち着いたものだった。
「汝、この者、ライナス・ロイド・ヴェルンハルトを神竜の御名の下、一生の伴侶とすることを誓いますか?」
「……誓います……」
って答えるしかないじゃない!? この場合!
新郎……いや魔国の王子ってライナスっていうのね……。なんてのん気に考えていたら、私のヴェールが捲られた。いつの間にか新郎の覆面も外されてる……って!
びっ……美形じゃないのよっ!
目の前にあったのは端正な顔立ちの……トカゲ……ではなく、短く切られたダークグリーンの髪の色が神秘的な好青年だった……。
誰よ、あの挿絵を描いたのは! 全然違うじゃないのっ!
心の中で悪態をついていると、新郎の視線が上がった。バッチリと目が合ってしまう。金色に光る、猫科を思わせる細い瞳……それがいつか見たことのある琥珀という宝石のように複雑に輝いている。
私は引きつりながらも、取り敢えずにっこ……り……してみた。
「では誓いの……」
新郎の顔が近付いてきた。ち、ちょっとこれ近すぎるんじゃない?
なななななに? 誓いの……ときたらもしかしてキキキキス? 何で? 三秒前に顔見たばかりの人とキスしなくちゃなんないの!?
「……指輪の交換を……」
……だったら早く言ってよ! ビックリするじゃないっ!
百面相しながらも、震える手で竜の印が入った指輪を摘む。そういえば差し出されてる手も人間と同じ皮膚だわ……。そんなことに感心しながらも指輪の交換は滞りなく終わった。
それからは晩餐会だった。挨拶ばかりで精神的に疲れたし、知ってる人なんて居るわけもないし……退屈でつまらない。
そういえば私、晩餐会なんて来たの初めてだったわ。それどころか良く考えてみたら塔の外に出たのも初めて。それが魔国だったなんて、私の人生ってどこまで呪われてるんだろう。
ぼんやりそう思っていると、アルヴィアが静かにやって来た。
「ねぇ、魔族って……トカゲ顔じゃないのね」
私の言葉にアルヴィアは小首を傾げた後、急に真っ青になった。
「ひ……姫様っ! このような場所で、そのような発言は……!」
「……トカゲの方が良かったか? 悪趣味だな」
この良く通る低い声はさっき聞いた……。
「……ライナス王子」
振り向いた私に、彼は不敵に笑いながら近付いてきた。耳は犬並みにいいのね、なんて思ってしまう。
「……王子はいらん。夫婦だろう」
そういえばそうかも……。
「この国では公式の場では女性はヴェール、男性は覆面をするのが仕来りなのですよ。勿論人間の領土に立ち寄る時も同じです。我々は人間から誤解されているので、長い年月をかけてそのような描写をされるようになったのでしょう」
ライナスの後ろに寄り添うように付いていた背の高い男が教えてくれた。グリーングレイの短い髪に、アッシュゴールドの瞳が、鍛えられた肉体に合ってて中々かっこ良いかも。
「こいつはガイル。俺の側近だ」
振り返らずに紹介するライナスに腹を立てる様子もなく、ガイルと呼ばれた大男は軽やかに背後で会釈をした。
「私は騎士をしているガイル・エルマーと申します。どうぞよろしく姫君」
体格とは裏腹に丁寧なお辞儀は品がよく、流石王子の側近だけのことはある。
「私はリーナ姫様の侍女、アルヴィア・オーウェンです。今後姫様の身の回りの世話をいたします」
一介の剣士に侍女と名乗らせることを心で侘びながら、私はそのやり取りを黙って見ていた。
「……姫君に置かれましてはご気分が優れない様子。この宴はお気に召しませんか?」
ガイルが柔らかく尋ねてきたが、アルヴィアが素早くその言葉に反応した。
「姫様は長旅でお疲れのご様子。今宵はゆっくりと休ませて差し上げたいのですが……」
「よい、急く事もなかろう。今宵はゆるりと休まれよ」
アルヴィアの言葉を聞き入れたのか、それだけ言うとライナスは宴の中央へと立ち去って行った。その後を側近も追う。
「ありがとう……アルヴィア」
立ち去った二人の後姿を見つめてから、ほっと胸を撫で下ろして言う私に、アルヴィアは困ったような顔をする。どうしてだろうと思ったその時、アルヴィアが式の時に私の手を引いたグレイムさんを見付けて何かを話し掛けた。
「こちらです……」
そう促されて付いて行った廊下の先には、決して広くはないが重厚な造りの部屋が用意されていた。
「こちらでお休みください」
話の流れから言って、アルヴィアが私の寝室を聞いてくれたようだ。
「……本当にありがとう、アルヴィア」
おやすみの挨拶をしようとしたら、グレイムさんが立ち去るのを確認してから振り向いた、アルヴィアから徐に短剣を手渡された。
「何かあればこれを……!」
素早く密やかな彼女の声は緊張を伝えてくる。
「………」
私は黙ってそれを受け取ると、急いで胸元へと仕舞い込んだ。
アルヴィアが心の底から私のことを心配してくれてるのだと感じる。大丈夫よ、貴女まで巻き込むようなことはしないわ。ライナスを傷付けたら、貴女までこの国を出られなくなるものね。
私は部屋の中で一人、胸元の短剣をぎゅっと握り締め、これで突いた時の痛みを想像しないように力一杯目を瞑った。
チチチ……という小鳥の囀りで目が覚めた。
「……?」
一瞬どこだか分からなくて辺りを見回す。そして愕然としてしまったわ。昨日会ったばかりの魔国の王子が隣で寝息を立てているんですもの!
「なっ!?」
叫び出しそうになった私を察知して、ライナスが口元を押さえてきた。その勢いで再び大きなベッドへと沈み込んでしまう。
「初夜に夫婦が別々だと、何かと不信を買うだろう」
……そ、それもそうか……。
耳元で囁かれた言葉を、混乱する頭に叩き込んで理解すると、私はコクリと頷いた。その途端に解かれた手。それはちょっと冷たくて、私の頭を冴えさせるのに丁度良かったわ。
「!」
急に思い当たって、膝まで掛かっていた羽毛の掛け布団を跳ね除ける。
……大丈夫……みたいね……。
何がって……全部よ! 意識がない内に奪われちゃってた……なんて、泣くに泣けないじゃないの!?
ほっと安心して溜息を漏らした私を見て、ライナスが口元だけで笑った。
「……意識のない女を無理矢理抱いても面白くはあるまい?」
なっ……? いきなり何て下品な奴なのっ!?
しかも目元だけで笑うその表情が余裕たっぷりで癪に障るしっ!
昨日綺麗だと思った琥珀の瞳も、今はキラキラと面白がってるみたいに光ってて嫌味にしか映らなかった。
こんな男と一緒に居たら頭がおかしくなっちゃうわ! 私は真っ赤になりながらも衝立の向こうで素早く着替えると、部屋を飛び出して行った。
姫が大股で飛び出していくのを面白そうに見送ると、ライナスはベッドサイドにあるシェルフへと手を伸ばした。引き出しには赤く小さな宝石が埋め込まれた短剣が仕舞われている。
昨晩、遅くまで続いた晩餐会をどうにか終わらせて、姫の様子を窺いに来た。疲れたように眠る、まだあどけない寝顔を見詰めてなぜだかほっとする。
式では慌てたようにスカイブルーの瞳をキラキラと震わせていた。急な婚礼に彼女の同意はないものだと、初めから知っている。
弱国の姫君……そう呼ばれる姫達が、嫁ぎ先でどのような扱いをされるのか知らない訳ではない。正妃にもなれず何番目かの妾となって、あわよくば王子を身籠る。しかしそれも国を繁栄させる道具にしか過ぎない……。
ふと瞳を落とした先で、ライナスは姫の胸元が奇妙に盛り上がっているのに気付いた。力一杯握り締められた指を一本ずつ外すと、現れた短剣……というよりも小さなそれは、まるで懐剣……自殺でもするつもりか……。
「……莫迦め……」
溜息と共に取り出した短剣をベッドサイドへと仕舞う。疲れたように深い眠りへと落ちている姫の柔らかなハニーブロンドをゆっくりと撫でると、ライナスは目を閉じた。その途端、瞼に過ぎる先程の光景。
指輪の交換の時に触れた彼女の掌は、姫だというのに固く荒く、剣だこまで出来ていた。侍女は一人しかおらず、その彼女もまるで護衛のようだ。
百番目に生まれたために忌み嫌われ、幽閉されて育った姫だと聞いている。その姫に興味を持ち、貰い受けると返事をしたのは自分だ。
ほんの出来心の筈……だった。
しかし、初めて会った姫の笑顔はぎこちなく、嫌だとは言えない運命を背負って、懸命に生きていることを物語っていた。まだ十六歳の少女だというのに……。
ライナスは柔らかな髪に顔を埋めた。花とお日様の香りがする。
それは今まで出会ってきた、どの姫のきつい香水の匂いとも違い、彼の心を柔らかく癒す……そんな優しい香りだった……。