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怪我をしたら、血が出る

脅迫はもっとも忌むべき行為のひとつだ。威力を持って、自分を正当化し、相手を従わせる。品がなくて、醜い。

 「ジロウ、やっぱり心の傷が見える訳ないよ」隣を歩くユウスケが、溢すように言う。ジロウは、夏の日差しに頭を垂れる。「足を怪我した人は、見ただけで分かるのにか」

 二人は大宮駅の東口から中に入る。駅構内は、外よりも幾分か涼しく快適な空間だった。比較的大きな路線が行き交い、この辺りだと最も人気の多い場所の一つだ。

 ユウスケは先ほど回答に納得していないようで、ぶつぶつと「見るってなんだ」と哲学的なことを言い出している。二人は、目的地である改札前の待ち合わせ場所で立ち止まる。

 「じゃあ、とりあえず一人目」ユウスケが手のひらを差し出す。

 「まあ、見てろ」

 「だから見るってなんだ、心から血でも出るのか」

 「五十点かな」ジロウが首を振る。

 ジロウには、心の傷を持つ人間が見えている。彼から言わせれば、「治療をしていない怪我人が、足を引きずって歩いてるようなものだ」ということらしい。けれど、ユウスケはその言葉を思い出し、ますます頭を捻る。

 ジロウが目立たないように「あれ」と指を差す。OL風の若い女性だ。平均的な身長、女性にしては短めの髪。端麗な顔立ちだが、どこにでもいるような、会社帰りの普通の女性だ。勿論、血を流していないし、足を引きずってもいない。

 「綺麗な人だね」ユウスケが、愛でるように言う。

 「そうだな、だからかもな。怖い思いをしたんだろう」

 ジロウは、若干の憎悪を顔に浮かべる。その言葉からユウスケは、こいつにはあの女性がどのように見えたのだと想像する。そして、少し遅れて、目を伏せて溜息をつく。

 「本気で言ってる?」嘘だと言ってほしそうにユウスケ。

 「まあ、駅で、更に綺麗な女性となると、それに」本気にしたくなさそうにジロウ。

 ジロウの経験則の全てが、下劣な行為の痕跡を物語っていた。そして「でも、まあ、あれは触られたくらいだと思う」と一応の救いを語り、「客にはならないよ」と淡々と言う。そして、別の人物へ目を移す。

 何人もの老若男女が、凄まじいペースで目の前を通過するが、恐らく心の傷を見落としはしない。彼にとっては、それくらい当たり前に見えていることで、見えない方が不思議なくらいだった。

 「君が見えていることは分かったよ。じゃあ、コツを教えてよ」

 「お前がつけた車の傷よりは見つけやすいと思うぞ」

 「そうだね、じゃあその傷は見えないモノとしよう」

 ジロウは、コツってなんだ、と一考したが、やはり納得させる回答が浮かばない。呼吸の仕方を聞かれているような気分だ。仕方なく「まあ、歩く速度とか顔色とか仕草とか、血が出てるかとか?」と適当に答えた。

 「血ってなんだ」

 「また哲学か、ではヒントをやろう。血は赤いだろう。でも涙は透明なのに、血とほぼ同じ成分で出来ているんだ」ジロウは、まるで子供にコウノトリやキャベツ畑の話をする親のように話す。

 「心が傷ついた時に出る血が涙で、涙は透明だから見えないとかいうなら、そんな胡散臭い話はないよ」

 「もっともらしい説明だと思ったんだが」

 「君は優秀な詐欺師だけど、五十点かな」

 自分がさっき指定した女性が、涙など微塵も流していなかったことを考えれば、バレて当然の嘘だった。けれど、「嘘にしてはよくできた話だろ」と、得意げに言って誤魔化した。

 ユウスケは「また適当なことを」と、あからさまに不満を言うが、ジロウは聞こえないふりをして“客”を探す。今日は客と知り合いになり、名前と連絡先を交換するまでが目標だ。

 名刺入れから、佐藤 康貴と書かれた偽の名刺を取り出す。これを渡して、連絡があれば成功。あとは焦らずに、時間をかけて信用を得ればいい。

 「どうした、佐藤。」

 「からかうな、鈴木。」

 無機質な名前に二人は少しおかしくなるが、ジロウの緩んだ顔は直後険しくなる。

 「あれ」ジロウが、また同じように指を差す。

 ユウスケはその先に目をやる。人工の光により、日が傾きが感じられない駅構内。緑など一つもなく、豆の木と呼ばれる駅中央のオブジェクトすら、銀色に鈍く輝いていた。視線はその豆の木に寄りかかる男性に落ち着いた。

 「あれかい」

 「ああ、あれは深いな」

 「普通じゃない?」

 「いいや、普通なところがない」ジロウの表情は先の女性の時とは違い、濃い悲愴を湛えていた。

 パッと見でサラリーマンと分かるスーツ姿、短髪の中年男性。確かに少し疲れているようにも見えなくもないが、帰宅ラッシュのこの時間のサラリーマンとしては、むしろ一般的な立ち振る舞いのように思える。だが、ジロウの表情は依然として暗い。

 「行くぞ」

 ジロウが返事を待たずに歩き出す。ユウスケには、どこかいつもより勇んでいるように見えた。今の彼は、ただの義憤に燃える善良な市民であって、優秀な詐欺師ではない。いつもの悪い癖だ。そして、「ちょっと待って」と彼の歩みを阻害した。

 「どこに行くの」

 「豆の木の男のところだ」

 「ジャックかい」ユウスケは軽口をたたいてはいるが、語気は強い。

 「豆の木のジャックだ」

 「ジャックに良いイメージはないよ。やめとこうよ」

 「あいつ、死ぬぞ。いいのか」

 「人殺しかもしれないし、車両強盗かもしれない。僕らが死ぬかも」

 ユウスケが早口になる。ジロウが言った死ぬというのは多分本気だろう、けれどそれがどうした、と面倒ごとを避けようとしている。そして「あれは客じゃないんだろう?」と、さらに睨みをきかせた。

 「品のない詐欺師よりはいくらかマシだ。それに客は明日でも見つかるだろうが、あれは今しかない」

 ユウスケは目を閉じ、言い合ってもどうせまた煙に巻かれるか、と深い溜息をついた。

 「分かった、付き合うよ」

 スーツの男に目をやる。目まぐるしい雑踏の中で、彼だけ静止画のように動かない。マネキン、張りぼて、案山子、そんな風に言われたら一瞬勘違いしてしまうくらいに、動きがない。

 「嫌なら、今日は先に帰ってもいいんだぞ」

 「そう思うなら、僕が帰りやすくなる言い方とかはできないのかなあ」ユウスケが、わざとらしく肩を上げる。

 「そんなつもりはないんだがな」ジロウは平然と嘘をつき、男の下へ歩みだす。

 ジロウの性質上、この類のいさかいは時折あった。心に傷を負い、それが彼の許容範囲を超えていた場合は「放っておけない」とか「見殺しにするのか」とか、とにかく詐欺師らしくないことを言う。

 ユウスケにも、それを遵守するかはともかくとして、良識や道徳の感性はある。けれど、詐欺師をやっているのだからと割り切っていた。今更いいことしても地獄行きだ、という諦めの念もそれを手伝っている。

 ジロウが「すいません、お時間宜しいですか」と男に話しかける。しかし、近くで見ると本当に、これは、とジロウは作った笑顔にヒビが入る。

 男は話しかけられたことに一瞬戸惑いながら、しかし、営業マンらしくジロウに向き直る。

 「私ですか。構いませんよ、失礼ですが、あなた方は?」男はジロウとユウスケを交互に見る。

 何だこいつ、気持ち悪い。ジロウは率直にそう感じた。なぜこいつは笑ってられるのか、こんなにも辛そうにしているのに。こいつには何かある、と確信を深めた。

 「私のことなど、どうでもいいのです。あなたのこと、お伺いしたくて、何があったか。何をしたのか」

 ジロウがそういった瞬間、男の表情が曇る。いや、曇りじゃない、ゲリラ豪雨だ、雷まで落ちている。怒りと悲しみを笑顔で隠すような、気持ちの悪い笑顔だった。

 ジロウは「場所を変えましょうか」と男を外に誘導する。ユウスケも男の様子にただならぬものを感じ、黙ってジロウについていく。

 「あなたたちは、私の何を知っている」男は獣が唸るような声で、言葉をひねり出す。

 「これから聞くんです」ジロウは背中を向けながら、淡々と答えて、どこかに電話をかけている。

 恐らくもう日が沈んだ頃だろう。そんなことを関係のないことを考えながら、三人は大宮駅のモールを突き抜けていった。


 五分ほど歩いて、ユウスケが借りている月極の駐車場に着いた。運転席にはユウスケ、助手席にジロウ、そして後部座席に男を促す。

 「僕はユウスケ、この無愛想がジロウだよ」ユウスケがバックミラー越しに男を見る。

 「辰也です」男は少し震えながら、未だに笑顔のようなものを浮かべている。

 「怯える事はない、あんたの抱えている事情を解消してやりたい」

 ジロウは声調を変えることなく言う。医者の作られた柔和な喋り方とは違うが、必要以上の感情が籠ってないという点では共通していた。

 「話してみてくれないか」そのままの調子でジロウが問う。

 男は頭を抱えたり、「何でこんな」とブツブツと一人言をつぶやいている。数分後、観念したのか、深呼吸して落ち着こうと努める。

 そして、「私、人を殺さなきゃいけないんです」と男は絞り出すように言った。

 ユウスケは顔を歪めたが、ジロウは別段動揺することはなく、「そうか、とりあえず車出してくれ」とか「腹は減ってないか」などと悠長なことを言っていた。辰也と名乗った男は、ジロウのあっけらかんとした様子に唖然としているが、ジロウは気にせずに窓の外を見ている。

 暗い。駅近辺はギラギラとした電灯に目をやられそうになるほどだったが、少し駅を外れると途端に明かりが減って、目がうまく順応しない。

 ユウスケは「マイさんの家でいいんだよね?」と尋ねる。それに対して、ジロウは「ああ」と短く答える。

 「それで、辰也さんは何で殺しなんて物騒なことを」

 「したくてする訳じゃないんです」

 「・・・続けて」

 辰也は「全て話すと長くなるんですが」と、前置きをして「今日みたいに仕事から帰る途中に、暴力団を名乗る男に声を掛けられて」と続けた。そして、その時の恐怖を思い出したのか、か細く息を吐いた。

 「ゆっくりでいい、支離滅裂でも構わないから」

 「すみません、平気です」ジロウの言葉に少しだけ安堵したのか、辰也はさらに続ける。

 「男は私に袋を渡して、帰ったらそれを開けろと言いました。中にはナイフと手紙、それに写真が数枚入ってました」

 「殺そうとしてる奴の写真?」ユウスケが脇見運転をしながら問いかける。

 辰也は苦々しそうに「はい、それと妻の・・・」とだけ答えた。ジロウは、「なるほどな」と既知の事柄を確認しただけだ、と言わんばかりに頷いた。そして「煙たいから」と窓を少しだけ開けて、煙草に火をつける。

 「それで、逃げられないから、今日死のうとした訳だ」

 「いや、死のうだなんて、そんな」辰也は驚いて、一度そう否定したが、「いえ、そうなのかもしれませんね」と、深々とうなだれた。「いつもの電車に乗れなくて、何となく、あそこに立っていました。あのままあそこにいたら、飛び降りでも考えたかもしれません」

 ユウスケは、高所から落ちて死ぬのはジャックじゃなくて巨人だよ、と水を差そうと考えたが、信号が切り替わって、すぐに運転に意識を戻した。

 「それで、あの、あなた方はアイツの仲間じゃないのですか?」顔色を窺うように辰也が言う。

 「アイツってのは知らないが、違うだろうな。俺はそういうことをしないし、させない」ジロウが眉をひそめる。対してユウスケは、「見栄張らないでよ。僕らに仲間なんていないでしょ」と言ってカラカラと笑い、『あなたはいつもそうよ』とマイの口調をそっくり真似ておどけた。

 辰也は、車内から聞こえるはずのない女性の声に、「ひっ・・・」と声にならない呻きをあげた。

 「すまない、こいつの趣味なんだ」

 「せめて特技と言ってよ」

 「ユウスケさんの声だったんですか」

 散々な目にあったからか、辰也は過剰に臆病だった。しきりに周囲を警戒する、些細なことで怯える。少なくとも、殺しをする狼というよりは、柵の外に放り出された羊の方が近い。ジロウは、自分ならこの男には殺しを頼まないだろうと考えた。

 この時点でジロウは、辰也の言う、アイツらについて想像する。恐らく、暴力団というのは嘘だ。その手の者は犯罪の知識が深く、こんな雑はしない。逆にそれが本当なら、差し迫った事情を抱えているか、阿呆のどちらかだ。

 辰也の話から自分の知見で、情報に肉付けしていく。ジロウがそうしてうんうんと唸っていると、車は減速し、徐行をはじめ、やがて止まる。

 「着いたよ」ユウスケがキーを引き抜く。

 駅から十分ほど、灯りの少ない住宅街にあるマイの所有するマンションに駐車した。深夜というほどでもないが、人通りは少なく、何か潜んでいる雰囲気はあった。

 「ああ、ご苦労だ」

 「あ、あの」辰也は車を降りることを渋る。警戒と期待が入り混じった、複雑な表情をする。

 「心配しなくても取って食いやしないし、中に女が一人いるが」ジロウは、良い奴だ、と続けようとしたが、嘘をついても仕方ないと思い、「あー、変な女だが、悪い奴じゃ、いや」と自分の中で意見を右往左往させる。

 そんなジロウを見て、辰也は「はは、分かりました」と少し楽しそうに笑った。騙すような口ぶりではないと思ったのだろう。

 煌びやかなエントランスで、住人を呼び出す機器に604と入力すると、コールの一回目が終わる前に「変な女ですが、どちら様ですか」と先程ユウスケが真似をした声が聞こえた。

 「ひどく地獄耳なんだ、コイツは」と、ジロウは辰也に告げる。

 そしてすぐに「聞こえているわ、ジロウ。いいからさっさと上がりなさい」とマイが機械的に会話を終えると、エントランスの扉が自動で開いた。

 「地獄の門が開いたよ」ユウスケが辰也を促す。

 「上で美人が待ってるんだぞ、俺には天国だな」ジロウは少し大きめの声で言う。「マイは良い奴だからなあ」と嘘もついた。

 辰也は「少しだけついてきたことを後悔しています」と正直に述べた。

 そして、三人は大きめのエレベーターに、譲り合いながら乗り込んでいった。

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