自分世界(気の向くままに)
「自分は誰で、どこから来たのか」というのは哲学思想になるのだろう。
自画自賛、自己主張、自分本位などといった四字熟語を並べようとも何もならないのは分かっている。
だがたまに自分に対して聞きたくなってくる。
私「自分は誰で、どこから来たのか」
という無意味な問いを。
誰に問いかけようとも、自分世界では誰も答えてはくれない。仮に答えられたとしてもそれは、果たして自分なのだろうか。自分なのだろうが、ここでもまた「自分ではない誰か」ということを考えてしまう。自分の家の洗面所の鏡の前で
私「君は誰?」
と聞いても答える人はいないだろう。もし居たらそれは夢、夢現、幻に近い体験になるのだろうが。まあ結局は、誰も答えずに返答もなく返事もなく応答もなく終わるのだろう。
だがこの小説のタイトルは「自分世界」という名なので、タイトル詐欺にならない程度に書いていくとしようか。仮にもし万が一、先ほど私が鏡の前で自分に対して質問をして鏡の中の自分が
私?「私は君だ」
と答えた返答をした返事をした応答をした場合、とき、そこは夢ではなくなるのだろう。そこで鏡の中の自分が
私?「君こそ誰だ?」
と逆に質問をしてきた場合にはおそらく自分も
私「私は君だ」
と答えるのだろう。質問に対しての応答、返事、返答があったところで現実ではなくなり妖の仕業になったり、何かの現象になったりするのだろう。
この茶番劇のような質疑応答をしている自分が突然、鏡から出てきたらそれは世に言われているであろうドッペルゲンガー現象なのか、またはファンタジー風?に現実世界と並行世界があって鏡がその並行世界とこちらの世界をつなぐ道になっているのならばロマンではある。
正直、前者の現象については起こってほしくはないが、後者の方のファンタジー世界なら起こってほしい。「そちらの世界はどうなっている」といった内容のことを聞きたい。もし仮に万が一、その並行世界が魔法やら魔術が発展した世界ならば面白いと思えるからだ。
「自分世界」という名のタイトルをしているのだから鏡から出てきた自分と入れ替わっても、所謂「自分世界」なのだから、どこかでそこで見たり感じたりしていることがいきなり突然、ガラスが砕けるような音や亀裂が入って、その鏡の世界が砕け散るという現象、幻ならば夢だったということで終わってしまう。
私「そちらの鏡の世界に行ってもいいか?」
私?「来られるのならどうぞ」
といった会話をした後に鏡に入るというのならロマンでもある。ただそこに入るところで目が覚めるというのはよくある夢物語になる。
結局は自分に対して
私「君はだれ?」
私?「私は私、君こそだれ?」
にはならないというのが現実。なったらなったで面白味もあっていいのだが結局はどこかでその世界の自分と本来の世界の自分とは違う性格や行動が出てくるのだから興味半分、恐怖半分といったところだろう。自問自答に近い妄想をしたところで現実は変わらないのだからそうそう易々とするものでもないが、たまに試してみると虚しくもなるがやる気()自体は上がるとは思う。
居るのなら居て欲しくはある。クローンでも同姓同名でもないもう一人の自分という存在が。
私「君はだれ?」
私?「私はきみできみは私だよ、自分」




