3話
「また死んでる…」
床に無造作に積み上げられたネズミの死体。人間の仕業ではないことを、その死体の抉るように引き裂かれた傷が物語っていた。
まだ生きてる者はいないかと死体の山を観察していた空太が一点を見つめて言った。その一点に歩いて行き、身を屈める。
空太が拾ったのは明らかに人間のものではない、薄汚れた赤色の毛だった。それは硬く鋭いもので、赤黒く固まった血がこびりつき、まだ固まっていない血が空太の手を汚していく。
「そのうちあの子の部隊がやってくる。私達の仕事は済んだわ。戻るわよ」
ステラは黄色のブレザーとオレンジ色のスカートの埃を払い、ドアノブに手を掛けて廊下へ出た。
しかし、空太は動かなかった。左の掌にある赤毛ーー妖の毛ーーと最近頻繁に起きる妖による殺人。悪い予感がした。
はぁ、とため息を吐き、ステラ自慢の金色に光輝くツインテールを揺らして空太へ歩み寄る。
「余計な事考えてないでしょうね?空太が考える悪い事は的中するって、これまでの経験でわかってきた筈よ」
それに、とステラは空太の短い前髪のせいで余計に広く見える額にデコピンした。
「あんたに難しい顔は似合わないわ」
満足げに笑い、ニーハイブーツの踵を鳴らして廊下へと引き返す。
我に返った空太は少し駆け足で廊下へ出ているステラを追った。夜叉が過ごす階の廊下の雰囲気とはかけ離れたコンクリートと鉄のドアがあるだけのネズミの廊下はいつもより静かで、青白いライトの光が不気味な雰囲気をよりいっそう強くさせる。
エレベーターまでの道なりには“風月”のチームカラーのオレンジ色を纏ったステラと空太以外誰もいない。ネズミの視線は感じるものの、様子を伺うようにドアの隙間から見ているだけで誰1人として姿を現すつもりはないらしい。
あ、と空太が止まった。手元の液晶パネルを操作していたステラも立ち止まり、顔をあげた。
前方から集団が歩いて来る。その先頭にいる前髪を三つ編みし、少しカールしたサイドテールの少女は2人に気づくと顔を明るくして、走って抱きついた。
「ステラちゃん!空太くん!」
ギュッギュと抱き締められたステラはまんざらでもなさそうで、空太も照れながら少女の背中に腕を回した。少しだけ背伸びして、少女は2人の頬に自分の頬をすりすりとする。まるで犬みたいだな、と空太は思った。
「最近は大丈夫なの?」
それ、とステラが少女の足を指す。
平井和歌の右足は義足だった。膝の少し上から下は機械の、鋼鉄の足。3年前の妖との激闘で右足を切断するほどの大怪我をした。それ以来、和歌はリハビリに専念し、対妖第3討伐部隊の隊長に復帰出来るほど義足を使いこなせるようになった。3年前のそれは、ステラと空太をブラッドプリズンへ護送する時に起きた事件だった。
「大丈夫!また新しく軽量型にしてくれたんだよ、ブライアン伯父様が。ほら、見てみて!」
和歌はその場でクルッとバク宙を決めてみせた。
「ふふっ、お父様ったら和歌に甘いのね」
ステラと和歌の母親は姉妹だ。良く家に遊びに来ていた和歌をステラの父親、ブライアンは実の娘のように可愛がっている。
「ってことで、案内して!」
ね、空太くん!、と空太は手を握られた。空太の家、九条家とも親交のあった和歌の頼みを空太は断る必要がなかった。
「話が飛びすぎてるけど案内するよ。和歌ちゃんの隊の人達、困ってるし」
白い布を体全体に掛けられたネズミ達の死体が運ばれて行く。
「…私は」
下を向いている和歌が呟いた。
「私は、まだまだ強くならなくちゃいけない。一般人を守るために、君達を守るために、…自分自身を守るために。心臓が息の根を止めるまで、私は戦い続ける」
和歌、と出かかった言葉を飲み込んだ。「無理しないで」、そう言ったとしても、ステラ達守られる側は、守る側がどれ程辛いか、大変かを身をもって体験したことはない。そんな言葉はただの気休め。それ以前に首を締めることにもなりかねない。
3年前のあの時、そう言った何気ない言葉が和歌にとってどれだけの圧力となっていたのかはわからない。けれど、確かに自分の言葉で彼女の首を少しずつ締めたのは感じていた。
「あ、そういえば篝くんってどこにいるの?」
「世良なら上よ。どうして?」
いつもと変わらない表情に戻った和歌に、ステラは少しだけほっとした。
死体の運搬が終わり、自分の隊員達に先に戻るように指示を出した和歌は、ステラと空太と一緒にエレベーターへ乗る。一瞬で最上階に着くと、世良がいるであろう“刹那”に振り分けられている部屋へ向かった。
コンコンとノックして返事を待たずに部屋へ入る。他の夜叉のグループの部屋とは違って“刹那”の部屋は、コンクリートむき出しの天井と壁と床に黒いソファー、ソファーの近くにガラスのテーブルと小さな冷蔵庫があるだけの殺風景な部屋だ。
そしてそこには世良しかいなかった。
「こんにちは、“王様”。お久しぶりですね!」
スキップをしながら、世良の座るソファーの後ろに立つ。
「今日私達が来た理由は知ってると思うので、それは説明しないとして、ええっと、ネズミのんーと…、こ、こ…こ?」
うーん、と首をひねって思い出そうとする和歌に呆れてか、それとも助けたのか、ステラが口を開いた。
「今日は10人。ネズミの中で強いとされてる小堂のグループの奴らが死んだ。小堂は軽傷。で、その場所には赤い毛が落ちていた。それと、傷は抉られたようなものと抉ってから引き裂かれたものがあったわ」
「あ!そう、小堂だ!」
「和歌ちゃん静かにね」
ほら、と死体の写真と殺されたネズミの顔写真を見せた。世良は無言でステラの端末を手に取ると、画面を触る。すると、その触った場所の傷の長さと深さが数値として表示された。
「それ、野狐の仕業だよ。赤狐と言った方がいいかな。群れて人を襲ってる赤狐…、私達はその赤狐が所属する集団を“玉”って呼んでるの」
「“玉”…、玉藻前からかな」
「そう、玉藻前。あ、でも、そのリーダーらしき妖は白面金毛九尾の狐でもなければ…って言うか、狐ですらないんだけどね」
ソファーの後ろに立つ和歌は身を乗り出し、端末を操作して画像を出した。写るのは、烏ような真っ黒の羽が生えた人間ではないナニカーー烏天狗ーーだった。
「うーん…、リーダーとは言わないか。赤狐の群れを率いてるのは烏天狗だけど、それよりももっと上の妖がいる筈。だって、いくら強い妖っていっても、天狗と妖狐は種族が違うからね。赤狐が天狗に従うのは変なんだってさ。摩耶先輩と龍くんが言ってたの」
和歌は、両手を羽のように顔の前でパタパタとしてから、右手の中指と薬指を親指に合わせて狐を作る。左手も同じように狐を作ると、その手のまま、ふらふらと歩いていく。
「きっと、各種族の親玉的妖が集まって“玉”を形成してる。そのてっぺんに君臨するのは妖狐なんだよ。だってあんなに多くの野狐がいるんだもん。それは…あ、ボスって言うね。そのボスは九尾かもしれないし、天狐かもしれない。はたまた、空狐や仙狐、白狐かもしれない。いろんなことはわからないけど、何を企んでるかはだいたい予測出来たの」
人差し指をピンと立てて、世良の鼻の頭にちょこんと当てる。
「ーーヤマタノオロチを復活させる。…それが妖の目的なのだと、そう<暁>は結論付けたの」