『カパコチャ』についての見解 ―童話『カントゥータの赤い花』に籠めた思い―
これは2013年に書いたものです。
7月31日、拙作、童話『カントゥータの赤い花』のアクセス数が異常なほど増えていた。
翌8月1日から某童話大賞に参加予定だったのでそのせいかと思ったが、まだ開催されていないのにおかしい。
それにしても、一日で752アクセスとは、このジャンルでこのテーマではあり得ない数。
その原因が後日判明した。
前日7月30日付けで発表されたこのニュースが波紋を呼んでいたのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『古代インカ、生贄の子らは薬物漬け』
アルゼンチン北部のジュジャイジャコ火山(標高6739メートル)の山頂で1999年、インカ帝国時代の子どものミイラ3体が発見された。古代インカの生贄の儀式カパコチャで生き埋めにされたミイラは、保存状態が極めて良く、非常に安らかな表情で知られている。
最近、新たな研究結果が公表され、3人の子どもはいずれも、生贄として捧げられる1年前から向精神作用成分の摂取を強いられていたという。
(以下略)
ナショナルジオグラフィックニュース 2013年7月30日
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20130730002
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
話別に見たところ、24部の『カパコチャのおまつり』だけで100アクセスを越えていた。
つまりこのニュースを見て『カパコチャ』のキーワードで検索し、拙作に辿り着いたという人が大半を占めていたためだった。
この記事は前日29日に米国版ナショナルジオグラフィックで発表されたものだ。
米国でも話題となり、日本版の記事に関しても1100以上ものツィートが寄せられている。
しかしその反応の多くは『残酷だ』『残虐だ』『野蛮な風習だ』『子供の感覚を薬で麻痺させてマインドコントロールするなんて』『子供たちが可哀想』などといったもの。
この風習についての正しい理解や文化の独自性などには無関心で、ただ『薬漬け』というエキセントリックな見出しで話題が沸騰してしまったようなのだ。
『カパコチャ』というのがどういうものなのかというと、信用できる記録は無いため、発見された遺物とその状態からの憶測されることなのだが、
『インカ帝国において、皇帝の即位、戦争、天変地異などの重大事が起こったさい、異変が治まり、国が安泰になることを願い、高山の頂上に子供を埋めるという人身供犠 のこと』
を指す。
このカパコチャという儀式の存在が世界中に広まったのは、1995年9月、人類学者ヨハン・ラインハルトが、ペルー南部、標高6300Mの火山アンパト山の頂上付近で発見した氷漬けの少女のミイラがきっかけだった。高山の万年雪の中で凍っていたミイラは、落石によって転がり落ち、顔の部分が日に晒されて乾いてしまっていたが、身体は非常に良い状態で冷凍保存されていた。彼女はその後『フワニータ』と名付けられてインカの風習を紐解く貴重な研究対象となる。
さらに、ラインハルトは1999年、上記記事のミイラを発見する。推定13、4歳の少女のミイラと推定8歳前後の少年と少女。
(フワニータのときも男女の子供が一緒に埋葬されていたのが見つかっているのだが、そのときはふたりとも落雷によって焼かれ肉体はほとんど残っていなかった)
ユヤイヤコ山(記事ではジュジャイジャコ山となっている)のミイラは、幼い少女のミイラが顔面に落雷の痕があるものの、非常に保存状態が良く、とくに13歳の少女はまるで生きて眠っているかのようだ。
フワニータが発見される以前からペルーでは高山で子供のミイラがしばしば発見されることがあった。しかしその多くは埋蔵品目当てで破壊され、盗掘されていた。
ユヤイヤコ山の発見後もナショナルジオグラフィックの後援で高山の遺跡調査は続いており、すでにいくつかの発見がある。
インカ帝国時代にどれほどの子供の犠牲が捧げられたのか、想像するに余りある。確かに『子供を犠牲として神に捧げる』ということは非常に残酷で悪質な習慣に思える。
しかし、それは現代人の感覚なのだ。
このミイラとともに、多くの副葬品が発掘された。
金や銀で作られた動物の小型模型、そして犠牲の子供とまったく同じ服装をした人物型、食料の入った袋、服やサンダルなど身につけるもの、土器など。
興味深いのは、ユヤイヤコの少年が身に纏っている服がミイラの体格よりも大きめのサイズだということだ。さらに大きめのサイズのサンダルも添えられている。
これは少年が成長していくことを想定したものである。
つまり、彼らは『犠牲』ではなく『神の世界に行ってそこで暮らす』ために遣わされた者たちと見なされていたのだろう。
記事にはこうある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少女は死を迎えるまでの1年間、トウモロコシやリャマ肉といった栄養価の高い食事が与えられ、栄養状態が劇的に改善していた。加えて今回、同時期のコカ摂取量の大幅増加が判明し、特に死の1年前と半年前にその傾向が顕著に表れている。
「少女はそれまでずっと庶民的な生活を送ってきたはずだ。あるいは、もっと貧しい家庭に育ったのかもしれない。しかし生贄に選ばれた後、慣れ親しんできた暮らしと縁を切り、生活は一変した。われわれのデータによっても裏付けられている」とウィルソン氏は語る。
コカは1年間を通して多量摂取が続いたようだ。対照的にアルコールが著しく増加するのは、死の数週間前になってからである。
「死の6~8週間前に生活が激変した痕跡が見られる。多量のアルコールのためだろう。最後の数週間は、コカやチチャによる更なる変化が認められる。コパコチャの儀式が最高潮に達し、いよいよ生贄として捧げられる時が迫るにつれて、量が意図的に増やされたのではないか」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ペルーの原住民の間ではコカの葉を噛むのは日常のことであり、タバコを吸ったり、ドリンクを飲むのと同じような感覚だ。さらにコーヒーやお茶と同じような感覚でチチャ(とうもろこし酒)を飲んでいる。
高山に適応する身体を作るために必要不可欠なものなのだ。
インカ時代に子供がこれらを盛んに摂取していたかどうかは分からない。
この分析では死の一年前に摂取する量が増えているとあるので、通常では子供はそれほどコカやチチャを摂らなかったのかもしれない。
しかしコカやチチャは大人たちが元気に働くための気付けであって、決して感覚を麻痺させて快楽を得る目的で摂取されるものではなかった。
一年前から滋養の高い食事が与えられ、コカやチチャの服用をしていたということは、子供の力で標高6000Mの高山を上るための体づくりだったに他ならない。大人でもたいへんな道のりを子供が登り遂げることができるようにとの配慮なのだ。
大人たちに付き添われているとはいえ、自分の力で、自分の足で高山の山頂に登り、そこで永遠の命を授かる。この子供たち自身も付き添った大人たちも見送った人々も、そういう共通理解を持っていたのではないかと思う。
今回、この記事によって大きな誤解が生じていることは非常に遺憾だ。しかも長年、カパコチャの研究の主体となり、多大な貢献をしてきたナショナルジオグラフィックの記事とは。
米国版の記事に対するコメントを少しだけ覗いてみたが、この記事が与える誤解を懸念しているものが多かったことに少し救われた。
一方で『こういう野卑な文化を改宗させたスペインは、素晴らしい貢献をした』などというふざけた内容のものもあった。
わたしはべつにインカという文化をリスペクトしているわけではない。しかし歴史上や地理上で自分たちの価値観とは全く異なる価値観を持っている人や国に対して、まったく狭い了見で『残虐』『非人道的』と括り、それを非難、糾弾することの愚かしさ、そしてその偏見が与える影響の怖さを憂いている。
以下は『フワニータ』を発見したときのラインハルトの記事だ。
実際に犠牲となった『子供』をその目で見た彼はこう記している。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少女の最後の瞬間については、想像する以外ない。
彼女はおびえてはいたが、選ばれて犠牲になることを誇らしく思ったかもしれない。
山の宮殿で、神々とともに素晴らしい死後の世界を生きる姿を思い描いていたかもしれない。
彼女がこの地方(アンパト山周辺)の出身だったとすれば、地元の人々は彼女が祖先のもとへ帰ると信じただろうし、彼女を人々と神々とを結びつける存在だと考えただろう。
もしそうだとしたら、人々は少女を生贄にする際には彼女を神として扱ったはずだ。
(中略)
アンパト山で命を落としたこの少女と、2人のインカの子供は、偉大なる古代文明の歴史に新しい生命を与えた ―― 私にはそう思えてならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『カントゥータの赤い花』はこういった記事を読んできて、この研究に携わる人々が、一見残酷に見えるこの風習や当時の人々の感性を真摯に理解しようと努力する姿勢にうたれて書いたものである。
これまでこのような低俗な見解をする記事を目にしたことはない。
もしもカパコチャが『子どもを薬漬けにして感覚を麻痺させ、無理やり山の頂上に埋めた』などという野蛮な方法で行われたものだとしたら、この文明は早々に崩壊していただろう。そして、そういう野蛮な風習に傾倒していってしまう可能性のある人類は本当に愚かだといえるだろう。
事実は明らかになっても、その中に託された真実までは明らかにできない。真実を証明することができないのなら、わたしは拙作に著した見解が真実であると信じる。
童話『カントゥータの赤い花』
http://ncode.syosetu.com/n3410bm/